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2013年 08月 31日

草煩悩(11) TEAC(ティアック)の小型スピーカー S-300

b0061413_2357506.jpg 20歳代の頃というとかなり前になってしまうが、その時の未来予想図とは異なっていることがある。その頃、周囲は車に金をかけている人たちがたくさんいたが、自分が50歳になる頃に自分は車は大衆車に乗っているだろうが部屋には高級オーディオが置いてあるのではないかと想像していた。ネピアから「鼻セレブ」というちょっと高級なティッシュが発売された時にそのネーミングに笑ったが、私は耳だけには贅沢をする「耳セレブ」でありたかった。そしてその未来予想図から今を見れば、大衆車に乗っていることは当っているが高級オーディオと言えるものは持っていない。世間を見ても車をローンで買う人はたくさん居ても、ピュアオーディオをローンを組んでまで買おうという人にはあまり会わない。消費者物価指数というものを見てもiPodなどの携帯オーディオとその関連でヘッドフォンは指数に入っているが、ミニコンポなんかも含めたとしても消費者物価指数という統計にさえサンプルとして適用できなくなったほどに市場規模が縮小してしまった。実際にパソコンやテレビとは関係ないピュアオーディオ用のスピーカーを買いに行くとしても普通の家電量販店には置いていない。実際に自分の生活のなかでも音楽を聴く場は車のなかがいちばん多く、その次はパソコン、その次が携帯オーディオ(iPod nano)という順序になってしまっている。それでも、ピュアオーディオのスピーカーから音楽を聴く時間は少なくなったとしても大事にしたいと思っている。その音を聴いた瞬間にコンビニで売っている食品に慣れている時にしっかりした鍋料理なんかを食べた時のような気持ちになる。 さて、学生時代にバイト先のジャズ喫茶で超高級オーディオをいじりまくった私でありその良さは知っているつもりだが、同時にレコード会社や放送局といったところまでを含めてプロ用のスタジオでもYAMAHAのNS-10Mが置かれていて(雑誌などでもそういうところが目に入ったし、実際にお邪魔させてもらったこともあります)「何だ、どんなジャンルの最新録音ものでも最終的にNS-10Mで音のバランスや細部をチェックしているのなら、これより高級だったり大きなスピーカーは要らないじゃないか!」と思ってしまった。そのペアで5万円という価格のNS-10Mの購入を考えていたところ、1989年 のことであるが発売されたばかりのTEAC(ティアック)の S-300 というスピーカーがYAMAHAとBOSEの間に置いてあった。当時のTEACはテープデッキのメーカーとしては超一流として知られていたが、正直言ってスピーカーはなじみがなかった。マニアックなことを言えばTEACはタンノイというイギリスのスピーカーの輸入代理店もやっていたので、同軸2ウェイ方式という本家タンノイの設計を真似てウケ狙いで作ってみたのか?と思ったが、試聴をさせてもらってピアノがちゃんとピアノの音がすることに驚いた。そんなの当たり前だ!と怒られそうだが、当時の小型のスピーカーのピアノの音は、ラジオからのラジオ体操のピアノ伴奏の音は極端にしてもそういう音の延長線上にあったような気がする。さらに1980年代の小型スピーカーは「BOSE丸儲け」と言われるほど、懐かしのカフェバーを中心にBOSEの101MMが取り付けられていたのだが、何というか音響心理学の方で響きを快適にまさにBGMにうってつけのBOSEよりもTEACの方に音のリアルさをビシビシ感じた。しかもNS-10Mよりも2万円安いこともあって即決。嬉しいことにこのTEACのS-300は生き馬の目を抜く20年以上前のその時からのロングセラー商品となり、さらにはこのたびS-300NEOとして基本設計はそのままに後継機種も出ている。私の直感は間違っていなかった。

マーヒー加藤

草煩悩バックナンバー
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by kaneniwa | 2013-08-31 00:56 | 物草
2013年 08月 29日

草仏教掲示板(55) 余命というものがそうじゃない命とどう違うのか

b0061413_18242223.jpg 「余命というものがそうじゃない命とどう違うのか」という伊集院静のこの言葉は、週刊誌(週刊文春です)のなかの「伊集院静の『悩むが花』」のコラムというか読者相談コーナーのなかにあった言葉である。その相談自体は半年以上前のことであるから忘れてしまったのであるが、伊集院静は若くして余命というものを宣告されて亡くなった夏目雅子とともにその期間を夫婦として生きたのだなぁ…という思いとともにこの言葉だけがずっとずっと頭に残っていた。なぜこの言葉が頭から離れないかといえば、これは伊集院静自身の自問のような言葉でありつつ、それは私のようなものにも問いかけをおこしてくるからだろう。 この言葉自体とは直接は関係ないけれども最近『ホテルローヤル』で直木賞を授賞した桜木紫乃から、ちょっといい話を聞いた。桜木紫乃は2002年にオール読物新人賞を授賞して小説家としてデビューした後で伊集院静の『羊の目』という小説を読み、価値観というものは人の数だけあり、誰にも決められないと教えられたという。ラブホテル屋の娘であるということも自分でいいやと思っていればいいし、そうすると親の生き方も肯定できるようになったそうだ。直木賞を授賞した時に「神崎武美」という人から花が届いたという。最初はまったく気がつかなかったが、桜木紫乃が部屋で一人、ほっと一息入れた時に、その「神崎武美」という名前が『羊の目』の主人公の名前であったこと、つまりは伊集院静からの花であったことにハッと気がついたという。物語のなかの架空の名前というものが、そうじゃない名前とどう違うのか、粋な大人の流儀である。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-08-29 18:44 | 草仏教
2013年 08月 27日

第26回全日本高校・大学ダンスフェスティバルのテレビ放映を観て

『第26回全日本高校・大学ダンスフェスティバル(神戸)』というものが
放映されていて、私は間違って録画をしていた。
間違って録画をしていて、そのタイトルを見てさらに勘違いを重ねて
スポーティでビートが効いたものを想像しつつ、サッと見てサッと消そうと、
そう考えていた。

ところが、それはいわゆる創作ダンスというものの学生全国大会であって、
実に魅入ってしまったのであった。
特に神戸市長賞(新境地を切り開く独創的な発想の探求に対して)
を授賞した新潟県立新潟南高等学校 の
「草間彌生 ー囚われし抑圧からの解放ー」
という題名の創作ダンス、
そして特別賞(主題にふさわしい演出効果)
を授賞した新潟明訓高等学校ダンス部 の
「運命にあらがう蛹(さなぎ)ーおさまらぬ身体ー」
という題名の創作ダンスに唸ってしまった。

入賞団体のなかで新潟県内の公立と私立の二つの高等学校の名前をあげたが、
それは新潟県内の高校がこの分野で努力をして活躍しているということを
恥ずかしながら初めて知った驚きでもあった。

新潟県立新潟南高等学校 
「草間彌生 ー囚われし抑圧からの解放ー」

高校野球が監督や部長やコーチまでは高校生ではないのと一緒で、
この創作ダンスを作り上げて練り上げたのは指導者であると思う。
それにしても、たぶん「抑圧」を表現しているであろう黒のコスチュームの
男子部員の驚くべき身体能力と舞踊としての完成度が素晴らしいかった。
最終的に赤地に白の水玉模様の大風呂敷が出てきて、
それを中心に舞台のなかのすべてが回転し、
草間彌生自身をたぶん表現している主人公らしき女子部員の
「解放」を表現する舞踊は圧巻であった。
草間彌生という芸術家の固有名詞を堂々と創作ダンスのタイトルにしていることもあって、
その感想を文字にすることは至難の業であるが、
率直な受け止めを述べるならば
「草間彌生の頭のなかって、たぶんこうなっている」
と想った。

新潟明訓高等学校ダンス部の
「運命にあらがう蛹(さなぎ)ーおさまらぬ身体ー」
の方であるが、
高校生の芸術表現に対して商業的な記述は自分でも不謹慎には思うが、
この創作ダンスは、何か新しいものに挑戦し、何か新分野を開拓しようとしている
アーティストのコンサートのオープニングアクトに登場したなら、
万雷の声援が飛び交うような内容があったのではないかと感じた。
そのダイナミズムは高校生が演じたことにより、いっそう輝くのであるが
脱皮をしていくという本能に対する若き苦悩のようなものが感じられた。
素直に感動した。
ただ、すぐに商業的なことを思うあたりは素直だとは言えない。

来週50歳になる私の頭のなかに、いろいろな音楽が鳴っているが、
いつも循環する定形のコード進行やクラシックのきれいな音楽が鳴っているわけではない。
気を許せば好きではないはずのフリージャズのような音楽がけっこう鳴っている。
前衛的現代音楽のようなものがけっこう鳴っている。
それを視覚に喩えるなら、
この間違えて録画をした
第26回全日本高校・大学ダンスフェスティバルのテレビ放映の各高校や大学の
パフォーマンスは「前衛」というべきものが多いのであったが、
その「前衛」にかつて夢のなかで見たかのような光景にチューニングが合って
グッとつかまれてしまったようにも思う。
そしてその残像が夢にまで出てきそうな予感がものすごくするのであった。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-08-27 23:55 | 草評
2013年 08月 25日

胎内星まつりに行きました OraNoa(オラノア)さんの演奏が耳に残りました

b0061413_20454732.jpg「胎内星まつり」というのは1984年からはじまった。初期の段階から実行委員として活躍されている知り合いがいるので1回は参加してみなければとずっと思っていて、期間中の土曜日の夜の昨夜、ようやく念願かなって家族で訪れた。30年前のいちばん最初は天文やアウトドア好きの数人のグループの集会だったものが今や胎内市胎内平の丘陵 地の緑に囲まれた会場には国内外50社を越える望遠鏡 メーカーをはじめ、各販売店、おみやげ、グッズ、飲食ブースが開設されている。飲食ブースには普段顔なじみの商工会の職員さんなどの顔も見え、行きつけのモスバーガーも店を出していた。所狭しと望遠鏡 も並んで、人だかりが出来ていて「何だろう?」と覗いてみれば新作の望遠鏡の部品の発表などであり、非常に趣味的な世界が展開されているのだなぁと感じた。写真はほんの一角であるが、ものすごい出店の数である。そしてこの星まつりが行われている三日間の胎内平はキャンプでのテント泊も許可されているのだが、そのテントもまたものすごい数。駐車場も満杯で、午後7時から駐車できる胎内高原ゴルフ場の駐車場に車を止めて800メートルほど歩いて開場に向かった。知り合いたちは30年かけてものすごく大規模なイベントに育てていったのだなぁと感じた。

b0061413_2046661.jpg 胎内自然天文館(プラネタリウムもある)に併設されたステージではプロやアマチュアが混じったさまざまな演奏が繰り広げられていた。ギター&ボーカル、バンジョー、ウッドベースの三人組にゲストのキーボード奏者を加えたフォークバンド(すみません、とっても魅力的なグループだったのですが名前を忘れました)の演奏が終わった後、OraNoa(オラノア)さんという単独ミュージシャンがステージに登場した。ナイロン弦(クラシックギターだと思う)での弾き語りにはじまり、その演奏とアンニュイで妖しいボーカルに心をつかまれた後、次はどのような歌を聞かせてもらえるのか?と思いきや、おもむろにギターを置き、リコーダーを取り出して奏ではじめた。PAは通しているものの、その音は森に反響して明らかに周囲の空気を変えていた。それに聞き入っていたところはしゃぎまくっていた7歳の末娘が急に眠気を催して帰宅することになった。その場を去り難かったのだが、背中から聞こえてくるリコーダーの音もなかなか記憶に残るものになっていく気がする。

 
OraNoa(オラノア)さんの動画をいろいろと探してみた。いろんな方々といろいろなことをやられているようだ。いちばん私が聞いた雰囲気に近いのが、このわずか44秒で、私がYouTubeを開いた時に44回しか再生されていなかったこの動画であった。猛暑もこちらではおさまりつつあり、夏の終わりと秋の気配を感じる胎内平はとてもいい気候であった。テントは密集しているなかではなくもっとゆったりと張りたいと思うので、来年も宿泊はしないと思うけれども、是非ともOraNoa(オラノア)さんの音とは再会したいと思っているのである。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-08-25 22:45 | 草評
2013年 08月 24日

追悼記事(29) 藤圭子さん

まず、藤圭子さんの転落死についての諸報道が
国連の専門機関であるWHO・世界保健機関が定めた報道のガイドラインを
まったく無視しているということをお伝えしたい。
そのことについては法政大学の水島宏明教授の指摘に詳しい。

その上で、私自身の思い出を語りたい。

2001年の6月18日の毎日新聞の万能川柳欄に
埼玉県蕨市の あげあし鳥(柳名)さんの作品で

どことなく宇多田の歌にある演歌

という川柳が載った。
この作品に接して
「わ、ワシもずっーとそう思ってたんよ!」
という深い頷きというか、瞬時の肯定というような反応をした。
演歌といっても、あげあし鳥さんの作品のなかの演歌は
五木ひろしや北島三郎の演歌ではない。
言うまでもなく藤圭子の演歌である。
「歌謡曲」というと定義が広すぎ、歌謡曲のなかの演歌、
それも人によっては「ムード歌謡」「怨歌」「艶歌」と定義付けるところの
ギリギリで演歌のジャンルのファールゾーンからフェアゾーンの境目にある演歌だ。


なぜか私の周囲の10歳ぐらい年上の兄貴分たちには藤圭子ファン、
もしくは元熱狂的藤圭子ファンの方々が多い。
一方、10歳ぐらい年下の弟分や妹分には宇多田ヒカルファンが多い。
両方に接点があるのは辛うじて私の年代と、私よりちょっと年上の世代だ。
(面識はないけれどもたぶんあげあし鳥さんもそうではないかな?)

「どことなく宇多田の歌にある演歌」の演歌の世界はどんな世界か?
まずは女の感情の昂ぶりのようなもの。
ボーカルの音成分としてはかなり細かい起伏によるビブラート。
伸びやかでありながら力強く収縮していく負のパワー。
それはやってくるはずの幸せの感情を軽く拒否しつつ弾き飛ばしていく。
色彩的には夜の暗さと、矛盾表現であるが華やかな陰鬱さを感じさせる。
これらはボーカルを外して宇多田ヒカルの「First Love」が
春の選抜高校野球の開会式の入場行進曲となってマーチに編曲されてさえも
ビンビン感じてきたその線の演歌成分であった。

「演歌」と総括される広いジャンルでも他に似たようなものをあえて探せば
内山田洋とクールファイブの前川清の歌。
そして前川清と藤圭子はかつて夫婦でもあった。

「血」とか「DNA」とか言うのは嫌いなので、
その線の「演歌成分は何なのか?」ということのヒントになるような
キーワードが、

浪曲(歌手の父)
三味線瞽女(の母)
RCAレコード
前川清
岩手県一関市
北海道旭川市
ニューヨーク
新宿(亡くなられた場所でありデビュー曲も『新宿の女』)

などである。

私は昔、藤圭子と岸恵子の区別がつかなかったほどのはなたれ小僧であったのだが、
その歌の大人の世界観には魅せられてきた。
そして、その記憶が宇多田ヒカルの『Automatic』や『First Love』のボトムのところで
通底する成分がはたらいていたと感じてきた。

藤圭子さんには、たとえばスタンダード中のスタンダードだが、
ガーシュインの『SUMMER TIME』などを歌って欲しかったと心から思う。

幸せを拒否するような雰囲気をもった曲を歌い続けたって
それが骨身にまでしみこんでいたって
幸せになっても良かったじゃないか…
と、思ったりする。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-08-24 07:14 | 草評
2013年 08月 22日

そうか、ハム将棋に勝てても実力はアマ10級〜8級程度なのか

b0061413_1649656.jpg ハム将棋というものと対局してかなりの確率で勝てるようになった。自分なりに「なかなかの名対局を制した」と思えるようになったり、案外と簡単に勝てるようになったりしたので(これは正直に言ってコンピュータの指しグセのようなもののパターンを自然に知ったことが大きい)、段位とか級というものでいえばどれぐらいのレベルなんだろう?と思って検索を駆使したら、アマ10級ぐらいという答えが多くてガッカリした。いちばんいい評価でアマ8級レベルということらしい。アマ初段とまではいかなくても、1級とか2級をイメージしていたのでいったんガッカリした。しかし、ガッカリが「いったん」だったのは「歩の動かし方が理解できる」というまさに初歩のなかの初歩(これが語源か?)で50級というところから将棋の実力ランクははじまっているということも併せて知ったからだ。 しかし、最近は小学校6年生の息子と将棋を指すとかなりの確率で負けてしまう。息子は羽生善治のファンで羽生さんの将棋の本で将棋を覚えて実力を上げた。それはいいのだが、悔しいのは詰み手にまで至る手筋を発見した時に羽生善治の真似をして手を震わせて駒を動かすのだ。私が連戦連敗をした時など、駒を並べ終わって初手を打つ時からすでにわざと手を震わせているのだ。悔しいなぁ!

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-08-22 17:42 | 草評
2013年 08月 20日

日本テレビの24時間テレビの第1回目の総合司会者は大橋巨泉だった

学生時代にジャズ喫茶で雇われマスター的アルバイトをしていたことがある。
暇な時はアナログLPのライナーノーツを読んでいた。
ビリー・ホリデイなど歌詞付きのJAZZの曲に訳詞・大橋巨泉とあることが多く、
大橋巨泉なんて珍しい名前の同性同名が居るとは思えなかったのだが、
ドストエフスキーなどロシア文学の翻訳の方では江川卓訳というものがあった。
まさか六大学野球リーグで投げに投げつつ、また一浪して読売ジャイアンツに入団後に
精力的にロシア文学の大作の原書を読みつつ翻訳活動をしていたのか?と一瞬は思いつつも、
江川卓という珍しい名前は、えがわすぐると読む球史に残る豪速球投手と、
えがわたくと読むロシア文学者を輩出していたのであった。
プロ野球選手がロシア語の大作の翻訳をすることは、
文学者がマウンドから時速140キロ以上の速球を投げ込むぐらい難しいことだ。

同じように、スタンダード曲などJAZZの歌詞の訳詞を書いている大橋巨泉と、
おなじみの大橋巨泉は別人物であるかもしれないと思っていたら、
こちらの方は同一人物であった。
大橋巨泉といえば当時の私にとっては何といっても11PMの司会者であり、
その番組で麻雀、釣り、競馬、ゴルフ、プロ野球といった、
何というかオヤジ趣味の勉強会のような番組であった。
ああ、忘れてはいけない(別にいけないわけではないか…)のが
お色気というか性風俗というか、よくいえばそういう方面の文化もよくとりあげられた。
これもまたオヤジ的である。

そしてまたJAZZの歌詞の日本語訳のところに目を向ければ大橋巨泉の名前があり、
「この人は実に多趣味なんだ…」
と思いきや、バイト先の先輩に
「JAZZの歌詞の訳詞からこの人はマスコミ業界に入ったんだよ。
 なんせ前の奥さんはマーサ三宅だしね」
と教えられたのであった。
そうか、本業だったのだな。
時を経て、今はカナダとオーストラリアのお土産物店が本業かぁ。

1978年の第1回目の日本テレビの24時間テレビの総合司会者が、
この大橋巨泉であったと記憶している。
おそらくゴルフのチャリティーイベントなどはかなりやっていたので
この行事みたいなものの最初の発案のところには大橋巨泉は大きく関わっていたと考えられる。
しかし、後にその大橋巨泉自身が
「24時間テレビは偽善番組だ」とこき下ろしているところを耳にしたことがあるから、
最初の年から数回を経てすぐに日本テレビとはギクシャクしたようなことを想像する。

しかし、今から考えても第1回の放送の締めくくりのところで大橋巨泉が
「テレビでチャリティをやるということに関しては賛否両論があるでしょう。
 しかし、テレビの前の政治家のみなさん、
 これは本来あなたたちがやらなければいけなかったのですよ!」
と言ったことを覚えている。
何だかんだ言って、こういう仕切りができるのは大橋巨泉だけだなぁと感じた。

しかし、2001年に菅直人からの要請を受けて参議院議員比例代表となり、
その政治家になるとは思わなかったし、辻元清美や福島瑞穂の遺留を
テレビカメラの前で受けつつすぐに辞めてしまうとも思わなかった。

8月16日から三日連続で深夜から早朝に
『朝まで“あま”テレビ』
というのがあって、朝の連続テレビ小説の『あまちゃん』のダイジェスト放送をやった。
その人気ぶりにも驚くが、NHKが題名においてのみのパロディながら、
テレビ朝日の「朝まで生テレビ」をもじっていることに驚いた。

しかし、地上波ではないものの今週末にもっと強烈なパロディがある。

今年のフジテレビは、日本テレビ系『24時間テレビ 愛は地球を救う』の裏番組として、
CS放送フジテレビONEスポーツ・バラエティで
『フジテレビONE/TWO/NEXT開局15周年記念 芸能界麻雀最強位決定戦
 THEわれめDEポン24時間神8頂上決戦生スペシャル!!~牌(ぱい)は地球を救う~』
を放送することを発表した。
大晦日深夜というか元旦の早朝にやっていた、このゆるい麻雀番組のファンである。
どうせなら、地上波で思いっきりぶつけてもらいたかった気もする。
何だか「牌(ぱい)は地球を救う」の方が妙に力強いメッセージだ。
元旦の深夜から早朝以外の時期で、麻雀の対局が放映されるのは、
それこそ11PM以来かもしれないなぁと思った。

われめDEポン24時間の出場芸人は
小沢一敬(スピードワゴン)、風間杜夫、木下隆行(TKO)、堺正章、
坂上忍、佐藤哲夫(パンクブーブー)、中野浩一、見栄晴
というメンツ(面子という言葉を久しぶりに由緒正しき文脈で使った)であるが、
このなかにプロであるアンジャッシュの児嶋一哉と、
そして何と言っても大橋巨泉がいないのが残念である。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-08-20 23:48 | 草評
2013年 08月 18日

コッヘル218番 アサリの酒蒸し(ミツバを添えて)

b0061413_23183848.jpg けっこう暑い日々が続く。お盆疲れもあって「ちょっと夏バテ気味の時に何を食べるか?」ということが課題である。その課題への答えは色々あるのだろうけれども「アサリの酒蒸し」という居酒屋料理の定番を思い浮かべたら「もうそれしかない!」というところまできてしまった。居酒屋の定番メニューながら、日本には貝塚というものまであるのだから、かなりの昔からなじみがあるものではなかろうか。作り方も実に簡単である。買ってきたアサリを洗ったらコッヘル(一応コンボクッカースタイルで調理にも向いている)に入れて日本酒を入れて加熱して実に適当に塩を入れるだけ。ただ色彩的にそれだけでは何だか写真映えしないので(けっこう最近ブログを意識しちゃうんだよなぁ)ミツバを添えることにした。香りコンシャスならみじん切りがいいのだが、何だかお盆疲れで面倒なので根っこ部分だけをザクザク切っただけ。しかしけっこう香りも立って食欲を復活させてくれるしこれで良かった。何だか日本料理ってスゴイなぁ。日本料理ってダシがいのちと言うけれども、たとえばフランス料理でダシ的な用途で使われるフォンを自作しようなどと考えると一晩ぐらいかかってしまうのかな?5時間ぐらいかかるのかな?まあ少なくとも3時間はかかりそうな気がする。缶詰を使うとか、その分野のインスタント的なものを使うとか色々あるだろうけれども、本格的に固形を鰹節と昆布を使うところから考えても日本料理のダシは本格的なものでも最初から実はインスタント的であると思う。アサリの酒蒸しにしても、日本酒でなくて白ワインを使って西洋料理寄りにするという方向性はあるにはあるが、レシピとしてはTwitterに記しても字数が余るほどの簡単さで「もうこれ以上何も加えなくてもいいさ」というような出し汁である。それが製品化されたインスタント食品よりもインスタントである。一回、茶道の先生などに「コーヒー豆を焙煎してコーヒーミルで挽いてネルドリップとかペーパーフィルターで落としていくコーヒーに比べると、抹茶ってインスタントだと思うのですが…どうですか?」と尋ねてみたい気がするのだが、怖くて訊けない。


マーヒー加藤

コッヘルバックナンバー
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by kaneniwa | 2013-08-18 23:59 | 草外道
2013年 08月 16日

『歎異抄』って親鸞と唯円との本音トークが収められた本なんだね!(3)

というわけで、
親鸞のプロフィールと『歎異抄』という書物についての紹介を聞いていた
若者たちがラジオから
「シー様ってヤバくてカッコイイ!」
という絶賛の声を口々にあげていたことで色々と思い出したことがあった。
その声に触発されたのだと思う。

藤田 ジャクリーン(フジタ ジャクリーン)教授 のことである。
実は私が子どもの頃から、このジャクリーンさんと面識があった。

ジャクリーンさんは、16歳だったか、18歳だったか、とにかく若い頃に
フランス語訳の『歎異抄』を手にとった。
特に第二章の文章に衝撃を受けられて
「もう読む前の自分に戻れなくなっていました」
とおっしゃっていた。

ジャクリーンさんの言語感覚というのが、私は子どもの頃からスゴイと思っていた。
思えば、
聴く以前の自分に戻れなくなる音楽を求め、
観る以前の自分に戻れなくなる映画を求め、
目にふれる以前の自分に戻れなくなる絵画を求めてきたはずなのに、
イカンなぁ、最近は50歳を目前にすべてが単なる情報処理という生き方をしている私だ。

とにかく、それからのジャクリーンさんは「ベットの下貯金」を始められる。
親鸞の居る国、日本へと旅立つためである。
ジャクリーンさんが『歎異抄』という書物に接した時に、
このような人間というものについての本音トークを交わす
親鸞という人が中世の人であったということはとても想像できず、
存命していて思想界の先端をいく現代人であると思い込んでいらっしゃったという。

とにかく実際に若きジャクリーンさんはシベリア鉄道に乗って船で日本海を渡り来日される。
日本語はほどんど知らず、
ただひたすら手を会わせて「南無阿弥陀仏」の声を発するだけの妙なパリジェンヌとして。

やがてジャクリーンさんは信國淳先生と出会われる。
信國淳先生は作家の大江健三郎が生涯の師と仰ぐ渡辺一夫さんと
東京帝国大学文学部仏文科での学友でもあった。
「信國先生は、フランスの田舎のおじいちゃんソックリなフランス語を話していました」
とジャクリーンさんはおっしゃっていた。
ついでに言えば、この信國淳先生がマーヒーの本名の名付け親である。
私の両親は両親とも信國先生のもとで働くことを生きがいとしていた。
ただ、私にとっては幼稚園や小学校から帰ってからいつも喫茶店に連れ出してくれる
優しくおもしろいおじいちゃんのような存在であった。

信國先生とジャクリーンさんとのフランス語の会話は、
はたで聞いていてとてもわかるものではなかった。
たぶん、今でもほとんど何について何を語られていたかわかないだろうが…
日本語の方は、繰り返すが子ども時代から何と優れて新鮮な言葉を発する人なんだろう…
とジャクリーンさんを見ていた。
そのジャクリーンさんは親鸞のことを宗祖ということを強調する「親鸞聖人」とは呼ばず、
「親鸞さま」とも呼ばず、常に
「親鸞おじさん」
と呼んでおられた。
東本願寺のことは
「親鸞おじさんのお家」
であり、真宗大谷派の関連学校は
「親鸞おじさんの学校」
と呼んでおられた。
ただし、ニュアンスとしてそこには大きな親しみをこめつつもリスペクトの念もこめられていた。

信國淳先生が亡くなられた時にジャクリーンさんは
「信國先生は、私の『よき人』でした」
とおっしゃった。
この「よき人」という言葉は歎異抄の第二章で親鸞が法然を仰ぎ見つつ、
その尊敬とともに大いなる親しみもこめて語った言葉であろう。
そして、そのまま若き日のジャクリーンさんを
読む前の自分に戻れないほどの衝撃を与えた『歎異抄』の原文のなかの言葉だった。

そしてこれは穿った見方かもしれないし、偏見そのものかもしれないが、
信國先生亡き後のジャクリーンさんは
「親鸞おじさんのお家」にも「親鸞おじさんの学校」にも足を運ばれなくなった気がする。

ともかく良くも悪くも「宗祖としての親鸞聖人」という意識が私には強すぎるのだと思った。
だからラジオから聞こえてきた「シー様」という呼称に大いに新鮮な空気を吹きこまれた。
ただ、その若者たちの真似をして自分も「シー様」と呼ぶことには抵抗があり、
ジャクリーンさんの心を受け継がないままに形だけ「親鸞おじさん」と呼ぶことも不遜だ。

そこで、私は密かに(と言いつつブログに記しているが)
「テンドンさん」
と親鸞聖人のことを呼ぶことにした。
これは別に儀式や研修会をはじめ公共の場でその呼び名を広めたいという意図はない。
私自身と、ほんの数人の私の仲間内のなかでそう呼んでみたいと思った。
なぜ「テンドンさん」かというと、親鸞という名のりは
インドの天親(てんじん)と中国の曇鸞(どんらん)から一文字づつをとって名乗ったのだ。
下の方をとったから親鸞(しんらん)となったわけで、
上の方をとったら天曇(てんどん)という名前になっていたからである。
親鸞と言うとどうしても長年の習性で聖人となってしまうので、
自分のなかでは、これからは「テンドンさん」なのである。


マーヒー加藤  本名 加藤 真人 (かとう まひと)
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by kaneniwa | 2013-08-16 23:33 | 草仏教
2013年 08月 13日

『歎異抄』って親鸞と唯円との本音トークが収められた本なんだね!(2)

というわけで、
ラジオから若い男たちのシー様(親鸞)萌え、シー様かっこいい、シー様にサブイボ(鳥肌)、
シー様のパンク人生万歳発言を聞いているうちに思い出したことがあった。

ワグネル・ブロンゼリ先生について書いたことがあった。
この先生が京都に留学している時の夏休みだったか春休みだったか、
滋賀県の浄土真宗の寺院で法話をされたことがあった。

私はその場には居なかったので、どのようなご法話をされたのかは知らない。
ただ、ワグネル先生がブラジルで遇いがたくして浄土真宗に遇うことができたことの感動と、
親鸞という人についての称賛を率直に語られたことは間違いがないと思う。

ワグネル先生のご法話が終わり、
その当時大学生だったか高校生だったか忘れたが、
その住職さんの娘さんが涙ながらに

「お父さん、なんで親鸞聖人がこんな素晴らしい人だったということを
 今まで教えてくれなかったの?
 今日、ワグネル先生のお話を聞くまで、
 私は浄土真宗の寺に生まれたことをまったく誇りに思ってこなかった…」


と訴えたというのだ。

このエピソード、私が聞いたのは15年前、結婚したばかりの頃にそのご住職さんから伺った。
これだけで充分意味のあるエピソードだと思う。
ただ、14歳の娘がいる今はちょっと違った角度から吟味している。
私がその住職さんであれば、こう答えると思う。

「娘よ、それはね、お父さんが教えたのではなくてワグネル先生の素直で誠実な言葉で聞いたから
 響いて届いたんだよ。文学だって教科書で教えられるのと自分で求めて読むのと違う。
 ただね、お父さんも先週ラジオで親鸞聖人の生涯の略歴と『歎異抄』という書物の概要だけを
 聞いて感動しまくっている若者たちの声を聞いたんだ。
 親鸞ってスゲエ、親鸞ってヤバい、親鸞って萌える、ということを新鮮な心を取り戻しつつ
 伝えたいなぁということは思ったよ」


これ、次回はフランス人女性のエピソードをもとに続きます。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-08-13 23:31 | 草仏教