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2013年 03月 31日

草煩悩(1) 北星鉛筆の「大人の鉛筆」

b0061413_0332631.jpg 性懲りもなく新しいシリーズ連載を書いていくことにする。連載の趣旨は「自分はどんなモノをもつ者か?」というものだ。己の煩悩を見極めることは難しい。除夜の鐘を108回鳴らして煩悩を消えることを願っても、だいたい煩悩というのは不可算名詞で数えられるものではないのでは?なんて思っちゃう。(うちの寺院も大晦日にセルフサービスの除夜の鐘をやっていますけれど…)けれど、ふと「物欲という種類の煩悩に限れば、モノは認識できる物体として存在しているから数えることも可能じぇないか?」なんて思った。というわけで、細かい解説は追々綴っていくとして5年半後に迎える予定である55歳の誕生日までを目標に自分の持ち物(だと思っているもの)を108つあげてみようと思う。そして、できれば「私はこれひとつで勝負しています」なんていう方がカッコいいとは一応思っているので、108つあげた後は、できればそれら108つの品々をだんだんと絞っていくような人生でありたいと思っている。自分でも予測はつきにくいけれども、たぶんアウトドアグッズ、文房具、スポーツ用品、楽器・オーディオ、などの分野が多くなると思う。イメルダ夫人なら靴だけで軽く108つを超えるだろうけれども、そこまででかないもののなかなかゴチャゴチャしている自分の煩悩を連載を通じて整理しちゃおうと思う。このブログに書いてみなくならないようなものは、結局要らないものなのかなぁ…なんて具合に整理できれば望ましいなぁ。

さて、この前置きをいずれは整理した文章にするとして
第1回目は北星鉛筆の「大人の鉛筆」を取り上げることとする。
東京都葛飾区の北星鉛筆が2011年に創業60周年記念の発案文具として売りだしたものだ。
子どもたちの新学期用の文具を買い揃えたシャラポア(妻・日本人)が
「これ使ってみれば?」
と私にくれたものである。

このブログはほとんど下書きはしないし、
したとしてもメモ程度である。
ただ、先日も10人ぐらいに注視されるなかで
「いやーん、そんなに見つめないでよぉ」
という心の叫びを発しつつ毛筆でDEATH NOTE(過去帳)に法名を書いた。
パソコンを使っていても手で書くことを日頃からおろそかにしてはいけないなぁと
感じている。

ただ、私自身は中学生時代からずっとボールペンの愛用者であった。
(この連載に200円前後の市販ボールペンが5種類は出てくる予感がする)
中学生がボールペンでノートをとっていると
(教科書への落書きもボールペンでやっていたなぁ)
学校の先生からは怒られたりたしなめられたりしたけれども、
私としては書き直しができない真剣勝負のようなものへのあこがれがあった。
消しゴムで消せる鉛筆やシャープペンシルは子どもの道具であると思っていた。
そして一本のボールペンを最後まで使い切った時の満足感がとても大きく、何だか
「成仏させてやった」
という気持ちになって爽快だった。

であるから鉛筆を持って何かを書くということは実に小学生以来という感じであった。
正確には鉛筆のような2ミリの芯をもつ六角形の木製シャープペンシルである。
芯の硬さがBという柔らかさであり、もう小学生時代に帰ってしまった。
改めてヘキサゴン(六角形)のデザインの完成度の高さに感心した。
背伸びして大人の真剣勝負に憧れたボールペン中学生が中年になってみれば、
「間違ってもいいさ、やり直せばいいさ」
をむしろポリシーとしていたとは…
鉛筆、すげえなぁ、フリクションボール(パイロットの消せるボールペン)でもないのに
消しゴムで簡単に字や図が消せるよ!

ちょっと良かったのが、
「加工段階で出た『おがくず』を再利用しています!」
と記された商品の紙パッケージに記されていた言葉であった。

北星鉛筆 「大人の鉛筆」 に添えられた文章(青字部分)
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by kaneniwa | 2013-03-31 02:17 | 物草
2013年 03月 29日

滑り納め(春スキー)

b0061413_15424373.jpg 一昨日のことの日記風ブログ。息子が春休みに入っていて天気が良かったので春スキーに出かけた。この「天気が良いのでスキーに出かける」というのはかなり贅沢なことだなぁ。車で一時間圏内に三つスキー場があることの良さである。ただし、いちばん近い地元の胎内スキー場と関川村のわかぶな高原スキー場はネット検索をしてみればすでに今シーズンの営業を終了していた。車で片道2時間半ほどをかけて山形の蔵王へいくとか苗場周辺に行くということになると、日帰りも可能ではあるけれども「天気がいいから春スキーにでも出かけるか?」という気軽な幸せとはちょっと違ってくる。ネットで検索すると(3月も上旬まではスキー場情報が地方新聞に毎日載っているが、ネットがなかった時代の3月下旬のスキー場はお問い合わせ電話への対応がひと仕事だったろうなぁ)新発田市の二王子スキー場 ninoxが、ちょうど一昨日3月27日が今シーズンの営業最終日ということだったのでそこに向かうことにした。車で自宅から車で35分から40分というあたりだろうか。二王子スキー場 ninoxは初心者向けのなだらかな斜面と上級者向けの急斜面との間の中級者向けのちょうどいいコースがないので家族で行くのはしばらく遠慮していて3年ぶりぐらいだ。しかし連れて行った11歳の息子はけっこうスムーズに急斜面を滑り降りるように成長してくれていた。

b0061413_154379.jpg 今の私は40歳代の最後半であるが、40歳代と50歳代はスノーボードをやる人は少なく圧倒的にスキーをやる人が多い。逆に30歳代と20歳代はスノーボードをやる人の比率の方が多く、この年代にとってはスキーは少数派である。ところが、今の10歳代はどうかというとスキーをやる人の比率がスノーボードをやる人よりも上回っているという。つまり、うちのように両親がスキーをやっているので自然と家族でスキー旅行に出かけたり教えてもらったりということなのだろう。ただ、それだと数年から10年を経て、またスノーボードをやる人の方が増えたりすることもあり得るのだなぁ。さて、朝の9時頃から昼食をはさんで滑りに滑って、リフトは午後4時30分まで動いているのだが午後3時で切り上げて日帰り温泉に入浴することにした。月岡温泉の「美人の泉」という温泉の入浴施設(大人500円、子ども300円)に入る。硫黄泉でちょっとクセのある泉質だが、これがスキーをやって普段は絶対に使わないような部分の筋肉を使った体には実に気持ちがいい。さらに良かったのが畳の部屋に枕が置いてある静かな仮眠専用部屋での昼寝であった。ガンガン動いて温泉に入った後の昼寝というものの幸福度はかなり高いかもしれない。夕方から息子と「気持ちいいいなぁ」と言いつつ2時間近く眠り、起きてから自宅までの帰り際に讃岐うどんチェーン店で息子はぶっかけうどん(冷)、私はかまたまうどん(温)を取って、かしわ天やえび天などのサイドメニューもたっぷりと取る。スキーシーズン最後のしめくくりの思い出も、この時期としては悪くない雪質の白と、うどんの白であった。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-03-29 16:34 | 雑草
2013年 03月 27日

前田遼一の呪い(デスゴール)は国際的にも有効ではないかと思う理由

迷信というもの、
ことに「呪い」というものを簡単に信じこんではいけない浄土真宗の僧侶であるが
スポーツでの「ジンクス」ということに関しては
妙味を感じて関心をもっている。
ちょっと古い話で熱狂的な阪神ファンしか知らないことであるが
甲子園で新庄剛志がお立ち台(インタビュー)に立った時に
「明日も必ず勝ちます」
と言った翌日は必ず負けるというジンクスがあった。
新庄剛志は今どこで何をしているかなぁ?と思うとともに、
「あんな陽性の呪いは珍しかったなぁ」
と懐かしく思う。

最近のスポーツ界でサッカーファンのみならずかなり有名になったジンクスが
「前田の呪い」(デスゴール)というものである。
つまりJ1のジュビロ磐田の前田遼一選手がリーグ戦でシーズン最初のゴールを決めた相手は
J2に降格するという内容のジンクスである。
なんせ、2007年のヴァンフォーレ甲府に始まり、
それから毎年、東京ヴェルディ、ジェフユナイテッド千葉、京都サンガ、モンテディオ山形と
5年連続で前田選手がシーズン初ゴールを決めた相手チームのクラブの降格が続いていた。
ただ、昨年のシーズン終盤まで
この「前田の呪い」を信じていたり意識していたサッカーファンは少なかった。
なんせ2012年シーズンの初ゴールの相手は
遠藤保仁や 今野泰幸という現在の日本代表の心臓部を務める選手や
加地亮や明神智和といった元日本代表選手を擁する名門にしてJ1の優勝候補の常連であった
ガンバ大阪であったからだ。
「まさかガンバ大阪が降格することはないだろう」
と、ガンバや大阪のサッカーファンのみならず思っていたところ、
前年まで3、2、3位と続いていた好成績が一転して残留争いに巻き込まれ、
しかもよりによって最終節でジュビロ磐田との対戦に敗れれば降格という事態になった。
さらにその試合、前田選手の1得点1アシストを含む2-1のスコアで磐田が勝利し、
ガンバ大阪は降格が決定したところから「前田の呪い」は大きくクローズアップされることになる。

さらに2013年の今シーズンのJ1開幕戦で名古屋グランパスの
国際的にもサッカー界の有名人である
ドラガン・ストイコビッチ監督が引き分けとなった試合終了後の会見で
「前田に得点を許さなくて本当によかった。これで今年の名古屋はセーフだ」
と言ったことで「前田の呪い」はさらに有名なジンクスとなった。

このジンクスに関する報道を不快に思っている人もいる。
まずは前田遼一選手本人がそうである。
(自身がそう言っていた)
ただでさえFW(フォワード)のワントップに入ることが多く
相手のマークをかいくぐって得点する役割のポディション。
ましてサッカーほど1点の重みが大きいボールゲームはなく、
さらにチームのエースFWのシーズン初ゴールとなるとその重みは増す。
マークが必要以上に厳しくなってしまっては商売にならない。
そしてジュビロ磐田のジェネラル・マネージャーである服部健二さんも
「選手のパフォーマンスに影響が出る可能性があるのでこの件に関する報道は控えてほしい」
と報道の自粛を要請した。

その自粛要請に逆らうようであるけれども、このジンクスには何か理由があるように思う。
たとえば、前田選手に得点を許すパターンの守備陣形や連携に問題があり、
それがシーズンを通じての大きな課題となるようなことである。
そしてその課題は問題となって負の連鎖反応を呼んでしまう。
ただ、ジュビロ磐田のファンとしては心中複雑でありつつも
「相手を気落ちさせる」とか「相手を沈める」ということでの
前田ゴールの価値を高めるジンクスとしてそれを意識する人もいるだろう。
前田が日本代表に入っていて、その得点を待望するということになる国際試合、
ことにワールドカップの出場が決定するかもしれないという試合となれば、
私も少しジュビロ磐田のファンの気持ちに近い気持ちになって
「前田の呪い」に期待するということが起こる。

さて、あんまり呪いだとかデスゴールとかばかり言うのは失礼とは思いつつ、
先ほど終わった
「勝つか引き分けで日本が世界でいちばん早くワールドカップ出場決定試合」
という意味をもった最終予選のヨルダン戦で、
前田の呪いの負の連鎖反応の一つを感じてしまったからだ。
つまり「決めたらワールドカップ出場決定ゴール」となる可能性が非常に高かった
遠藤保仁選手の蹴ったPK(ペナルティキック)が入らなかったのだ。
日本代表の心臓部であり中核でありベテランである遠藤選手に、
(ガンバ大阪がJ1から降格したことにより)J2の移動を含めた
強行日程やグランドコンディションといった環境が影響を及ぼしていないかといえば、
それはあるとしか言えないからだ。
そして結果として1−2で日本は負けてワールドカップ出場決定は
6月4日に日本で行われるオーストラリア戦を待つこととなった。

この試合、ヨルダンの選手やヨルダンのマスコミがどれだけ意識していたかは定かではないが、
もしも前田遼一選手にゴールを許して敗戦するという展開があったとして
(そうであれば日本にとっては大変に喜ぶべきことであるが)
ヨルダンはオーストラリアやオマーンとのワールドカップ最終予選での
出場枠争いに大きく遅れをとることとなっていた。

最後に、これを考えていたのは私だけではないと思って書きたい。
負の連鎖はジンクスであろうと意識すればするほどそこに陥っていくので、
次のようなことが起こらなくてよかったと思っている。
その確率はとても低いものの、前田遼一の2013年の初ゴールが
自陣へのオウンゴールでなくて本当によかった。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-03-27 02:24 | 草評
2013年 03月 25日

幸せって何だっけ?

昔、東本願寺(京都)で研修を担当していたことがあった。
東本願寺には清掃などの奉仕活動をしつつ二泊三日か一泊二日で
全国からいろんな団体が奉仕団としてやってこられ、
夜は座談が行われる。
その司会役のようなことをやりつつ
「あなたにとっての幸せとはどのようなものですか?」
という質問を投げかけることがあった。
これは別に浄土真宗における幸せの価値観を押しつけようとか、
私の考えで洗脳してやろうだとかいうことではない。
また、その質問の明確な答えが欲しいというわけでもない。
この質問に目的があるとすれば、人生を全力疾走で駆け抜けてきたような
真面目な方がとても多かったので
「そういえば幸せって何だろう?」
ということをちょっとの時間でいいから立ち止まって考えてみて欲しいということだった。

しかし、なかには実に具体的かつ明快な答えをくれる人がいた。

先日、妻が実家に子どもを連れて久しぶりの里帰りをしたのです。
日曜日に、朝からコタツに入りながら
春の選抜高校野球をずっとテレビで観ていました。
最初はコタツでみかんを食べながら観ていたのですが、
「そういえば妻も子どももいないから昼間から酒を飲んでも怒られないんだ」
と思ってスルメをおつまみに熱燗をチビチビと飲みながら野球を観て、
そのままコタツで寝た時にしみじみ幸せというものを感じました。


そのことを実に幸せそうなお顔で語られるものであるから
「わはは、それは幸せですねぇ…」
と思わず同意したりした。

それはまだ独身だった頃の昔の話なのであるけれども、
お彼岸ウィークが終わって、やれやれほっと一息だ!
という今頃の時期に春の選抜高校野球の試合をふと見たりすると、
コタツに入って見ているわけではないのに、
その時のことを思い出す。

「日本のプロ野球はずいぶんとレベルが低いなぁと思っていたら、
 ハイスクールベースボールだった。高校野球がテレビで中継されているなんて
 信じられないよ!」

と言ったアメリカ人がいた。
(わはは、元なんちゃってヤンキースの凝田ジム男選手だ)
地域の代表チームがゲームをやるという点だけが
メジャーリーグとの共通点のようなもので、レベルは段違いだ。
あっ、もう一つだけ共通点を見つけたが、それはこのブログ記事の要なので
後半の方で書きたい。
私としてはメジャーリーグも日本のプロ野球も社会人野球も大学野球も好きだし、
中南米の野球なんかもダイナミックで好きだ。
(まったく何で日本のテレビ局はドミニカとプエルトリコの
 WBCの決勝戦を衛星テレビも含めて中継をしないのだ!
 日本の勝敗だけに関心を持つファンだけ増えて野球ファンが減っちゃうぞ!)
暇さえあるなら自分の息子とか息子の友だちとかも関係ない少年野球の試合さえ
観戦することが大好きであるから、当然のように高校野球を見ることも好きである。

金属バットは規制が厳しくなって一昔前のような派手な音はしないけれども
夏の甲子園でのホームランは「カッキーン」という擬音がふさわしい音が
アルプススタンドに反響するけれども、
一昨日の盛岡大付属高校の望月選手が放ったソロもそうだったけれども
春のホームランは「コーン」という擬音がふさわしい音が響き、
それが何となく甲子園という場所の温度と湿度が春らしいのだと教えてくれる。

一昨日の遠軽(えんがる)高校(北海道)といわき海星高校との試合、
試合時間は春の選抜高校野球史上二番目に短い時間での決着であった。
1時間16分!
DVDビデオに残しても76分間の記録。
投手戦で3−0の試合ということもあったけれども、
実に早い試合。
レベルが違いすぎて書くのも恥ずかしいけれども、
草野球でいい球場を借りて試合をする時に
たいがいの球場やグランドはだいだい2時間単位で貸してくれるけれども
柔軟体操は駐車場で済ませておくとしてもキャッチボールぐらいは
必ずしなければいけないし試合が終わってからグランド整備をしなければ
いけないところも多いので、いい球場でやる時ほど
攻守の交代はキビキビいかなきゃいけない。
遠軽高校の選手も、いわき海星高校の選手も、
ふつうの考えであれば、なんせ甲子園という
高校生のあこがれの場所として比喩的にさえ使われるほどの球場それ自体でのゲームで
あるのだから、なるべく長い時間その場を踏みしめていたいというような考えは
ちょっとぐらいはあっただろうに、
「いや、そんな考え自体が妄想であって全力プレーの邪魔!」
と言っているかのような躍動感を随所に見ることができた。
勝った方の遠軽高校は次の試合で大阪桐蔭高校(もちろん大阪)と当たり、
常識的にはそこに勝つことは難し過ぎると思われるが、
投手の前田くんがまったくサインに首を振ることなく味方の守備を信頼しつつ
ちぎっては投げ、ちぎっては投げで「スピード決着」というような展開になれば
余計な妄想が生じるのは優勝候補の方であり、何が起こってくるかわからないぞ。

四死球が多かったこともあってスピード試合というわけにはいかなかったが
昨日の土佐高校(高知県)と浦和学院(埼玉県)の試合を観て、
ものすごく久しぶりに土佐高校のゲームに接して嬉しくなった。
私は土佐高校が強かった中学生の頃にいちばん高校野球を観ていた。
甲子園への登場自体が、たぶんものすごく久しぶりだ。
このチーム、攻守交代の時にキビキビしているどころではない
とんでもない全力疾走で守備位置につき、とんでもない全力疾走でベンチに帰る。
バッターで三振をしたりバントを失敗した時も、
とんでもない全力疾走でベンチに戻る光景は、時々、ちょっとコミカルだ。
しかし、ちょっとコミカルに感じても高校生の全力疾走というものは
意味の必然性を超えた迫力があってそのコミカルな感じを打ち消してしまう。
失笑を疾走が打ち消しちゃうんだよなぁ。

土佐高校のユニフォームは「白を基調としている」なんてもんじゃなく、
マーク以外は真っ白。
帽子も白にTのマークがあるだけ。
しかも、アンダーシャツまで真っ白。
アンダーシャツの素材はどうも時代を経てUNDER ARMOURに進化しているみたいだったが、
相変わらずスパイク以外は全身真っ白。
三人の外野手がそれぞれの守備位置に全力疾走でつく場面なんかは、
白鳥がV字飛行で飛び立っていくようで、無条件に美しいと思った。
スポーツ科学でいえば、ピンチを抑えてちょっと息が上がっているピッチャーなどは
歩いてベンチに戻るか、小走りぐらいがいいのだろうけれども
土佐高校の野球選手に小走りは絶対に似合わないんだぁ。
この全力疾走に意味があるとすれば、心理的に相手への威嚇にはなっている。
(浦和学院に負けたけれども…)
土佐高校の野球選手の全力疾走を見ながら、
軍隊的であるとか「体罰」ということを連想しにくいのは、
走っている選手たちの表情が活き活きしているからだ。

土佐高校は負けてしまったので土佐高校の校歌は聞けなかったが、
その作曲者は平井康三郎(ひらい こうざぶろう)さんだ。
自身が土佐高校の出身であるのだが、
私が大好きでたまらない「衆会」(しゅうえ)という仏教讃歌の作曲者でもある。
また土佐高校が甲子園にやってきて勝った時の楽しみにとっておきたい。

さて、これまたやや古い話であるが
現在、横浜DeNAベイスターズの藤井秀悟投手がヤクルトスワローズ時代、
ヤクルトが8-1と大量リードして迎えた9回表2死3塁の場面で遊ゴロを打ち全力疾走した。
9回裏のマウンドに上がった藤井は巨人ベンチから
「高校野球かよ!」
などの心ない野次を浴び涙ぐんだ。
この後3連続死四球を与えるなどして降板してヒーローインタビューも拒否した。
この件について大学(早稲田)時代からの友人である乙武洋匡に
涙ながらに相談したこともあるという。

何でもメジャー・リーグが最高峰で、
何でもメジャー・リーグを見習わなきゃいけないわけではないけれども、
メジャー・リーグの方が打った後の全力疾走は徹底しているように思う。
それは併殺打になることを防ぐ場面はもちろんのこと、
ランナーがいない時のピッチャーゴロでも全力疾走している場合がほとんどだ。
プレースタイルは変則フォームの選手が多くとも、
闘争心むき出しに全力で走ることによって相手を威嚇したり慌てさせるという
野球の基本中の基本には実に忠実であると思う。

さて、長いブログ記事になったけれども最後に本題に戻って
「幸せって何だっけ?」
あれこれ思案をめぐらして幸せに近づくということもあるとは思うけれども、
どうも何も考えずに活き活きとした顔で全力疾走するということが、
どうも幸せに近いと感じる。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-03-25 02:14 | 草評
2013年 03月 23日

コッヘル207番 蓮根の焼売

b0061413_0232355.jpg 蓮根(レンコン)を使って焼売(シュウマイ)を作ってみた。蓮根を煮物にしてきんぴらにして、さらに余った時、仏教の象徴である蓮の呼吸系統にもなっている根幹の部分であるから腐らしてしまうことには罪悪感があった。ただ、煮物とキンピラときて和食以外の蓮根料理はないものか?と考えた時に中華にするということを思いついた。思いついたといっても元ネタ(レシピ)は「キューピー3分クッキング」である。蓮根の半分を大根おろしのようにすりおろして豚ひき肉と混ぜ、そこに塩・酒・みりん・醤油などの調味料を入れてよく練って、さらに蓮根の半分をみじん切りにして入れてさらに混ぜるという手法。「キューピー3分クッキング」は3分クッキングとはいっても一応10分番組。ただ、そのうちの3分間はキューピーのコマーシャルだろうか。30秒はテキストの紹介で、まあ料理のレシピを教えてくれる正味の時間が3分間というところである。当然、番組内では焼売を蒸す時間が省略されているのであるが、その部分のプロセスに片方の焼売のグループを番組で使っていたのとほぼ同じようなアルミの蒸し器で行い、もう一方の焼売のグループをダッチオーブンでやってみた。

b0061413_0233976.jpg というわけで、二種類の蓮根の焼売というものが出来た。正直言って、写真写りは専用のアルミの蒸し器で作ったやつの方がいい。皮(市販のシュウマイの皮)に具を詰めた状態も、蒸し器の方はけっこう丁寧に詰めたけれどもダッチオーブンの方(写真)は子どもといっしょに残ったものを雑に詰め込んだ。ところが、何と完成したものを食べ比べて蒸し器の方のものが何というか仕上がりも味もお上品であったが「やったぁ!美味いぞこりゃ!」と言いたくなったのはダッチオーブンで作った方のものであった。最初は先入観というのだろうか、調理器具として私はダッチオーブンにより愛着をもっているのでそう感じると思っていた。子どもたちも「ダッチオーブンで作った方が美味しい」と断言しても、それは自分で皮に具を詰める作業をしたからより愛着を感じるからではないかと思った。ただ、この時の食事は一個づつ食べ比べるスタイルでの夕食であったから、3ターン目からは案外と客観視のような審査スタイルで「うん、ダッチオーブンの方が美味しいなぁ」と頷いたのであった。何でなんだろうなぁ?ダッチオーブンの底に水を入れて100円ショップの105円の鍋敷きにアルミホイルを貼りめぐらせ、写真のように箸の先でズボズボと通気の穴を入れただけであるというのに。これを10分間火にかけてあとは10分間放置しておいただけだというのに。

b0061413_0235935.jpg 焼売の方の味についての言及よりもダッチオーブンを改めて称賛するようなブログ記事となったが、つくづくダッチオーブンは偉大だなぁと思った。私はガラケー(ガラパゴス携帯電話)を使っているのであるが、スマートフォンでアプリを駆使していろんなことができるといってもあんまり羨ましいとは思わない。(もっともパソコンとiPadがあるからそういうことを言えるのかもしれないが…)それよりも合衆国の西部開拓時代から存在していてフライパンにも中華鍋にもなりピザ窯にもなりスキヤキ鍋にもなり炊飯器にもなり色んなものになり今回は蒸し器にもなった、見かけは無骨そのものであんまり器用には見えないヤツのマルチプレイヤーぶりとそれぞれの分野で「そこそこやる」どころか「かなりの底力をとことん見せてくれる」ということに驚く。こういう道具は他になかなかない。さて、ダッチオーブンの話ばっかりだったので焼売の味の方にもちょっとはふれておく。この焼売、抜群にカラシが合う。そりゃ普通の焼売だってカラシがないと淋しいぐらいに合うのだけれども、この蓮根の焼売はカラシがなければ失望してしまうほどに合う。そういえば分野も調理法もまったく違うけれども熊本名物に辛子蓮根というものがあったなぁ。


マーヒー加藤

コッヘルバックナンバー
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by kaneniwa | 2013-03-23 00:25 | 草外道
2013年 03月 20日

なぜお寺にやって来る学生は就職で第一志望を勝ち取るのか?

b0061413_2258972.jpg お彼岸の中日に忙しく奮闘されている同業者に対しての罵詈雑言のようなことで恐縮であるが「寺に若い者が来なくて困る!」と強く主張する住職や副住職が多い。時には私よりも年下が「困る!」と言う。残念ながら組織的な活動と法話会や学習会などの場だけが教化の場であるという固定観念でガチガチになった方々が多い。法事や葬儀や墓参りの場には若者が同席しているのに、彼ら彼女らの存在が視野のなかにまったく入っていない方々が多い。毎回、彼ら彼女らが視野に入っていないので声ひとつかけないで素通りする日々を送りつつ「寺に若い者が来なくて困る!」と言っちゃっている。 今日のブログタイトルは安易な新書のタイトルのようでもあり、合格祈願の神社のスポットCMのようであり、自分でも他にもっといいタイトルはなかったのか?と思わないでもないのだけれども、日頃からの私と妻(シャラポア・日本人)の実感そのものなのである。なぜ、こうも「お寺参りをする学生は就職で第一志望を勝ち取るのか?」という問題である。そりゃ、いろんなことを考えた。希望するところに就職できた学生だけが晴れがましく、誇らしくお参りにやって来て(やはり自主的に独りで訪れるというケースはまれで家族に付いて来る形がほとんどではある)「おかげさまで」と報告に来るからではないか?何だかんだ言って「親について来る」という従順さと素直さを企業や組織はいつの時代でも求めているからではないか?などということは当然考えた。そして「おかげさまで」などと言える若者はもともと人格的にも素晴らしいのであるから就職先にも採用されて当然であるからではないかと考えたこともあった。しかし、私とシャラポアは若者(学生)たちをもうちょっと長いスパンで見つめている。それは毎年の春・秋のお彼岸やお盆のお参り(墓参りも含む)と、一周忌、三回忌、七回忌などの区切りの法事の機会というような仏事の機会を通じての、ある程度の長期の接触から見えてきた経験則なのである。その経験則からしてお寺にお参りに来る若者の就職率のかなりの高さにビックリさえするのである。「うちのご本尊にご利益がある」という、単純な結論で思考を停止してもいいのであるが、そのご利益の正体というか、ご利益のヒントになるものぐらいは多少は論理的に突き詰めてみたくなった。 統計学的に考えたり心理学的に考えたり、哲学的に考えてもなかなか答えは出ないので、企業の人事部長や人事課長になっているヤツの立場になって考えることにした。年間を通して「かなりの数の人と対談する」という意味では同じだ。人事部長さんが「選ぶための対談」というものを仕事としており私の方は「なるべく(人も話題も)選ばない」ということを方針としていることが基本的にかなり違うけれども。企業の人事部長としても書類選考や採用試験というフィルターをくぐり抜けてきた者たちのなかから誰を採用するかという企業の明暗を左右することの責任者として実に真剣であるはずだ。最後の最後はやはり対談(面接)であろう。マナー的なことや小手先の面接テクニックについて今の学生はみんな情報としては知っている。そこで人事部長は何を知りたいか?何をもって人を選ぶという大仕事をしたいか?私が思うにはやはり「どういう教育を受けてきた学生であるのか?」ということであろう。単なる学歴のことであれば、それは最初の書類選考のところでわかっている。個人情報保護法に抵触しない範囲で「どんな家庭教育を受けてきたのか」ということは是非とも向こう側もあらゆるギリギリのテクニックを使って聞き出していきたいことなのであろう。 色々と書きたいことはあるけれどもはしょって、先日、堂々と「私は亡くなった祖父を心から慕い、心から尊敬しています」と言う若者に出会った。読んでいただいている方でこれからリクルート活動をする人は小手先のテクニックとしては使って欲しくないけれども(小手先では毎年何百人と面接する人の目はごまかせないなぁ)、ああこれだなぁ…と思った。これが祖父ではなく親父(しかもご健在)であれば、こいつは従順すぎるファザコンではないかと目に写ってくるけれども、生物のなかで人間だけが孫世代を可愛がることができ、それに応えられる生物である(すなわち人間らしい)ことを証明している。私がプライバシーにも気を配りつつ「どんな教育を受けてきたのか」を聞き出す人事部長であるとして「あなたが尊敬する人物はどなたですか?」などという質問はいかにもしそうだけれども「亡くなった祖父です」なんて即答されたらソイツを落とせなくなっちゃう。落とせばそのおじいちゃんに何だか悪いもの。

マーヒー加藤

※ 写真は本文とはちょっとしか関係ないけれども、2月14日に投稿しそこねたもので
  長女がチョコレートを森永ムーンライトクッキーで挟んでデコってくれたもの
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by kaneniwa | 2013-03-20 00:27 | 草評
2013年 03月 18日

捕手王国プエルトリコ

金曜日の夜にプロ野球を見ながらビールを飲みたいと思っても、
子どもがドラえもんをテレビで見ていたりしていた。
「ドラえもんは録画だ!スポーツはリアルタイムで見なくちゃ面白くないんだ!」
と言っても、子どもには子どもなりに
「野球なんか冬を除いて毎日やっているじゃないか。ドラえもんは金曜日しかやっていない」
と反論してくる。
さらに、同じ時刻に友だちがそれぞれの家庭でドラえもんを見ているという
子どもなりのリアルタイム感覚というものがあるようだ。
子ども用のものでなくても、DVDも持っているし何回も観ていて
ストーリーの詳細まで把握している映画なのに、テレビ放映がされていたら
思わず最後まで観てしまったという経験、ないでしょうか?
これなんかはそのテレビ放映のリアルタイム感覚のなかで
非常に不特定多数の人がこの映画を観ているんだろうなぁということを
想像する楽しみ抜きにはなかなか説明がつかないことであろう。

ともかく「テレビでの野球観戦はドラえもんが終わる午後8時から」という条約で
子どもとのチャンネル争いに決着をつけていると、
ドラえもんのなかでジャイアンやのび太やスネオたちが草野球なんかやっている。
そうしているうち、
子どもたちのなかで長女や長男はドラえもんから卒業していったのだが、
地上波での野球中継というものは激減してしまってチャンネル争いはない。

さて、要らない前置きであったかもしれないが、
WBCの準決勝が今日ある。
日頃のメジャーリーグ中継と同じく午前中から昼ごはんの時間あたりの中継で、
ナイトゲーム(ナイター)ではあるけれども
ビールを飲みながら見るということはお彼岸中でもあってできない。

日本代表が準決勝に進出した時点で
「対戦があるだろう」
と思いつつスコアラー気分でアメリカ代表の研究を始めたが、
これは無駄に終わった。
ホスト国ではあるけれど、いや、あるがゆえに
国別対抗の短期決戦というシステムのなかでは
モチベーションにいま一歩欠けるということがあるのだろう。
イタリア代表の意外なほどの強さにも驚いた。

さて、今日の相手のプエルトリコは捕手王国だ。
付け焼刃の研究の結果、恐るべき捕手王国であることが判明した。
私は一応、草野球でほとんどのポディションを守れるつもりだが
キャッチャーだけはできない。
ちょっとだけやったことはあるが、
実戦でやった時には大差で惨敗した思い出があり、
点差が開くたびに感じた焦燥感がある。
基本となる捕球だけでも
いい投手ほど低めを狙ってのワンバウンドが多いので難しい。
ましてやいい打者の鋭い空振りのスイングに幻惑されてしまう。
さらに点差はもちろんアウトカウントやボールカウント、
ランナーの有無などに合わせて野手の守備位置を気にしたり、
配球などを含めて考えることが多すぎる。
だから私は捕手の人を尊敬してしまう。

松井秀喜がヤンキースに在籍していた頃のキャッチャーは
ほとんどポサダであったけれども、そのポサダはプエルトリコ出身。
また、一時期のメジャーリーグのオールスターゲームでは
必ずといっていいほどイバン・ロドリゲスが先発捕手であった。
このイバン・ロドリゲスもプエルトリコ出身。
イバン・ロドリゲスにはかなりビックリさせられて、
スナップスローで一塁に牽制球を投げてアウトにしちゃったり、
両膝を地面に着けたままで二塁に弾丸のような送球を送ってランナーを刺す。

今回のWBCの正捕手であるヤーディアー・モリーナ選手も、
この両膝を着いたままでの送球ができるみたいだなぁ。
そして兄のホセ・モリーナ選手もメンバーだ。
ヤーディアー・モリーナ選手は捕手王国プエリトリコの
「モリーナ三兄弟」の三番目で、
兄のベンジー・モリーナ、ホセ・モリーナはそれぞれメジャーリーグの捕手である。
さらにすごいことに、この三兄弟は全員が捕手として
ワールドシリーズを制覇してそれぞれがチャンピオンリングを手にしている。

プエルトリコ代表の投手陣はマイナーリーガー中心であるのに
接戦にもちこんで「なんとかしちゃう」手腕も優れているようだ。

なぜプエルトリコはこのようにすごい捕手を輩出できるのか?
という問題は謎として、あるいは妙味ある課題として
日本代表としても、まず前田健太投手はスーパースターとなる大チャンスだ。
たぶん3番で指名打者に据わるカルロス・ベルトラン、
そしてたぶん4番で捕手のヤーディアー・モリーナを
スライダーでキリキリ舞させるような投球を期待しちゃう。

打線ではおそらく2番を打つ井端の存在が頼もしいなぁ。
ドラゴンズファンではなくても、
二遊間の守備にしても打線でも荒木とコンビを組んでいないと
「何かヘン」
という感じではあったけれども、
単体・井端が実にいぶし銀のいい味を出している。
1番バッターが簡単に討ち取られた後なんか、
実にボールを見極めてファールで粘って出塁までしちゃう。
私もよく
「いやらしいバッター」
と言われるが、井端は純粋に野球だけの意味で実にいやらしい。
井端一人で相手投手(マリオ・サンティアゴ投手が先発予定)に
90球投げさせてエドウィン・ロドリゲス監督の
ゲームプランを破壊しちゃうということも可能ではないかというぐらいの
粘っこさが頼もしい。
あ、発祥の地であることもあってリーバイスの看板が目立つサンフランシスコの球場で
相手の監督の名前がエドウィンというのも面白いな。
(ジーンズのエドウィンの由来は江戸Winということで関係はないけれども…)

その他、中田翔なんかもいいところでデカイのを打ったりすれば
スーパースターになっちゃう可能性がある。
ただ、レフト側が広い設計の球場であるからレフト方向へのホームランは難しくて、
逆に守備で広いレフトを任されるているともいえる。
どちらにしても鍵をにぎる選手だろう。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-03-18 01:17 | 草野球
2013年 03月 13日

コッヘル206番 コッヘル焼きビビンバ

b0061413_125479.jpg 焼肉の時に炭水化物は何を食べるかということに関して私のなかで歴史がある。歴史なんて言うとちょっと大袈裟だな。変遷がある。最初は冷麺というもののファンであった。焼肉屋さんの冷麺というもののファンであり、焼肉といえば冷麺一筋の冷麺ドアホであったといってもいい。そのうちにチャンジャ(タラの胃袋の塩辛的キムチ)という素晴らしい食品にハマり、焼肉でビールや韓国焼酎を飲んだ後は白いご飯とチャンジャというパターンを得た。1990年代に東京に住んでいた頃に西武線の江古田駅の近くの「焼肉ハウス」(無難な名前のお店なのだが美味しい!)に時々行ったが、ここはチャンジャも美味しかったし冷麺も美味しいし、それらを注文する時間帯にはすでにネギふりタン塩やカルビやロースやハラミなどを食べていて両方注文して両方食べちゃうということはなかなかできなかった。いつも迷いに迷った。結局は「前回来た時はチャンジャでご飯を食べたから、今回は冷麺にしよう」というようなドラフト会議で第一回選択選手を指名する時のスカウトの心情でチョイスはしてみるものの、選ばなかった方のメニューがどうしても魅力的に見えてしまって困った。選んだ方も実に美味しいのに、困った。

b0061413_126223.jpg 今の私ならこういう選択肢も持っておきたい。シメというか、つまりは野球で言うならば9回に登板するクローザー的な役割でのチャンジャご飯や冷麺というのではなく、6回か7回の中継ぎに石焼ビビンバを登板させて、調子が良ければそのままクローザーも任せるという作戦である。チャンジャには複数のポディションがこなせる(おつまみにもなるし石焼ビビンバのおかずにもなる)守備固めとして入ってもらう。なかなかいい作戦である。ただ、家庭で石焼ビビンバを作る時の難点があった。あの専用の容器にして調理器具、すなわち石で出来ていてご飯を焼くことができるあの器がある家庭というものはそうそうない。20世紀の末に韓国に行った時に購入しようとしたけれどもスーツケースの中で割れているのは嫌だし機内に持ち込むと「凶器となる」と判断されることが頭をよぎって購入をためらった。しかし、考えてみれば普段から使いに使っているコッヘルもチタン製であり(ちょっと自慢)、チタンはレアアースであるけれども、鉱物であるということは広い意味においては「石」であるとも言えなくもない。というわけで、食器としてだけでなく久しぶりの調理器具としての活用。薪ストーブの上にコッヘルを置いてジュージュー景気のいい音をさせてコッヘル焼きビビンバとした。サンチュの葉で巻いたロースを食べ、キムチを食べ、テグタンスープを飲み、石(チタン)焼ビビンバを食べながら思ったけれど、案外と焼肉の夕食といっても栄養バランスはいい感じじゃないのかな?サンチュ・ベリィ・マッチ。


マーヒー加藤

コッヘルバックナンバー
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by kaneniwa | 2013-03-13 00:07 | 草外道
2013年 03月 11日

新自由主義の欠陥が私のなかではこういう形で明白になった

今日はあの東日本大震災から丸二年が経過した日。
仏事としては東日本大震災が起こった日に亡くなられた方々の三回忌だ。
そんな日のブログ記事にふさわしいものではないとは思いつつ、
今思っていることを書き綴りたい。

世界の災害史のようなものに目を向けた時に
そりゃ記録にも残っていないような太古の世界はわからないけれども、
驚くほど日本という国は大規模な自然災害を経験してきている。
東京、神戸といった都市も大震災を経験し
気候が温暖で一見住みやすそうなところは台風の通り道だ。
「助け合い」という言葉だって、あまりにもお手軽に使われ過ぎることも
あるだろうけれども日本の助け合いには年季が入っている。
助け合いに歴史がある。
助け合わなかったら生き残ってこれなかった経緯がある。

いい話になりそうになったところで「金の話かよ!」「経済のことかよ?」と言われそうだが、
TPP交渉において「車」と「コメを中心とした農作物」が報道の焦点になっているが
(車が除外されたとすれば、カーナビやオーディオなど関連商品を含めて日本は何を売る?)
注目すべきは「保険」がどうなるかということである。
コメに関して、それが何万石という事実上の通貨であった歴史や
稲作や主食としての文化面で語られることと同様に、
この災害の多い国において「共済」というものもあるように
共に支えあって助け合ってきた伝統や文化としても、
保険には単なるシステムや金融商品では終わらない何かを託してきたのではないか。

さて、新自由主義( New Liberalism)といっても定義は難しいけれども
市場原理をもとに多くの個人の利益を追求していく思想であると、
まずは簡単に定義しちゃいましょう。簡単過ぎるかな?

採算を取ることが困難なものや
競争力がないものについてはダメの烙印をおされて
「はい、努力してくださいね、そして努力してもダメなら整理してくださいね」
と言われちゃう。
いろんなジャンルのいろんなものに
採算性だけでダメの烙印を押しては可哀想ではないか?と思っても
新自由主義の論客には弁が立つ人材も多く
「もっと競争力を高められるように努力をしてもらわないといけない」
という主義主張を要所では具体的なデータや数字なんかもあげられて語られる。
多くの個人の利益を追求することだから朗々と語られちゃう。

私も新自由主義への反論は語りにくかった。
というよりも、語りたくてもあまりにも自分のなかで漠然としていたのだ。
新自由主義は時には霞ヶ関など国の体制にも踏み込む。
そして多くの個人の利益を追求する。
「努力して競争力を高めることのどこがいけないの?」
と言われると、その「どこがいけないのか」について踏み込んでいくには
自分の思考がぼんやりとし過ぎていた。
漠然とコスト重視(長い目で見ればコスト軽視と言える場合もたくさんある)の
弊害や競争による疲弊、その結果の格差の拡大などをあげて漠然と
「とにかくいけないさ」
と言うにとどまっていた。

ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、
共産主義者でなかったから何もしなかった。
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。
私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。
ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。
私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―
しかし、それは遅すぎた。

マルティン・ニーメラー(牧師・神学者)の言葉


新自由主義をナチスといっしょにしてしまったら
さすがに新自由主義の論客も怒ると思う。
怒らせることを目的の引用ではなく、
「自分に関係のないことであるとどこかで思っていて何もしなかった」
ことを言いたいのだ。

「多くの人々の利益」と言われたら、なかなか反論できない。
反論ができないままに洗脳さえされてしまって、
妙に効率的に行動することに拘りを深めたり、コスト計算にやっきになった。
「お得だ、お得だ」と言われたもので救われたり、商品で愛着ある宝物を得た
ためしがなかったくせに。
そして新自由主義のずっと以前からではあるけれども、
原子力発電所などは都市部に住む多くの人の利益のために
地方の過疎地がターゲットとなり建設されたのだ。
そして東日本大震災の天災の部分だけを取り上げても衝撃的なものばかりであるが、
原子力災害という人災において、
福島県飯舘村という電力会社から一円ももらっていないどころか
早くから太陽光発電などの自然エネルギー利用について意欲的であった村の大部分が
帰還困難区域となってしまった。
(事故直後から米軍関係者などアメリカ人に80キロ圏内をもって立ち入り禁止とした
 アメリカ合衆国は過去の核実験から憎らしいほど正確なデータを持っていたと
 今でも悔しくなることがある)

新自由主義の蔓延に無関心であったら大変なことになると、最初に思ったのが
「NHKのFM放送」
であった。

日本航空(JAL)に比べても何と経済規模の小さい問題を引き合いに出すのか?
と言われそうだが、実際にそうだった。

2006年の日本の総務大臣は竹中平蔵であった。
総務省は地方行財政や郵便事業も管轄であり、郵政民営化担当大臣を兼務の上で
総務大臣であることはおかしなことではなかった。
そして総務大臣は電波事業、つまりは公共・民放放送を担当する行政のトップである。
その竹中大臣(当時)の私的諮問機関である
「通信・放送の在り方に関する懇談会」が2006年の6月6日に、
「NHKのFM放送は廃止すべきである」
(数年前まで総務省のホームページでその報告は閲覧できていた)
という報告書をまとめたのであった。

これで目が覚めた。
確かに民放でのFMラジオ局がいくつも立ち上がり、
2006年の頃であればインターネットラジオというものもできていた。
NHKのFM放送は聴取率で言えば0,1%以下で計測不能の*が印された
業界用語で こめじるし【米印】 と言われる番組がとても多い。
当然、もしもこれが民放FM局であるならば、スポンサーが簡単につかない番組だらけだ。
聴取率をみればとても悪いNHKーFMは新自由主義の見解では
「不要で無駄なもの」だった。
速やかに切り捨てるべきものであった。
ただ、その主義主張をする側の問題点は
能楽、純邦楽、民謡、バロック音楽やメジャーではないクラシック音楽、オシャレではないJAZZ、
カントリー&ウエスタン、弾き語りのフォーク、合唱コンクール、ブラスバンドなどなど、
その分野に情熱を傾けていたりその分野の音楽を聴くことを
生きがいとする人々の姿が見えないことだった。
そして「少数だから、マニアックだから」と安易に切り捨てていく思想であった。
その思考がまったく文化的でないことも明白である。

特に地方において生活に密着していた鉄道、路線バスなども
「赤字であるから」と簡単に切り捨ててきた思考もこれに似ている。
毛細血管が詰まった体は、やがてその心臓部に致命的なしっぺ返しがある。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-03-11 03:03 | 草評
2013年 03月 09日

WBC台湾戦のテレビ観戦

昨夜のWBC第二ラウンドの台湾戦、延長10回の4−3の勝利、ヒヤヒヤだった。
2−3と追い込まれた状態での9回表の日本の攻撃、
バッターボックスに井端が入ったところで
「ここで鳥谷は二塁に盗塁するぞ!」
とテレビの前で宣言した。
その通りになり解説者の工藤公康が
「私の頭のなかに盗塁はありませんでした」
(もし盗塁失敗なら即ゲームセットになっていた状況でもあった)
とコメントして家族(一緒に観ていたのは息子だけですけれども…)に尊敬された。
「ここで井端がセンター前にヒットだ!」
と、これは予言というよりも願望をつぶやいただけだけれども
その通りになってますます尊敬された。

延長に入って10回表に中田の犠牲フライで勝ち越し、
「よし!誰だか知らんが抑えを頼むぞ!」
と言ったところでブルペンで投球する杉内がテレビに写ったが、
ブルペンのキャッチャーからの返球をポロリとグラブから落とした。
「侍ジャパンの杉内俊哉投手に不倫報道、『フライデー』にキス写真も」
というネットニュースを昼間に読んでいたので嫌な予感がした。
「頼む、杉内以外の投手で行ってくれ!」
と声に出した。
「なぜ杉内投手ではダメなのか?」
という息子の質問には大人の事情で答えられなかった。

ここで負けたとしてもまだ敗退とまでもいかないが、
ここまで粘った試合を落とすと私は侍ジャパンを弔いジャパンすることになっちゃう。
それまでに言ったことが的中していることで私を信頼するようになった息子も
10回表にマウンドに杉内が上がってヒットを2本打たれたところで
私といっしょに頭を抱え込んだのだが、最後はダブルプレー。
クラシック音楽のオペラの大作を鑑賞するような長い時間の観戦。
重苦しいながらも見事な作品であった。
捕れなかったけれどもスタンドに飛び込みつつファールを追った内川と
牧田投手のダイビングでのバント処理、そして鳥谷の盗塁と井端のタイムリーヒットが
とてもいいハイライトシーンであり、この一戦の価値を高めてくれたと思う。
プロ野球も開幕戦ぐらいはこういう価値をプレーする選手は表現してくれるけれども、
シーズン中にいくつも見せてくれたなら野球は盛り上がる。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-03-09 01:56