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2013年 05月 31日

投票率50%未満で平和憲法が維持されるという悪夢

最近の子どもに「未来の風景を描いてみてください」というと、
森のなかに家が立ち並んでいるというように緑の色を基調とした絵が多いという。
私が子どもの頃は1970年に大阪万博があったこともあり、
子どもながらに考える近代的な建物と乗り物を中心に描いていて
森とか海とか山とか川はあんまり描き込まなかったように思う。
何となくであるけれど、親世代から語られている知識のせいも確かにあるだろうけれど、
子ども自身が「緑がないと私たちに未来はない」と潜在的にも考えているような気もする。

もう5日前のニュースとなってしまうが、
東京都小平市で26日に都道建設計画を見直すべきかどうかを問う
東京都内初の住民投票が行われたが、
投票率は35.17%で、50%に達しなかったために市条例により不成立となった。
住民投票の当日有権者数14万5024人のうち5万1010人が投票したが
50%に満たなかったために開票されないという。
(ただし開票すべきであるという声も上がっている)

投票は、約50年前の昭和38年に都市計画決定された都道整備計画のうち、
小平市内を通る約1.4キロの区間について
「住民参加により見直す」か「見直しは必要ないとするか」のどちらかを選ぶ内容だった。

「見直しは必要ない」とする勢力は投票率が50%を越えないように
戦略的に棄権したのではないか?ということが
テレビのコメンテーターなどによって語られていたが、
私はそうではないと思う。
なぜなら小平市の小林正則市長が選ばれた時の市長選挙の投票率が
37%とちょっとしかなかったというではないか。
小平市には知り合いもいて申し訳ない意見であるけれども
市長選挙にしても今回の住民投票にしてもとても総意とは言えない。

論議の対象が原子力発電所であるか道路計画と森(雑木林)との
関係であるかの違いは確かに大きいけれども、新潟県の巻町(現在は新潟市)が
1996年の8月4日に 原発建設の是非を問う住民投票(反対派が圧勝)の
投票率は88%を越えていた。
是非を問う住民間の軋轢などの問題は確実にあったけれども
この投票結果がなければ新潟県内に柏崎刈羽以外にも
原子力発電所が出来ていた可能性が高かったのだ。

さて今回の小平市の投票結果、特にその有権者投票率を見て
憲法改正についての最悪のシナリオを思い浮かべてしまった。

衆参両院で三分の二以上の賛成をもって憲法改正の発議ができる。(憲法96条)
この三分の二以上というところのハードルを下げようという動きもあるけれども、
正々堂々とこの三分の二は維持すべきであると考える。
ただ憲法第九条を維持すべきであると考える人たちにとっても、
第一条から第百三条に至るまで「絶対に変えない」というのではなく、
他が改正されてもなおかつ九条はそのままであるということになって
それが平和憲法であるというポジティブな意義があると思う。

とにかく、憲法改正の発議がされると「国民の総意を問う」という手順に入る。
この国民投票については議論中でまだ決まっていなかったように思うが、
過半数という多数決は憲法の改正には軽すぎる(だから議員でも三分の二以上)ので
国民投票も66%以上の投票率があってしかるべきであると思う。
しかし、この66%という数字は昨今の衆議院選挙や参議院選挙の投票率を見れば
確実に上回るとは言い切れないような数字である。

仮に、国民投票が「全有権者の50%以上の投票率で有効」という、
憲法改正という重みを勘案しての最低限のラインになったとして
「それさえ下回ってしまう」という可能性があるように思う。
それこそ戦略的に
「国民投票を無効にするために棄権するか」
という人もいるかもしれない。

ただ、それでは世界はどう思うだろうか。
選挙権、投票権というものを獲得してきた歴史をもつ国々と、
現在、それを得ることを夢見ている国々は
「何という国があるの?」
と気持ち悪く思うだろう。
大事なことにどうでもいい国はどうでもいい国になっていくだろう。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-05-31 00:36 | 草評
2013年 05月 29日

草煩悩(7) ぺんてるの VICUÑA (ビクーニャ)

b0061413_0315282.jpg シリーズ7回目(全108回の予定)にして、3種類目のボールペンが登場。マニアというほどではないとは思うが「書く」という行為自体が(書くことの内容にもよるけれども)基本的に好きなので、まだまだ登場しまっせ。とはいえ 三菱鉛筆のパワータンク によって「ちょっといいボールペン」に目覚め、同じ三菱鉛筆の ジェットストリーム の新感覚の書き味と恐るべきコストパフォーマンス(だってどんな高級ペンよりも定価157円のジェットストリームの書き味の方が私にはいいもんなぁ)を見せつけられて「ボールペンという道具はこの2本があればいいな」と思っていた頃、ジェットストリームに対抗する(追随するとも表現できる)かのように「なめらかな書き味」「新開発のさらさら油性インク」などを旗印として出てきた商品であるこの VICUÑA (ビクーニャ)を試しに一本買った。これは私の正直な第一印象であるが「ジェットストリームを意識しすぎではないのか?」ということと「滑らかさを強調するあまりにさすがにこれでは滑りすぎでかえって書きにくいのではないか?」ということを感じた。それでしばらくの間は机のペン立てに入れてはいたものの使っていなかったのであるが、ある日、シャラポア(妻・日本人)が何かのメモの用事でこれを使った時に「あれっ?このボールペンは今まで使ったなかでダントツに書きやすい!」と、ものすごく気に入ってしまったのだ。ジェットストリームが常に置いてある家のなかで、そのジェットストリームの新感覚の滑らかさにはもうひとつピンと来なかったシャラポアではあったが、その新感覚がVICUÑAぐらいに強調されていたらツボにハマったようだ。また、私は男性で筆圧は昔から強めであるのに対して女性であるシャラポアの筆圧と書き方との相性が非常に良かったのではないかと思う。しばらくの間は「じゃ、私はパワータンクとジェットストリームを使い分けるから、シャラ(しゃらくせいのでシャラポアはシャラ)はVICUÑAね」ということで、妻の愛用品ではあったけれども私の愛用品ではなかった。 そこに変化が訪れたのが今年のお正月である。以前にも何回か書いたことがあるが、家では年賀状は返事を出す形でしか書かない。なので毎年、少しづつ年賀状の数は微減していっているのであるけれども「年賀状を出して喪中はがきの返信をいただく気まずさ」というものを何回か経験した後にそういうスタイルになった。微減したといっても元旦や三が日は年中行事のために比較的忙しく、そのなかで夜はシャラと共に何かひと言を添えて年賀状の宛名書きをしていくのであるが、その時にVICUÑAで書いていてランナーズ・ハイのような「ライターズ・ハイ」を経験したのである。つまりはエンドルフィン (endorphin) というのだろうか?脳内でわけのわからない神経伝達物質がジワジワとわき起こり、本来はモルヒネなどの成分を受容するはずの内在性オピオイドがVICUÑAのインクの滑り具合を受け入れはじめたのであった。年賀状を書き終えた後にも「ああ!何か書きたい!」という、ちょっとアブナイ気持ちが高まるという現象までが起こってしまったのであった。 VICUÑA (ビクーニャ)という何語なんだかわけのわからないネーミングも、このライターズ・ハイを経験した後では、なかなかいい名ではないかと思うようになった。「きゃりーぱみゅぱみゅ」なんて言いにくい名前も、いったん口にしてしまったらもう忘れられなくなるように、VICUÑA (ビクーニャ)という名称もいったん口にすると忘れられない。南アメリカ大陸のアンデス地方に棲息する草食性哺乳類の名前(学名:Vicugna vicugna)に由来しているそうなのであるが、語尾が「ニャ」で終わる感じ、しかも「クーニャっとしている」感じが出ていて良い。このボールペンの、何だかアブナイ部分をほめたついでに、アブナイ欠点も指摘しておきたいが、このボールペンのペンクリップ部分はプラスチックなのだが非常に軟弱である。実際に写真の手前の緑の方のクリップは折れている。是非とも改良していただきたいところである。 そんなヤツであるが、できれば『VICUÑA専用ノート』というものを作ってみたいなぁと考えている。もちろん、それは実用ではなくて趣味としてである。

マーヒー加藤

草煩悩バックナンバー
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by kaneniwa | 2013-05-29 01:29 | 物草
2013年 05月 27日

二刀流

松坂大輔のように打撃がいいというどころか強打者といっていいレベルの投手が
横浜高校から西武ライオンズというDH(指名打者)制を採用する
パ・リーグの球団から指名された時に、
その打撃が見られないということは残念であった。
松坂大輔本人も打つことが大好きであり、
確か入団の時の契約条件として
「週に1回は打撃練習をさせてくれること」
ということが盛り込まれていたと記憶している。

投手も打席に入るシステムであるセ・リーグの球団に入団していれば、
少なくとも自身が投げている試合はその打撃も見ることができていたのだ。

実際に2000年8月7日のオリックス戦では、9回2死満塁の場面で代打として登場し、
見事にセンター前に2点タイムリーヒットを打っているし、
2002年の日本シリーズでは伊原監督のもと9番や8番ではなく
先発投手として7番バッターとして起用されているし、
2006年6月9日のセ・パ交流戦の阪神タイガース戦では
ダーウィン・クビアン投手が投げ込んだ150km/hの速球を
2ランホームラン。
見事な打撃であった。

西武ライオンズからメジャーリーグに移籍する時も
投手が打席に入るナショナルリーグではなく
やはりDH制のもと、基本的には投手は打席には入らない
アメリカンリーグのボストン・レッドソックスに入る。
これは巨額な金が動いたこともあって
本人の意思というよりは代理人の意向ではあったので、
もしかしたら本人はナショナルリーグの球団に属したかったのかとも思う。

2007年の10月27日、
ワールドシリーズ第3戦・対ロッキーズ戦の3回表2死満塁の場面で
ジョシュ・フォッグの初球を叩き、メジャーリーグ移籍後初ヒットを放って2打点。
アメリカの取材陣が
「松阪という投手はバッティングがいいのか?」
としきりに日本から来ていた取材陣に問い合わせていたけれども
日本の野球ファンなら松阪のバッティングがいいのは常識であった。
しかし、パ・リーグとアメリカンリーグで、その機会があまりに少ないことの
残念さはあった。

34ホーマーをかっ飛ばした金田正一の現役時代こそ薄っすらとした記憶しかないが、
(金田正一の引退試合だけうっすらと覚えている)
阪神の江夏豊、巨人の堀内恒夫、中日の星野仙一など、セ・リーグの各球団の
エース級投手のバッティングの良さを見るのは、なかなかワクワクした。

それから後の時代にしても、
たとえば江川卓などは打つ気を見せなかった場面も多かったのであるが
法政大学時代には首位打者争いにも顔を出して、確か僅差で2位になったことが
あった(と記憶しているのだが…)というほどバッティングが良かった。

桑田真澄は、フィールディング(投手の野手としての守備)が大変に優れた投手で
あり、バッティングも野手的に良かったのであるが
打った後の走塁とスライディングまでお手本的に優れていた。

広島カープ(のちに巨人に移籍)の川口和久投手が、
左投げ投手なので左バッターであるのは当然だと思って見ていたが、
サウスポー同士の投げ合いの試合で右打席に入った時にはビックリした。
何と、当時の広島カープは高橋慶彦と正田耕三という
二人のスイッチヒッター(両打)を擁していると思っていて、
スタメンにスイッチヒッターが二人というだけもスゴイと思っていたが、
何と川口が投げる試合はスタメンにスイッチヒッターがが三人!

阪急ブレーブスの山口高志。
多くの名バッターに「山口高志のストレートがいちばん速い!」と言わしめ、
「プロ野球豪速球列伝」などの話には必ず名前が出てくるような伝説の投手。
太く短い現役生活8年の間、今と違って交流戦もなかったし、
滅多に公式戦のバッターボックスに立ったことはなかったけれども、
新人の年の1975年に日本シリーズの広島市民球場でのバッティングが凄かった。
相手投手は確か当時の広島カープの大エース外木場義郎であったと記憶しているが、
山口高志は170センチというプロ野球選手、特に投手としては小柄な体を
いっぱいいっぱいに使っての投球と同様に、全力のフルスィングで
左中間のフェンスに弾丸ライナーを当てる二塁打を放ったバッティングは見事だった。

こうして見ると、今の時期のようなセパ交流戦の最中か日本シリーズ中に
セ・リーグの本拠地球場で試合をやる時以外に、パ・リーグの投手は
いかに打撃の能力が優れていてたとしても打席に立つ機会はない。
(オールスターゲームで仰木監督がファンサービスで野茂英雄に代打を
 出さずにそのまま打席に送ったということはあったなぁ)

何となく、DH制に反対であるような趣旨の文章になったような気がするが、
そんなことはない。
打撃のいい投手の打撃を見ることと、鈍足・拙守でセ・リーグでは代打の切り札でしかない
選手の豪快なバッティングを見ることができることを秤にかけると、
DH制度があった方がいい。
アマチュア野球でも、国際大会などはほとんどがDH制度を導入しているのだから、
高校野球や大学野球でもDH制を導入した方がいいと思っている。
高校野球などでよくある「エースで4番」というような存在が居れば、
DH制のもとでその特権を利用しないスタメンにするという選択肢もあるのだ。

むしろ言いたいことは、最近のプロ野球のセ・リーグでは
せっかく投手が打席に立つシステムであるのに、
バント練習以外はほとんど打撃の練習をしないのか
「投手で強打者」と言えるような存在がほとんど見当たらないのが
とてもおもしろくない。
「敬遠」といえばかつては相手の4番バッターを文字通りに
「敬って遠ざける」という行為であったが、
今のセ・リーグの野球では8番バッターを敬遠して
9番の投手から確実にアウトを取ろうという戦術が多すぎる。
これはまったくおもしろくない。
結論的な意見とすれば、セ・リーグの投手は「せっかく打席に立てる」という、
打撃が好きなパ・リーグやメジャーのアメリカンリーグの投手にとっては
うらやましい環境にいるので、もっとバント以外の打撃練習に力を入れて欲しいということになる。

さて、このブログでの論評はもちろん北海道日本ハムファイターズで
投手と打者(野手)としての二刀流に挑んでいる大谷翔平を意識してのものである。
当初は野手出身の野球評論家は野手に専念して欲しいと願い、
投手出身の野球評論家は「157キロ以上の速球を投げる投手なんて世界に数人しかいない」
ということもあって投手への専念を望んでいる状況が続いていると思う。
私は二刀流をやればいいさぁ、と思う。
20歳前なんだから、自分が専念することなど決められなくて当たり前であり、
どっちもすでになかなか見せてくれるレベルにあるではないか。
それに、アメリカ合衆国にはボー・ジャクソンという
ものすごい二刀流がいて、メジャーリーグのシーズンが終わると
すぐにアメフトのランニングバックのスーパースターとして活躍し、
MLBのオールスターにもNFLのオールスターにも、
両方出場しちゃった。
それに比べれば、同じ野球なんだから。

元ロッテオリオンズの愛甲猛は、夏の甲子園の優勝投手であったこともあり、
当初は投手としてプロ入りしたこともあって打者(野手)としての転向が遅れた。

もっともっと古い話では何と言っても若い投手としてもそこそこの成績をおさめていた
あのベーブ・ルースで、もしも投手に見切りをつけていなかったら野球の歴史は
確実に変わっていた。

あの天才・長嶋茂雄さんにして
「生まれ変わったら何になりたいですか?」
「うーん、ピッチャー!」
と答えさせるほど、投手というのは魅力的な野球の花形だ。

だから、大谷翔平ほどの素質があれば投手としての思い入れは捨てられないと思う。
ただ、そこに「打撃もすごいよ」という特性も常に有していて欲しいと思う。
メジャーリーグに行くという時には、これは打者としてのウリも含めて
代理人なんかが奔走して主体的になっちゃうような世界だけれども
「ナショナル・リーグの球団じゃなきゃ嫌だ」
ということぐらいは言って欲しいと思う。

さて、最後になるけれども身近なところで私は応援したい
二刀流を志す若者と出会った。

法事で知り合った中学3年生の男子であるが、
彼は柔道部で熱心に柔道に取り組んでいる。
そして、お兄ちゃんがベースをやっている影響もあって
ロックバンドのギタリストでもある。
彼が志す二刀流は

「日本武道館で行われる柔道の大会に出場し、
 コンサート会場としての日本武道館のステージにも
 ギタリストとして立つ」


というものであり、その志を私は大いに気に入った。
誰もやったことがないようなことに挑戦する若者を見ることは、
実に気持ちがいい。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-05-27 15:32 | 草評
2013年 05月 25日

探偵ナイトスクープの 『ナギサちゃんに勝ちたい!』はドキュメンタリードラマの傑作だった

b0061413_18515645.jpg 一週間ほど前に、撮り溜めをしていた関西では人気番組である(関東ではあまり知られていない)『探偵!ナイトスクープ』をまとめて見た。『ナギサちゃんに勝ちたい!』という放送が、とんでもない名作であった。長崎県の男子小学生(8)からこんな依頼の手紙が届いた。「僕の家は転勤族でだいたい年に1度引越しをしています。今まで、北海道、青森、東京、横須賀、広島の呉と引越しをして現在は長崎の佐世保に住んでいます。僕は足の速さに自信があり、今まで負け知らずだったのですが去年の3月に佐世保に引越してきたら、クラスに僕よりも足の速い友達がいました。それは凪(ナギサ)ちゃん。女の子だけど学年でダントツの1番。勝ちたくて勝ちたくて仕方がないのですが、いつも抜かされてしまい、悔しくてたまらりません。どうか僕を特訓して、対決させて欲しいのです。凪ちゃんに勝ってから、引越しをしたいのです」というもの。引越し先から、お父さんの職業はおそらく自衛官なのだと思った。そしてその8歳の少年は精悍な顔をしており、受け答えも8歳とは思えないほどしっかりと礼儀正しいのであるが、自分より足が速いナギサちゃんに猛烈なライバル心を抱きつつも、どこかで尊敬しつつ好きなのではないかという感じがした。担当は長原成樹探偵であり、番組が用意した強力なコーチはNOBY T&F CLUBの山本慎吾コーチ。この人は小学生の100メートルの日本記録保持者であり、6年生の時に出した11秒73という記録は現在も破られていない。山本コーチは少年の走りを見て、まずは遠くの一点を見つめながら走ることをアドバイスした。これだけで上半身のブレが修正されて50メートル走のタイムは早速大幅に短縮された。そしてあとは本格的な陸上短距離走のスタート練習を徹底的にやるのであった。そして引越し前日、50メートル走の一本勝負が行われたのであるが、結果は子どもの頭ひとつ(わずか10センチほど)の差でナギサちゃんが勝つ。そしてその翌日、佐世保駅のホーム(私も母が佐世保出身なので見覚えがある)に少年を見送りに来たクラスメイトのなかにナギサちゃんも居た。ここで、広い意味では「やらせ」の範疇のなかに入るのであるとは思うが、これを「やらせ」とバカにしてしまったら世の中すべてのドキュメンタリードラマは成り立たないほど電車のなかからのカメラワークが素晴らしかった。お別れの特急が走りだした時に、その天才少女ナギサちゃんが猛スピードで走りだして追いかけてきたのだ。ただでさえ走る子どもの姿には感動するのだが、その走りの姿の良さ、そのスピードに惚れてしまう。『探偵!ナイトスクープ』の番組最後のクレジットには、昔から現在に至るまで構成作家として百田 尚樹(ひゃくた なおき)の名前があるのだが、こういう名作を見せつけられると最近の大ヒット作家としての成功もうなづける。 今日は6年生(長男)と1年生(末娘)が小学校の運動会だった。私は法事が二つ入っていて観戦できなかったが、母親(シャラポア・日本人)の声援を受け、長男はリレーで二人抜きを演じ、末娘は1年生離れしたナギサちゃん的な快足をみせてくれたそうだ。みんなニコニコしながら帰ってきた。数年前から運動会のお弁当はシャラポア(日本人)の花寿司と私が作るフライドチキンのセット。かろうじてフライドチキン作りで運動会に参加した。最後に、写真は8歳の頃、2009年の長男の運動会での走り。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-05-25 20:02 | 雑草
2013年 05月 23日

草仏教掲示板(53) 人が死んだ後に残るものは集めたものではなく与えたもの

b0061413_23363834.jpg 人が死んだ後に残るものは集めたものではなく与えたもの (ジェラール・シャンデリの言葉) この言葉はfacebookから採らせてもらったものだ。昨年あたりからfacebookやTwitterから掲示伝道の言葉をいただくこともよくある。ところが、このジェラール・シャンデリという人のことがよくわからない。私と同じくジェラール・シャンデリについて調べようとしている人がけっこういらっしゃるということだけがわかった。かろうじて分かったことを書けば、作家の三浦綾子さんの著作である『続・氷点』(角川文庫)の中に、ジェラール・シャンドリの言葉としてこの言葉が引用されており、それはフェデリコ・バルバロ著の『三分の黙想』(ドン・ボスコ社)という本に出ていて、そこからの孫引きであるとのことだ。フェデリコ・バルバロ(Federico Barbaro, 1913年 - 1996年)はイタリアの聖書学者である。とにかく、ジェラール・シャンデリについてはわからないことだらけであるが、この言葉を掲げさせていただいている。棺桶にご生前に愛聴されていたCDを入れようとされるご遺族がいらっしゃり「それは高温で焼くと粉々になってご遺骨と混ざってしまうので入れられません」と言われ、悲しそうな顔をしていらっしゃるところに立ち会うということがあって、そんな時は「燃やしたと思って私にくださいませんか」なんて言うことがある。そんな経緯で私のもとにやってきた奇妙なコレクションも、おそらく残っていかないのだろう。 東京の神保町の古本屋などで、前回に来た時には「あんまり本が充実していないなぁ」と感じたのに久しぶりに訪ねると非常にセットものが充実しているというようなことがある。…どなたかお亡くなりになったのだな…とそこで察するということもある。そんなわけで、最近、私は自分が金を出して買った新品のものでも「これは授かりものである」と考えるようにしている。

マーヒー加藤 文
シャラポア(日本人) 書
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by kaneniwa | 2013-05-23 23:55 | 草仏教
2013年 05月 21日

名曲草鑑賞(37) バッハのブランデンブルグ協奏曲

b0061413_22234938.jpg 先日、お葬式のお迎えに来た車のなかでバッハのブランデンブルグ協奏曲(Bach: Brandenburg Concerto)を聞いた。ブランデンブルグ協奏曲は1番から6番まであるけれども、何番かはよくわからないのでたぶん2番か3番だったと思うのだが(今日、ブランデンブルグ協奏曲を1番から6番まで90分間通して聴いて3番の第一楽章だと確信した)、それが車のなかで流れていた。クラシック音楽の特にバロック音楽にはあまり詳しくない私でもバッハのブランデンブルグ協奏曲は何となく「ノリ」で分かるのだ。それはCDやハードディスクに収録されたものではなくNHKのFM放送であったのだが、お迎えに来られた方はクラシック音楽が大好きな方だったようで「これはブランデンブルグ協奏曲でしょうか?」と問いかけると「よくご存知ですねぇ、その通りですよ!」と嬉しそうにハンドルを握りながらうなづいた。その時に「何と車のなかで聴く音楽として相応しいのだろうか!」と感じた。バッハの時代は日本で言えば江戸時代中期のあたりであり、乗り物はせいぜい馬車ぐらいしかなかったと思うのだが、何となく「疾走する感じ」があったり「ミズスマシが滑らかに水面を進む感じ」があったりする。もっともこれは私の主観で、誰もがそう思うわけではないとは思うが、実際にブランデンブルグ協奏曲の5番の第一楽章の主題は、スズキのラパンだったと思うが自動車のCMにも使われたことがあった。とにかく、その「疾走する感じ」が、私が「あっ、ブランデンブルグ協奏曲だ!」とわかる「ノリ」とか「グルーヴ感」なのである。 というわけで、最初は「30Gバイトも容量があれば一生大丈夫だろう」と思っていたカーオーディオのハードディスクもけっこういろんな音源で一杯になっていたわけであるが、たとえばベートーベンの第九交響曲、しかもフルトベングラーが指揮をしているような重厚なものは「CDもあるし、だいたい車のなかで聴くというものではないな」と消去した。チャイコフスキーのバイオリン協奏曲なんかは好きな曲であり、スキー場に向う車のなかで流した時などは窓の外の雪の風景ともマッチしてなかなか良かったのであるが、息子から「スキーに行く時にはもうちょっと軽い音楽を流して欲しい」と、小学生ながらなかなか真っ当と思う意見を言われていたので「これも車のなかで聴くものではないなぁ」と消去する。そうした作業のようなものをしてみると、いよいよ「クラシック音楽のジャンルのなかで車のなかで聴くのにブランデンブルグ協奏曲ほど相応しいものはないなぁ」という実感がある。主観であるものの、この実感は何だろう?と問うてみると…車という様々な部品が咬み合ってはじめてスムーズに走り出せるもののなかに居て、それをハンドル、アクセル、ブレーキなどを操作する感覚とこの協奏曲の構造がマッチするからだろう…という結論になった。イタリアのイ・ムジチ(I Musici)合奏団の演奏で、第3番の第2楽章のアダージョがわずか16秒しかないのだなぁ…。このイ・ムジチの演奏を聞き直して改めて驚くのは第5番の第一楽章の終盤。この部分はイ・ムジチ以外の盤を聴いてあまりに演奏が違ったのでカデンツァというのか「ここは即興演奏だよ」という指示がそもそも楽譜にあるのではないかと思うのだが、それにしてもイ・ムジチと組んだMaria Teresa Garattiという人の (1965年の録音)のハプシコード(チェンバロ)のソロが凄い!時代からすれば逆だが、キース・エマーソンのようなロックっぽさとJAZZのピアニストが即興で高揚した感じの激しさで、ピアノの原型である楽器にこのような力強さが秘められていたことに驚嘆する。そのソロの即興性が激しさを増しつつ徐々に混沌の世界に入って行き「おいおい、何処まで行ってしまうのかい?」と思ったまさにその瞬間に統制のとれたイ・ムジチの合奏が主題を奏でてこの世に引き戻してくれるのだから、もうたまらないっす。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-05-21 23:40 | 草評
2013年 05月 19日

コッヘル210番 コゴミのゴマドレッシング

b0061413_052525.jpg 5月上旬に投稿しようと思っていたけれども、グズグズしているうちに5月も下旬が近づいてきてしまった。コゴミと呼んでいるが、コゴメとも聞き、どうなっているんだろう?と調べてみれば正式名称はクサソテツ(草蘇鉄)というようで英語だと Ostrich fern(ダチョウシダ?) で学名はどのように発音していいのかわからないけれどもMatteuccia struthiopterisと言うようだ。英語も覚えたって外国で食べる機会なんてないからいいやと思いきやアメリカの北東部には自生しているという。大きくなったものをコゴメと言い、若芽をコゴミというらしいが、これはおばちゃんと呼ぶかおねえさんと呼ぶか迷った時にはおねえちゃんの方を優先するの法則で、食べるものはコゴミと呼んでおきたい。名称の解説で文章の大半を占めてしまったが、7歳の末娘は「モジャモジャ」と言う。なるほど英語のOstrich(ダチョウ)のモジャモジャの感じか。新鮮なものをサッと食べるには茹でて醤油、もしくは今回のようにゴマだれ系のドレッシングがいちばん手軽でいいと思う。もしくは青じそドレッシングか?調理の手間はほとんどかからない。モジャモジャがクルクルとウヨウヨ自生しているポイントもあるにはあるそうだが、大半は山のそれもけっこう奥で採れる山菜。山が大好きな方が採ってきていただいたものである。趣味とはいえそのお手間に比べて調理は実に簡単であったが、この簡単な食べ方がいちばん美味しくいただけると私は思う。

マーヒー加藤

コッヘルバックナンバー
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by kaneniwa | 2013-05-19 01:09 | 草外道
2013年 05月 17日

週刊朝日と朝日新聞は正攻法で論戦してください

1995(平成)年の9月4日
アメリカ海兵隊員2名とアメリカ海軍軍人1名が
12歳の女子小学生を集団強姦した強姦致傷および逮捕監禁事件があった。

当時のアメリカ太平洋軍司令官のリチャード・マッキー(Richard C. Macke)海軍大将は
事件について
「レンタカーを借りるぐらいの金で女が買えたのに」
という言葉を記者会見の最後に発し、それが女性差別発言として問題となり
1995(平成7)年の11月に更迭された。

その後彼はどうなったかというと、
予備役へ編入させられた際に少将に懲罰的降格となっている。

橋下徹大阪市長はこの重大な事件と海軍大将の問題発言を忘れてしまったのだろうか。
沖縄県の在日米軍に風俗業の活用を提案したことについて
「国も価値観も違う他国への話の仕方として不適切だった。僕に国際感覚がなかった」
と話し、表現が不適切だったことを認める一方で
「風俗業を活用すべきだ」
という主張は撤回せずに従軍慰安婦を巡る一連の発言についても問題なしとの考えを
昨日、市役所で記者団に語った。
何とわけのわからない撤回だろうか?
仕事が大変だろうからとか若くて血気盛んだろうかとか言っても
「だから風俗を大いに活用しましょうよ」
なんてことを言われて賛同されると思うのは、
国際感覚の欠如というより人間感覚が問われてしまう。

今まで、彼がかなりの無茶を言っても、たとえば
「七人の子どもの父親なんだから公立の学校のあり方には問題意識があって当然!」
というように、今まではかなり過激でかなり踏み外した発言さえ
かなり好意的に受け止められてきたということがあったと思う。
実際に人気があったし、その人気をもとにかなり過激なことを言っても喝采を浴びた。
しかし、これからはどうなんだろうか?

発売されたばかりの2012年10月26日号の『週刊朝日』をたまたま私は読んでいた。
関西から新潟に帰る時に長距離の深夜バスに乗るので
週刊誌をたくさん買い込んでいたからだ。
どう考えても、出自と遺伝子をもとに繰り広げられる橋下徹批判は
出版を生業とする者にとって許されざるものであり、
『週刊朝日』の謝罪は対応にしろ文章にしろ不徹底なものに感じた。
これに関しては今でも『週刊朝日』が全面的に悪いと思っている。

しかし、最近になって橋下徹大阪市長が『週刊朝日』に対して
「政策批判などの正攻法での批判記事ではなく、風評での悪口を書くな!」
という強烈な牽制球を投げた。
その牽制球の後、何か言い出すのではないかと、実は感じていた。

『週刊朝日』や『朝日新聞』は、正攻法で批判をすればいいと思う。
文楽など伝統芸能への補助のカットばかりが新聞や週刊誌で書かれてきたけれど、
たとえば 3月末をもって大阪府・市の補助金が廃止された
リバティ大阪(公益財団法人大阪人権博物館)のことなどをしっかりと報じてほしい。
人権教育に大きな役割を果たしてきたはずの場である。

このたび、正面から正攻法の批判ができないようなら
『週刊朝日』は、好きなコラムはいくつかあるけれども、ない方がいい。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-05-17 02:26 | 草評
2013年 05月 15日

草煩悩(6)「ヒルルクの桜」(ONE PIECE)のネクタイ

b0061413_0432824.jpg 毎日のようにネクタイをしていた頃もあったけれども、最近はごくたまにしかしない。今ではほとんどしないネクタイというものもあるのだが、他の衣料品とくらべてかさばらいこともあってけっこうある。それまで決定的に好きな一本というものも特になかったので、ここぞという時の「勝負ネクタイ」というようなものの選定には困った。しかし昨年の9月の私の誕生日に、三人の子どもたちから私に漫画の『ONE PIECE』のなかでも私が特に好きなエピソードのひとつである「ヒルルクの桜」をモチーフにしたネクタイを贈ってくれて、それがとても気に入っている。(AEONと集英社のコラボレーション商品だったそうだが、私が『ONE PIECE』の物語を気に入ったことを子どもたちは喜んでくれていたようだなぁ) ヒルルクって誰だ?という人には、多くの人々に愛されているトニートニー・チョッパーの師であると言うしかない。トニートニー・チョッパーって何者?という方には…「人はいつ死ぬと思う?…人に忘れられた時さ」という名言を残した物語のなかの人物であると答えるしかない。先週、世界中から東本願寺に人々が集まる場があった。日程中、和装とカジュアルという両極端なカッコをする機会が多かったが、ネクタイをする時にはこの「ヒルルクの桜」のネクタイをしていた。「ヒルルクの桜」であるということに気がついてくれた人はいなかったが、アメリカ人のレディがエレベーターのなかで「そのネクタイ、とってもラブリィ!」と言ってくれた。20年ぶりに会ったという方々がとても多かった。私が忘れていないということをとても喜んでくれたし、私のことを覚えてくれている人々にとても感激をした。だから、すでに北海道の桜も比叡山の山桜も散っている季節であるけれども、いつの季節でも久しぶりに大事な人と会う時のネクタイはこの「ヒルルクの桜」にしようと思った。

マーヒー加藤

草煩悩バックナンバー
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by kaneniwa | 2013-05-15 01:15 | 物草
2013年 05月 13日

ワグネル先生と合気道と強盗とお仏飯

b0061413_11124524.jpg ブラジルのサンパウロを拠点にしながらブラジル各地、時にはアルゼンチンやパラグアイにも出かけていた頃の日記を読むと我ながら激烈である。「昨夜はすぐ近くの交差点で激しい銃撃戦があったみたいで銃声が気になったけれど疲れていたので寝た」というようなことがサラッと書いてある。ただ、1991年の8月4日(日曜日)の出来事は「お仏飯」の思い出と共にいつまでも忘れることができない。この日は午前7時に晨朝(朝の礼拝)をするとカフェを飲み、午前中は数日後からのフォス・ド・イグアス(あのイグアスの滝のある町)付近を巡回していくお盆法要の打ち合わせをしていた。午後からNさんという人の13回忌法要を私が勤めている。参列者は40人とメモにある。その法要を私が担当して勤め終わり、ブラジル別院南米本願寺の事務所で衣に五条袈裟という法要の正装のままでワープロを打っている最中に見知らぬ男がドアを開けて事務所に飛び込んできた。電気工事の職人が不具合を確認しに来るということを聞いていたので「随分と落ち着きのない男が来たなぁ」とは思いつつ「ボア・タージ!」と私は挨拶し、その挨拶の返事がないことも気にせずに(後から呑気な大物だなぁと言われつつ)ワープロを打っていた。その数秒後、ワープロに向かう事務椅子に座っていた私の目の前に同僚のワグネル先生が飛び込んで来て、私の目の前で捕物帳が始まった。リオデジャネイロで日本の武道に魅せられ合気道六段でグレイシー流のブラジリアン柔術にも精通しているワグネル・ブロンゼリ先生は、その男を見事に投げて手首をとって取り押さえた。その男は強盗の二人組のうちの一人で、追われて逃げ場を失って、その時には私一人しか居なかった南米本願寺の事務所に逃げこんで来たのだ。ワークパンツのなかにはけっこう刃渡りが大きなナイフを持っており、ワグネル先生がその時もしも居なかったら私は二度とワープロなど打てない身になっていた可能性がある。

b0061413_11131255.jpg そのことだけでも充分に忘れらない一日であるのだが、190番(ブラジルでの警察への緊急連絡電話番号)に電話をかけて警察が到着するまでのわずか数分間に、私が奇跡のように今でも感じる出来事があった。カワバタさんという日系人で日曜日には法事への参列者にコーヒーなどを振る舞うボランティアに来てくださっていたおばちゃんが、ご本尊へのお供えのお仏飯でおにぎりを作っていたのだ。さらに何たる手際の良さか、法事のお供えものであるサンドイッチとお菓子を紙の箱に詰めていた。そしてワグネル先生に取り押さえられつつ「警察を呼ばないでくれ!」と泣き叫びながら乞う強盗犯に面と向かって、まるで悪いことをした幼い息子を叱りつつ優しくなだめるような母親の声で諭しつつ、お仏飯おにぎりを含むお供え物セットを差し出したのだ。強盗犯は、それからおとなしくなった。やって来た警察官の名前はフェルナンデス。(こういうこともメモしているのは我ながら几帳面ナンデス。)私にも事情聴取があってドキドキしながら応じた思い出がある。カッコは依然として五条袈裟に衣のまま。強盗犯には手錠がかけられたが、お供えセットは大切そうに持ったままだった。そのままパトカーに乗って連行されていったのだが、パトカーに乗る寸前に強盗犯は振り向いて「オブリガード!」(ありがとう)を3回言った。サンパウロは夕焼けが美しい大都会であるが、この日の夕焼けはいちだんとグラデーションが鮮烈で、それがパトカーの黒と白の色とともに目の奥に焼き付いている。


マーヒー加藤

※ 第11回世界同朋大会(東本願寺と京都リーガロイヤルホテルで先週開催)
  の晩餐会で合気道の実演を見せてくれたワグネル先生を見て
  ついつい思い出したことを書いた。
  ワグネル先生はまたいちだんと巨大化してしまったが、
  相変わらずの凄腕。
  同行して来日されていて私とは初対面だった奥さんはスレンダー美人でした。 
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by kaneniwa | 2013-05-13 12:35 | 雑草