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2013年 07月 30日

名曲草鑑賞(39) The Water Is Wide

二つの岸があるとする。
たとえば此岸と彼岸、
生と死というように断絶しているように見える世界を船で結びたい
という思いが溢れ出るような歌である。

The Water Is Wide という曲を初めて耳にしたのは
カーラ・ボノフ(Karla Bonoff)の声によってであった。
1979年に出た『ささやく夜』(原題はRestless Nights)というアルバムの
A面の(生まれた時からCDやダウンロード世代には何のことやらわからないだろう)
最初に入っていた曲が『涙に染めて』(原題はTrouble Again)であり、
当時(リアルタイム世代なのだ)はそこそこヒットしたように思う。
そして友人からLPを借りてこの9曲入り(何だかちょうどいいという気がする)の
アルバムを堪能したことがあるのだがB面の最後の曲が
『悲しみの水辺』という邦題がついていた(邦題つけ放題っス)
The Water Is Wide であった。

それからずいぶん長い間、The Water Is Wideのことを私は忘れていた。
それから5年後に中古でギターを買った時に、そのハードケースに
この『ささやく夜』のジャケット写真のカーラ・ボノフのステッカーが貼ってあった、
という因縁は感じたが、楽曲自体は最初に耳にしてから35年近く忘れていた。

今年の春に近所のピザハウスで宮本はつ菜さんがこの曲をギター弾き語りで演じてくれた。
今年の夏に阿知波一道さんが
君の書いた詩がこの曲に合う
と言ってくださり、半信半疑であったが、
ギターを持って私一人のために弾き語りをしてくださって、その世界に驚きつつ感動した。

そういうわけで、曲の存在自体はうっすらっと知っていながらも
この数ヶ月間ずっとこの曲が頭のなかで鳴っていたということがあるなか、
つい最近の7月16日の午後4時55分頃にこの曲をしっかりと耳にした。
京都の河原町に向うために梅田駅から阪急電車に乗り込んで、
FMラジオも一応は付いているiPod nanoのスイッチを入れて
大阪のFM.COCOLOにチューニングを合わせた直後だった。
「水の都・大阪」としての何かのイベントがあり、
「水」をテーマにした曲が流れるなかの締めくくりとしてこの曲が流れていたようだ。
薄暮というにはまだ若い時間帯ながら、夕陽に照らされる阪急電車の車内を
「これもまた船なのだ」
とじんわりと思わせてくれた力があった。

二つの岸、たとえば此岸と彼岸、
生と死というように断絶しているように見える世界を船で結びたい、
その思いが溢れ出るような歌である。

後追いで調べてわかったのだが
この曲は元々ケルト地方の伝承曲(アイルランド民謡)で作者不詳。
ただ、イギリス民謡という説もある。

私はリアルタイムでは知らないがピーター・ポール&マリーが
「There is a ship」
という曲名で発表して広く知られるようになったらしい。
1960年代のことで私はリアルタイムでは知らない。

ボブ・ディラン、ヘイリー、シャルロット・チャーチ、
白鳥英美子、藤田恵美、ルクプル、竹内まりやなど
さまざまなアーティストによってレコーディングされ
「TOXIC Audio」というアメリカのアカペラ・グループのバージョンが
トヨタのCMでも使われたこともあるそうだ。

私としてはやはりカーラ・ボノフ。
歌の後半にコーラスを添えているのは
何とジェームス・テイラー(James Taylor)と
ジョン・デヴィッド・サウザー(John David Souther)であるらしい。


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by kaneniwa | 2013-07-30 07:58 | 草評
2013年 07月 28日

コッヘル216番 手羽先の炭火焼

b0061413_22293957.jpg ハーベキューの時、火が安定してきて最高の状態になる前の炭で何を焼くべきか?というのは私にとってひとつの課題となっている。ひとつにはコッヘル29番のハンペンがその答えであった。コッヘル148番の皮つきトウモロコシの炭火焼を早々と仕込んでおくという手もあるが、これは何度かやってみてスタートというよりは熾火となって安定した炭の火力でじっくりと蒸し焼きにしていくのがいいとわかった。そこで今回は、焚き火台にのせたグリルの端で例によってハンペンはさっと焼いた(というより熱を通した)のであるが、絶好調となる前の炭火で鶏の手羽先を焼いてみた。仕上がりは、正直言って「あと20分後の状態の炭火で焼いた方がいい感じになる」とは思ったものの、バーベキューパーティ全体の構成としてはなかなかいいのではないか?と思った。コンサートの演出にたとえるならば、序盤に盛り上がる曲を置いた感じである。手羽先の先から炭に向かって落ちる適度な油が炭火を燃え上がらせ、コゲとの戦いという様相は呈してくるものの、なかなか華々しい。そして、まさにコッヘルがアウトドア向きの食器として活躍し、それを手で食べることになる。いかにテーブルマナーを極めたナイフ&フォーク使いの達人であろうとも、手羽先をそれでいただくことは難しいだろう。優れた箸の使い手であればナイフ&フォークよりはいいかもしれないがそれでも手づかみでガブリといって、それから口を上手く駆使しつつ骨の間の肉を食べていく原始人時代からの食べることの喜びに覚醒していくことの魅力にはかなわない。

b0061413_22295922.jpg 焚き火台の上に置かれたバーベキュー用グリルの端、囲炉裏でいうなら囲炉裏端でハンペンを焼いた跡が写真でわかる。その直後にこの手羽先の炭火焼をやって自然とバーベキューがにぎやかになってくる。それは手づかみで肉を食べるという原始人に帰った行為によって引き出されたにぎわいかもしれない。味つけは「塩だけ」というのが良かった。もちろん「塩&コショウ」というのも悪いはずがないのだが「塩だけ」の方がより中世以前に遡れるというか、このスタイルの原型の良さを味覚においても強く認識できる。我が家では時に秋冬シーズンにおいて鶏の手羽先が不可欠である 博多風鶏鍋 (実はまだこのコッヘルシリーズには未登場)を実によく食べるので、手羽先というものにはなじみがあるのだが、まったく別の手羽先の魅力が引き出される。つまりは博多風鶏鍋も実に優れた手羽先料理であると思ってはいるが、それは変化球である。それに対して塩味の炭火焼はど真ん中のストレートである。変化球もストレートも同じ手羽先から投じられている高いレベルの投球であるはずなのだが、同じ投手の持ち球であるとは思えないようなところがある。とにかくこういうワイルド系調理であるものの、じっくりと手羽先のストレートを味わうとその肉そのものが極めて上質であるなぁということも同時に感じてくる。正しいテーブルマナーにのっとってナイフ&フォークで扱いやすいのであればフレンチやイタリアンの名店でも堂々とエース、つまりメインデッシュとなれた逸材ではなかったかと思う。かつてアンディ・フグが存命であった頃、神田川俊郎がV字になっている河豚の尾を包丁で切って「フグはん、これでVやで、ヴィクトリーのVや!」と手渡してアンディが「カンダガワサン、アリガトウゴザイマス」と言っていた深夜のテレビでのシーンをなぜか思い出してしまったが、この手羽先という鶏の部位もまたV字をしているなぁ…と、食べながらなぜか思い出してしまったのであった。



マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2013-07-28 23:44 | 草外道
2013年 07月 27日

大阪梅田 かっぱ横丁 丸一屋

b0061413_2254726.jpg 先週、関西に飛行機往復で出張した際にクレジットカードが三枚入った財布を忘れて出かけてしまった。新潟空港のANAのチェックインカウンターで航空券を支払ったクレジットカードの提示を求められて、それで家に忘れてきてしまっていたことに気がついたのであった。最初は「たいへんな忘れ物をしてきてしまった!」と思ったのであるが、すでに払込をしていることはANAのパソコンで確認をしてくれ、復路のためにその証明の書類も出してくれて、最初に「しまった!」と思ったほどの不便さや不安感は実際にはなかったのであった。なぜならば、クレジットカードで支払う予定であった宿泊したホテルの料金を現金で払わねばならなかったのは確かに予定外ではあったのだが、その他飲食などに関して私は「もともとクレジットカードが使えないタイプのお店が好みなのだなぁ」という自分発見をしたのであった。持ちあわせていた現金は多いわけではなかったが、それがまたバイト料や仕送りが入る直前の学生時代などを思い出したりして、クレジットカードを持たずに出張した失態をけっこうポジティブに転化することができたのである。それで以前から気になっていた大阪の梅田駅の近くの「丸一屋」さんに入った。以前からここから発せられる異様なほどのおっさんたちの活気が気になっていたのである。午後4痔の開店のちょっと前、支度中の光景である。まずもってクレジットカードなど使えないことが分かる雰囲気と店の前のボードのメニュー表と値段の数字が手持ちの現金と照らしあわせても実に安心させてくれた。新潟からやって来たものとしては「どのような内容かはわからないが刺身などのお造り部門だけ安いとは言えない」と思うだけで、あとは実に安心できた。

b0061413_2263453.jpg 。ホンモノの「ディープ大阪」を知る人にとっては、ここはディープ大阪のほんの入口にしか過ぎないとは思うが、私は存分にそれを味わったのであった。一人であるからカウンター席に座る。私は真夏のおでん(ここでのメニュー上は「関東炊き」となっていた)を単品で何種類か注文したのであるが、秋冬のコンビニのレジ前に置いてあるおでんとほとんど変わらない値段であるのに、牛すじやゴボテンや大根の美味さに驚きつつ、さらにおツユの美味しさに舌鼓を打ったのであった。店内、テレビでNHKの大相撲名古屋場所の中継が無造作に放映されていて「昭和かよ!」と言いたくなるが、妙に心地いいぞ!夕方4時という早い時間の開店のしばらく後から、けっこうお客さんたちが入ってくる。たまたまだったのかもしれないが、この時、店内は見事におっさんばかり。女性客、カップルはもちろん若い男もおらずにおっさん率100%。「このメニュー、ブログに掲載したいので写真を撮らせてください」なんてことを言える雰囲気もゼロ。でも、わはは、妙に心地いいぞぉ!カウンターの左隣の白髪のおっさんは常連風でジャージにサンダルに野球帽(なぜか野球チームのものではなくて使い込んだラコステだった)で大阪デイリースポーツを読みながら「しかし鳥谷はいい選手になったなぁ」と店員さんに向かって言っている。一応の阪神タイガースウォッチャーの私からすれば、新人の年はともかく2年目以降から鳥谷敬はすでにいい選手であったように思っているのであるが、そんなことは口にしてはいけいない。そのひと言に左隣りのおっさんが親心をもちつつ鳥谷をウォッチし続けてきたプロセスが集約されているのだ。そしてカウンターの右隣のおっさんの二人組はちょっと高そうなネクタイに仕立てのいい感じのスーツを着ていて「この件に関してはK弁護士によく相談せなあかんで」という言葉が聞こえてきて、その件がどういう件なのか見当もつかないが、とにかく会社の重役風であって少なくとも管理職の二人組という感じであった。もしも等級がない客船があったとしたら、そのメインダイニングのあるべき姿はこんな感じなのかもしれないと思った。真上を阪急電車であると思うのだが、電車が走っていく音が頻繁に聞こえるこの場所は一種のガード下である。クレジットカードが役に立たない場所いうものは案外とパラダイスかもしれない。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-07-27 00:02 | 草評
2013年 07月 25日

草煩悩(10) Art & Lutherie (アート&ルシアー)のAmi

b0061413_0554094.jpg この1ヶ月間、ギターというものにご縁があるなぁとつくづく感じていた。この「草煩悩」の一連のシリーズは「物品」がテーマであり、今まではある程度使い込んだものを出してきた。今回は「何だかギターというものが気になるなぁ」という気持ちの高まりで、ずいぶんと久しぶりにマイ・ギターというものを購入したのでそれを紹介するという形だ。選んだのはArt & Lutherie (アート&ルシアー)というカナダ製のもので、Amiという製品だ。製作者の名づけの意図とは違うと思うけれども「南無阿弥陀仏」の「阿弥」だと私は勝手に思っている。写真を撮る時にサイズ比較用のウニを隣に置くことを失念してしまったのだが、フレットのサイズなどはほとんど普通のギターであり、パーラーサイズといって小振りなボディのギターである。実を言うと今年の4月に入ったばっかりの頃にシャラポア(妻・日本人)の友達(お母さん)から中学一年生になったばかりの娘さんがアコーステックギターを欲しがっているという相談のようなものを受けた。「新品のギターを買ってもらえるなら着るものなんかはずっとお姉ちゃんのお古でかまわない」と新中学生の本人が言っているということで「わはは、それなら買ってやった方が中学生時代のトータルでずっと安くつくかもしれませんね」とアドバイスするとお母さんの目も輝いた。ただお母さんが「でも、どんなギターを買ってやったらいいのかサッパリわからなくて…」と言ったので、成り行きで早速次の日にその母娘と一緒に楽器屋さんに同行することになった。知り合いの店員さんに思う存分試し弾きをさせていただくことをお願いして指一本で大人っぽい響きが出せるたいへんにお得な「Dのメジャーセブンス」というコード(和音)と、これは定石で初心者のうちから必ず習得する「G」のコードの抑え方だけを教え、そのお店の5万円以下のギターはほとんど全部を弾かせてもらった。新中学生の女の子はギターを弾きたいという思いが強いのでほとんどギターを持つのが初めてなのに「G」の音も「Dのメジャーセブンス」の音もなかなかきれいな音で響かせた。ただ、私は音よりも弾いている最中の女の子の表情に注目していた。だから、かなりの数のギターの試奏をさせてもらった後で「いちばん気に入ったギターを当ててみせようか?ズバリ、これだよね!」と、アート&ルシアーのAmiを指さすと女の子は「その通りです!」と即答したのであった。小振りなギターで中学一年生の女の子にはピッタリであったということもあるがAmiの音を出している時の表情がとびきり輝いて見えたのであった。

b0061413_056493.jpg 人様に、それも将来のある中学生にギターを教える資格などないのだけれども「C」と「G」と「D」ぐらいの三つのコードだけでとりあえずは完奏できてしまえる曲は何曲かあり、さらにそれに「Em」と「Am」というマイナーコードを覚えてもらうと歌もののバッキングということならかなりの数の曲が弾けちゃうので、そこまでは示唆することにした。その時にこのアート&ルシアーのAmiを借りてみると「おやっ?このギターはかなりいいぞ!」と感じた。まず鳴りがとってもいい。とてもパーラーサイズのギターの音とは思えないほどだ。このギターにはピックガード(ピックを使って弾く時にギター本体をピック傷から守るもの)というものが付いていないのであるが、皮肉なことにピックを使って出す音がいい。ひと言でいえば「ロックっぽいアコーステックサウンド」である。このロックっぽさはどこから来るのか?ということを私なりに考えてみた。オートバイや車でたとえるならば、大排気量で悠々とクルージングする感覚と対極の小排気量でのフル・スロットル感というか「ちょっとムリをしつつの全力疾走感」と言えばいいのか…とにかくその「ちょっとムリをしつつ」のところに精神の回転数が上がったロックぽさがあるのではないかというのが今のところの分析である。そういえば、古いアコーステックでのブルーズミュージックのなかでとびきりロックっぽいロバート・ジョンソンも、ギブソンL-1というやや小振りなギターを使用していた。旅から旅の人生で小振りなギターを使用していたという事情もあるかもしれないが、そこから醸し出される今につながるロック感というものがあると思う。ただ、アート&ルシアーのAmiはギブソンほど硬質な音ではない。ギブソンの音は「ギブソン女卑」ということわざが思いつきそうなほど男っぽく硬質だ。そんでもって「ギブソン女卑」の方が皮肉なことに女の子にモテそうな気もする。「四番マーチン、ホームラン」とか「今夜がYAMAHA」とか「七転びYairi」とか「そりゃTakamineの花だね」とか、そりゃどんなギターでもロックを弾けばロックっぽさというものは出るのは当たり前なのだが、とにかくアート&ルシアーのAmiの音はロックぽさを内に秘めている。そしてそれはギブソンに比べてきらびやかである。それはちょうど、これでギターを始めることになった中学生の女の子にも似合うような元気いっぱいのロックっぽさの響きのようだ。小柄な女の子が飛び跳ねるようなロックっぽさだ。そしてエイジングを経てそれはジャニス・ジョプリン的になっていくかもしれず、ビリー・ホリデイ的になっていくかもしれない(その人生は真似しない方がいいけれども…)可能性も併せて感じた。それでとうとう私も購入した。結果的にではあるが、中学生の持ち物を羨ましがって自分も購入してしまうというパターンの買物は人生で初めてかもしれない。その中学1年生の女の子と同じものを買う時に、ストーカーだと勘違いされないように色だけは違うものを選ぼうと寸前まで思っていたが、とうとう同じ黒塗りをチョイスしてしまった。真似をしても遠く足元にさえ及ばないし、だいたい真似をすること自体さえ私には困難なのだが、やっぱりロバート・ジョンソンの黒い小振りなギターからのロックっぽさへの憧れがあった。ギターファンが怒りそうなヘンな格言まがいのフレーズも入れたが、最後は 藪の中のつむじ曲がり さんが提唱した格言を引用したい。「かわいいギターには旅をさせろ」である。アート&ルシアーのAmiはかわいいギターだ。旅をさせてやりたいなぁ。


マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2013-07-25 09:27 | 物草
2013年 07月 23日

私立青音(ブルーノート)学園高校校歌

私立青音(ブルーノート)学園高校は架空の高校ですが、
そこの校歌を作ってみました。

朝日のようにさわやかに
誰かが誰かを愛してる
星に願いをかけてみて
クレオパトラの夢つかむんだ
嗚呼、煙が目にしみる
ストレート、ストレート、
ストレート、ノー、チェイサー


マーヒー加藤(作詞)
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by kaneniwa | 2013-07-23 23:03 | 草音
2013年 07月 20日

HealingArtとハラダイスカウンターショー

b0061413_11224974.jpg 最初は野球、それも高校野球の話題から入る。北海道の帯広大谷高校が旭川南高校に地区大会(北北海道)の決勝戦に4−3で勝利し、甲子園球場で行われる夏の全国大会への出場を決めた。春夏通じて初出場となる。私が中学3年生の時に、早く家を出たかったので高校受験の際には全国の真宗大谷派系列の高校は視野に入っていたが、どんなに成績を上げたとしても帯広大谷高校には入学することは不可能だった。なぜならばその当時の帯広大谷は女子校であったからだ。1993年から男女共学となり、野球部はまず愛好会として内野の面積しかない幼稚園のグランドを借りての練習からのスタートだった。心からおめでとうを言いたい。さて、本題に入っていくが「今月は何だかギターに深いご縁があるなぁ」と思っていたが特に7月7日と、それから10日も経たない7月16日に関東と関西、真宗寺院とラーメン屋さん、クールなインストゥルメンタル(ボーカルなし)と熱いボーカル、プラグドとアンプラグドという見事な対比でそれぞれアコーステックギターのディオに接したのであった。まずは東京の真宗寺院で接したHealingArtのお二人。写真右側の倉前太郎さんが、野球部ではないもののその帯広大谷高校出身である。演奏中の写真は倉前さんのfacebookのアルバムからお借りした。プロカメラマンのtanamaさんが当日撮られたものであると思う。新宿区原町の専行寺様でワシの法話があってその後にこのHealingArtのライブがあるということで、最初は正直言ってワシが語ることとその音楽にあまりの隔離があっては困るのぉと思っていた。ただ、専行寺のご住職である平松さんから「HealingArtのお二人は余命を宣告されたご門徒さんの家のホームパーティに出向いて渾身の演奏をされたこともあるのですよ」というエピソードを伺ってからまずはYouTubeなどで演奏に接し、この二人に会えることがとても楽しみになっていた。地方局とはいえ、すでにテレビ番組のオープニング・テーマやエンディングテーマにも楽曲が採用されている。心地良い曲やキャッチーなメロディの曲が満載であったが、アンコールでやっていただいた「線香花火」というナンバーがとても良かった。「線香花火」では倉前太郎さんの相棒、矢崎数馬さん(写真左側)がマーチンOOO(スリーオー)をボトルネックを使ってスライド・ギターをやったのであるが、それが和風だったのだ。ボトルネックの和風というのは今まで聴いた覚えがない新鮮で不思議な響きであった。どんな音階かわからない中間音や経過音が、和風であることによっていろんな思い出物語を紡ぎだしてくれるような魅力を感じた。特に、この二人が世界に出ていくということがあれば、追求していって欲しい世界だと感じた。そして専行寺様とのご縁をきっかけに「線香花火」から「線香」という曲も生み出して欲しいと真面目に思った。

b0061413_11231413.jpg さて、次は西の方。7月16日の夜のことだ。京都の一乗寺の焼肉屋の「いちなん」さんに行って焼肉をたっぷり喰ってスタミナ補給をしようと思っていた。すると店主のKEVIN兄さんは「今日は俺んところじゃなくて珍遊さんというこの近くのラーメン屋さんに行ってくれよ。そこで飲んでライブを聴いてラーメンを食べてきてくれよ。ハラダユキヒロ(原田博行)という俺の弟分がやるんだよ、絶対にいいぞ!」と言った。年に数回ながら、こっちはKEVIN兄さんのお店でたっぷり焼肉を食いつつたっぷり飲んで金を使おうと思っているのに、何と人がいいのかと思いつつもマーヒー加藤としての私もまたKEVIN兄さんの弟分であるので、その指示に従うように徒歩3分でその珍遊さんというラーメン店に向かった。ハラダユキヒロさん(写真左側の赤白ボーダー帽)は山崎さん(写真で右側)というギブソン(ギター)と婚約者(美人!)をひっさげてきたギタリストとディオを組み、「ハラダイスカウンターショー」をラーメン店内で展開していた。ハラダユキヒロさんはやり投げのディーン元気選手に似ている。特に笑顔いっぱいで歌い、ギターで間奏を弾く時はディーン元気選手がやり投げで会心の投擲をした後の表情にソックリであると感じた。マイクは使わないもののMC(マイクコメント)も実にDJ的で軽快だ。そして唐揚げや餃子などラーメン屋さんのサイドメニューがオードブル的に並べられ、レモンチューハイをジョッキでいただきつつサウンドを聴く。一部は「てくてく」「Heaven」「珍遊サウンドロゴ」「日曜日の午後」「No rain no rainbow」ときて、一部の最後がこの日のために書き上げて作り上げたという「ラーメン気分」が披露される。初めて耳にする楽曲ばかりなのにパワフルにしてキャッチー!グイグイと押してくるサウンドだ。♪ラーメンです!ラーメンです!のフレーズは、もはやラーメン以外のものは口にしたくなくなるほどの説得力があった。そしてライブのハーフタイム(休憩時間)には珍遊さんのラーメンが各席に登場。曲順のみならず見事な構成だ。ハーフタイムがラーメンタイム。そして第二部がはじまって「はればれ」「No.2」「お仕事お仕事」「アイ・ラブ・ユーでユー・ラブ・ミーでアイ・ラブ・ミー」というオーダー順に曲が並び、追加オーダー(アンコール)に「モスト・バリアブル」と「彼方に想像と予感」という曲が披露された。 このブログ記事で先に書いた方のHealingArtさんのアンケート用紙に「どこでライブをやったらおもしろいと思いますか?」という項目があり、そういうことをその場で考えてみた。(1)季節外れの静かな海の家(2)2時間30分で新潟市と佐渡の両津港を結ぶ佐渡汽船フェリーのなか(3)モンベルやパタゴニアのようなアウトドアショップでのインストア・ライブ(4)キャンプ場、というようなことを書いたと思う。そういうことを考えさせていただいて10日も経たないうちにラーメン屋さんでのライブに巡りあうことができるとはエンカウンター(予期せぬ出会い)であった。実は私の所属する寺院にも「ライブをやりませんか?」あるいは「やらせてもらえませんか?」というオファーがいくつかあるが、こりゃ町中のおもしろそうな場所の方が先だなぁ…と感じた。実際、近所のピザハウスでのライブは実に良かった。昨日も寺のご本尊の仏花を買いになじみの花屋さんに行ったのだが「HealingArtとハラダイスの両方のサウンドがマッチする場はこの花屋さんぐらいだよなぁ…そうするとここら辺がステージでお客さんは椅子を出してここら辺に座ってもらうのかなぁ…」なんてことを考えてしまった。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-07-20 17:24
2013年 07月 18日

祇園祭の珍名景、これがホンマの分離信号ちゃいますか!?

b0061413_23203398.jpg そうか、全部を書き終わってから気がついたのだが、最初に交差点に信号機がないところの写真を1枚入れておかないと読んでくださった方は何のことであるかまったくわからないのだなぁ。全部の文章を書き終えたあとで文章を書き直すのは面倒臭いので、ちょっとかっちょ悪いけれども四条東洞院の交差点に信号がないところの写真である。そして次につながわるわけだ。

b0061413_2310341.jpg 祇園祭を見物に行ってきたというわけではないのだが、用時があって京都に行った日が宵山の夜で、そしてその翌日の山鉾巡行の日にこの珍名景にはち合わせることができたのであった。このクレーン車でいったいどのような作業が行われていたかというと、山鉾が四条通りを進むには、信号や道路標識が邪魔になってしまうので、信号機や道路標識は外したり収納できるようになっていたりする。 そのいったん収納した信号を戻している作業の場面に出くわしたわけだ。京都市内を市電が走っている時代にはこの作業はなかった。なかったというよりも市電の電線を外すわけにはいかないのでムリだった。ある意味、市電がなくなって地下鉄が通ってから、こうして信号機や標識を収納することなどによって昔に戻せたという面もあるだろう。

b0061413_23105952.jpg 「歩車分離信号」と書いてあるのだけれども、まさかこの信号自体が分離するとは思わなかった。交通整理や警備にあたっているお巡りさんたちに、FIFAワールドカップの出場を決めた日のスクランブル交差点の警備と誘導にあたったDJポリスの影響があるのではないかということを感じた。この写真を撮っている時にも「お兄さん、ここを写真に撮るなんてホンマに祇園祭のツウやなぁ」と実にフレンドリーに話しかけてきた。祇園祭で暴動を起こそうなんて考えてはいないけれども、そのフレンドリーさはいいことのように感じた。そして、この信号の作業をしている方は、山鉾の上に乗っている人にも、その高さといい誇らしげな表情といい、まったくひけをとらないなぁと思った。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-07-18 23:36 | 草評
2013年 07月 16日

ギオン祭り

コンチキチーン、
コンチキチン、
ザワザワ
ギギギー
ピーヒャラ
ガヤガヤ
コンチキチーン

擬音祭り


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-07-16 09:49 | 雑草
2013年 07月 16日

ギオン祭り

コンチキチーン、
コンチキチン、
ザワザワ
ギギギー
ピーヒャラ
ガヤガヤ
コンチキチーン

擬音祭り


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-07-16 09:49 | 雑草
2013年 07月 14日

コッヘル215番 真夏のちらし寿司(変則かっぱ)

b0061413_22411570.jpg 6月下旬に北海道から帰宅した時には「やっぱり本州は暑いな」と感じたのだが、先週末は東京都内に居て日曜日の夜に帰宅した時には「やっぱりこっちはちょっと涼しいや」と感じたのであった。東京の雑踏のなかで参院選の演説(というには軽いラジオのパーソナリティ系のMC)をしていた桐島ローランドも暑そうだった。とはいっても今回の猛暑は西日本の大部分と関東地方を直撃したが、これからの季節にはまだまだ暑さへの警戒と対策が必要である。食べることも栄養補給をもって熱中症対策をとるという意味も含めて重要である。「今日は暑いなぁ」という日によく登場するメニューは「冷やし中華」である。冷やし中華というものを「麺も付いてくる中華風のサラダ」と考えると連日食べてもそんなに飽きないし、このコッヘルシリーズにも初期の頃に4つ登場しているように、それなりのバリエーションもある。ただ「中華麺ではなくて、やはり暑い真夏でも主食たるお米をたっぷり食べたい」という家族の要望に答えて少し実験的な要素も含めて考案したのがこのコッヘル215番となった真夏のちらし寿司(変則かっぱ)であった。

b0061413_22413553.jpg 作り方は別に難しくない。というよりも、いろんなものを煮込んだ混ぜ物を混ぜるようなタイプのちらし寿司を作る時よりも混ぜ物は細切りにしたキュウリに一本化しているのでむしろ楽である。混ぜ物はキュウリに一本化したとはいっても、キュウリはたっぷり十本使った。いや、11本だったかもしれない。12本だったかな?とにかく細切りに切り刻んだキュウリの方にも軽く酢をまいている。寿司桶のなかで酢飯はいつもの通りであらかじめ作って、粗熱をとってほとんど冷めた状態にしておく。まず酢飯であるということだけで真夏でも食欲はわいてくる。酢の防腐効果もあって安心でもあり、少し固めに炊いた米に酢がまわってちょうどよくなっている感じもいいし、そして何よりも酸味自体が美味しい。回転寿司などで「サラダ巻き」というようなメニューもあるが、これを作るまで案外と気がつかなかったことであるが、酢飯というものは酢を混ぜてかき回して米全体に行き渡らした時点で、すでに「米のサラダである」といえるような状態になっているのではないだろうか。そしてそれはSUSHIが世界に普及していった理由のひとつでもあるかもしれないと思った。

b0061413_22414947.jpg 熱が去ってほとんど冷めた状態の酢飯にキュウリを投入してかき回していく。ミドリのキュウリが全体にまんべんなく散らされることによって、白くて見えにくかったためにダマ状になっていた米塊の部分も解消されていく。実はこの時点でノリで巻いて手巻き寿司にしつつ「変則のかっぱ巻きだよーん」と食べてみた。それがなかなか、それだけで充分に美味かった。次に同じものにワサビを塗って食べてみた。かなり美味かった!実験的な要素ももちつつの調理であったが、実験という意味では大成功といってよかろうと思う。家族が次々とその「変則かっぱ巻き」の味見にやってきたので、最初の写真の刺身などをトッピングしての完成形にもっていくまでの間にけっこうなくなったのであるが、それも実験成功の代償であるといえよう。さて、終盤にきて話は脱線するが2002年に新潟市を中心とする新潟県内でかっぱ巻きがブームになったことがある。なぜかというと新潟スタジアムでFIFAワールドカップのイングランド対デンマーク戦があり、新潟のホテルに逗留していたイングランドチームにかっぱ巻きが大人気で、特に人気絶頂であったデビッド・ベッカムが好んでかっぱ巻きを大量摂取していたという情報が流れたからであった。ただ、その理由はよくわかる。ひとつにはいかに生魚をのせたにぎり鮨が美味いといっても大事な一戦を前にして生魚をたくさん食べてはリスクが大きかったということと、イングランドにはアフタヌーンティーの定番であるといわれている(らしい)「キュウリだけのサンドイッチ」という伝統メニューがあるから、かっぱ巻きには親しみを強く感じたのであろうと推測する。このたっぷりキュウリを混ぜた酢飯を「フレディまあキュウリ」(フレディ・マーキュリー)と命名しようかとも思ったが、QUEENのファンに怒られるのでやめた。


マーヒー加藤

コッヘルバックナンバー
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by kaneniwa | 2013-07-14 23:50 | 草外道