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2013年 11月 29日

京都の錦市場の「大安」(漬物店ではない)をほめる(3)

b0061413_23414783.jpg というわけで、京都の錦市場のなかにある大安さんについて不定期に書き出している。季語とともに過ごしてきた日本人にとって、そのサイクルを感じていくことの時間感覚はないと辛い。だから別に料亭でなく居酒屋でも、日本料理である限りはその季節感がなければその魅力は半減してしまう。居酒屋のなかでも、もともと貝類を中心とした水産問屋の店先の立ち飲みからはじまったカジュアル系を極めている大安さんであるが、カジュアルななかにも「さすが京都の錦市場の中!」というべき季節メニューをどこかに発見できるのである。というわけで、今回は大安さんの「冬メニュー」についてである。看板メニューである「焼き牡蠣」(主に瀬戸内海産)そのものが冬が旬であるといえるが、今回取り上げたいのが「金太郎いわし」である。「イワシの塩焼き?」と言われればそれまでであるが、天橋立あたりの京都の海(日本海側であり京都市からはやや遠い)の冬の産物である。なぜイワシに「金太郎」という冠が付くのかとその由来を尋ねれば、何でも平清盛ご一行様の船での宴会で金の酒樽を海に落としてそれを拾い上げようとしたところ、酒樽は拾えなかったものの黄金色のPriPriに太ったプリティなイワシがタップリと網にかかったということらしい。そしてそれが晩秋から冬の間の脂を蓄えた天橋立周辺の特別なイワシとして「金太郎」と呼ばれるようになったとか。由来の方は「ああ、そうでしたか」と言うしかないが、かなり以前にデジカメで撮った写真ながら、この塩焼きは黄金色に輝いていた。金色で太ったいわしを「金太郎」と呼ぶことは、案外とストレートなキラキラネーム(本来使われるキラキラネームとはちょっと意味が違うか?)のように思えた。

b0061413_2342874.jpg イワシの塩焼きというのはいわゆる居酒屋の定番メニューであるのだが、私の記憶によれば冬の時期に「金太郎いわし」とメニューに書き込まれる時以外にイワシは普段は提供されていないはずである。そういう季節感がどこかで味わえるというのが、京都の市場のなかにある憩いの場所の良さである。そして、屋号の「大安」の名のりの通り「大いに安い」のである。もちろん、こうやって丁寧な調理がほどこされて出てくる金太郎いわしがスーパーで売っているものよりも安いわけはない。でも、普通のチェーン店の居酒屋の値段ぐらいである。私の住んでいるところから京都に往復するのに、どんな交通手段でも2万円はかかるし、たまに京都に行った時にはその旅費に見合った高級店に立ち寄るというアイデアもいいのであるが、やっぱり安いということは素晴らしい。なぜかといえば安いという文字は安心の安でもあり、場所柄もあって閑静というよりは雑踏のなかなのであるがなぜかホッとする。安心する。ひとこでいえば「油断ができる場所」なのである。名物の焼き牡蠣が売り切れ(そういうことがけっこうあるのです)ということがなければ、まず牡蠣嫌いであるとかビールが一滴も飲めないという人はともかく、ほとんどの人は「立ち寄って良かったなぁ」と思うはずである。そこで大いに油断しつつ「おっ、こういうメニューもあるのか…」と、いい意味でルーズになった気分のままにその季節メニューを試されることをおすすめしたい。言及するスペースがほとんどなくなったが、二枚目の写真はザ・冬メニューのワカサギの天ぷら。塩とレモンを添えてやってくる。真冬でも冷えた生ビールが究極的に旨い!


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-11-29 00:33 | 七草
2013年 11月 27日

プロ野球の巨人の選手獲得の手法はトランプの大富豪(大貧民)ゲームのようだ

中日ドラゴンズの井端弘和選手が常識はずれの大幅減棒を提示されて
巨人(読売ジャイアンツ)に移籍した。
ドラゴンズの二遊間といえば、いつも荒木と井端が守っていたイメージがあり、
実際に二塁守備と遊撃守備が入れ替わることがあっても
(私としては二塁荒木、遊撃井端がしっくりくる)
中日ドラゴンズの二遊間といえばいつでもこのコンビ。
1980年代から1990年代の前半ぐらいまでのメジャーリーグで、
何だかシカゴ・カブスの試合では二遊間がいつでも
ライン・サンドバーグ(今年、フィリーズの日本野球経験もあるマニエルが解任された後の監督)
とショーン・ダンストンのコンビであったイメージと似ている。
メジャーのオールスターゲームでもこのコンビが先発して1番2番を打ったことも懐かしいが、
同じく日本のオールスターでも1番セカンド荒木、2番ショート井端ということがあったし、
WBCの日本代表でもそのまんまこのコンビであったということもあったと思う。
だから、単体(ちょっと失礼な言葉ではある…)でも実にプロ中のプロという感じであるが、
コンビとなってさらにその魅力が倍増される感があった。
野球は、まずピッチャーとキャッチャーのコンビがまさにバッテリーとして機能するが、
守備面での醍醐味はダブルプレーなどに象徴される二遊間のコンビネーションであり、
外野のセンターの守備と連携を含めて「センターライン」と呼ばれる。

巨人は実績を考えたら格安ともいえる4250万円(推定)で井端との来季の契約を結んだ。
ここまではいいだろう。
現有戦力で寺内、中井、脇谷、藤村らの若手内野手がいる巨人にとって、
不動の遊撃手といっていい坂本に対する指導も含めて現役のコーチ役ということまで込みでは
「格安」というしかない。

ところが、この感想はそれはさっきまでの実感であった。
ついさっきスポーツニュースで
「巨人がFA宣言をしていた西武ライオンズの片岡治大(かたおか やすゆき)選手を
 獲得することがほぼ確実となりました」
と読み上げられたとたんに
わははははは、また「面子多々」(めんつたーたー、麻雀用語)がはじまったぞと思った。
井端をとって片岡をあきらめるという判断をして、はじめて井端獲得の意味が深まるはずが、
ナベツネを筆頭にグループのカラーが
「ただの欲張り」
と見えてくるような…
そして先発投手陣も広島の大竹寛投手を獲得して、やはり面子多々。
強いカードはいっぱい持っているが、野球のオーダーはセ・リーグなら9人まで。
このぜいたく先発投手陣であれば、まさかBクラスになることはないだろうなぁ。
ただ、大竹投手は今までアメリカ南部からじぇにー姐さんが強い念力をおくってくれて
いたので活躍できていた投手であるから、来年以降はそのオーラは失われると思う。

日本シリーズのような大事な試合で
杉内やホールトンという福岡ソフトバンクホークスから獲得した両投手(年俸高い!)が
撃沈して、自前で育てたリリーフ陣につなげずに巨人は負けた。
結果から振り返ることは、ちょっとずるいけれども、
巨人に比べて楽天は、田中将大というスーパーエースはいたけれども
実に若手とベテランと助っ人とのバランスがとれた好チームでもあったと感じるし、
またそうでなくては優勝できたチームではなかったのだろうと感じる。

内野手も外野手も投手も「余っている」という贅肉感があり、
何だか江川卓が引退を考えだした頃の前後の年齢の選手ばかりがくすぶっている印象だ。
一般の組織でも「若手の奮闘に触発されてベテランが燃えて踏ん張る」とか、
「ベテランのプロ意識の高さに若手が萌えてシーズン中にグングン成長しちゃう」
などのドラマ的なことが起こる要素がないといけない。

寺院というものもそうでなくては…
と、一応は自分の問題としてそれを考えているフリをしつつ終わる。

井端も片岡も大竹も好きな選手であったが、
巨人でダメになっていくところを見たくないような、見たいような。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-11-27 23:28 | 草評
2013年 11月 25日

草煩悩(14) エルゴソフト(学研)のEGワードVersion12

b0061413_23504935.jpg 今回の「品物」はパソコンのワープロソフトである。2001年に購入したもので、もう12年使っていることになるが「これを失くしちゃったらどうしようか?」と思っているもののひとつである。その私にとっての大切さと貴重さを説明するのに、いささか15年ぐらい前からのパソコン環境をはじめとして(今では古臭いという意味も含めて)わかりにくい言葉もたくさん出てくると思うが、お許しいただきたい。文章入力そのものはワープロソフトなどを使うよりもテキストエディタを使うという人が多いと思う。特に、こういうブログを書くことに慣れると、ワープロソフトはまだるっこしく感じると思う。ただ、案内文や何かを発表する時のレジュメなどのために印字をするために編集をしたり整えたりする時にワープロソフトというものを使うという人はまだ数多くいることだろうと思う。3年ほど前に厚生労働省の元局長・村木厚子さんが郵便割引制度をめぐる偽の証明書発行事件において、大阪地検特捜部が証拠品として押収したフロッピーディスク内の文書の更新日時が改ざんされていたことが決定的な証拠となって冤罪(えんざい)が証明されたことがあった。大阪地検が偽の証拠をでっち上げていたことにももちろん驚いたが、次にその文章の作成に「一太郎」というワープロソフトが使われていたことはそれまでに厚生労働省が築き上げてきた文章のフォーマットがJustsystemの「一太郎」であり、容易に他に切り替えられないということは理解できても、その保存を3年前にしても厚生労働省という国の省庁の文書保存を「フロッピーディスクにしていた」ということにもたいへん驚いた。最近はコンビニはもちろん家電店でもフロッピーディスクを見なくなっていたからだ。おそらくUSBメモリよりも破損しにくくディスク丸ごとのコピーが容易であり即物的に整理できるというメリットをとっているのであろう。ただ日進月歩のパソコンの世界においても、保守性というと政治用語と混同してしまうのであるが「慣れた流儀は安易に変えたくないし変えない」ということは理解できるのである。 さて、寺院事務という分野の世界ではその「一太郎」の愛用者が多いように思える。Mac(マッキントッシュ)とWindows機の両方をもっており、普段はMacを使用しているけれども寺院が発行する「寺報」や行事の案内文には縦書の形式が多いために「一太郎」や「ワード」(マイクロソフト)などで印字するというパターンのために使用するという人が多いような気がする。この問題の処方としてもっとも使われる手はマイクロソフトの「Mac用Office」というものを購入し、そのワープロソフトの「ワード」を使用するというものである。ただ、Officeのなかのエクセルを使えることに喜ぶ人はいても(エクセルというソフトは元々Mac用にビル・ゲイツ本人が開発したソフトだから、10年前まではMac用のエクセルの方が使い勝手も良く、新機能も優先的に搭載されていた)「何だか相性の悪いワードをわざわざMacで使うというのが嫌なんだなぁ」という人もいる。またBoot Campというソフトを使ってMacのOS上に仮想のWindowsOSを表示させて「一太郎」などを使用しているという人もいる。(私個人は、Boot Campも安いソフトではないしわざわざMacをWindows機として使うよりはWindowsはWindows機で動かす方がいいと思う)それらの人が熱望しているのは「いつになったらMacは縦書に対応してくれるのだ!」ということである。MacのOSがLionだったかMountain Lionだったかになった頃からテキストエディタでようやく縦書入力ができるようになっている。ただ、テキストエディタではルビをふるというわけにもいかないし、行間や字間のスペースを調整して印字することなどはできずに「入力は横書きでもかまわないから、縦書に変換して編集できるワープロソフトが欲しいんだなぁ」という声が多いようだ。昔からQUARKという大体20万円ぐらいするソフトで縦書の編集ができるソフトがあるが、こちらは新聞社とか雑誌社とか印刷会社でプロが使っているもので「そこまでは求めていないから、普通の縦書き対応のワープロソフトがあるといいんだけれどなぁ」という声が多いと思う。Web作成ソフトの方ではつい最近になって Adobe Muse CC というソフトが出てきて、ホームページで縦書のものを作成して表示できるものが出てきてくれたようだ。しかし、それを知っても「それも待っていたけどさぁ、それよりももっと気軽なワープロソフトでさぁ、縦書のハガキの案内文とかもっと日常の印字で使えるものが欲しいんだよねぇ」という意見が根強いような気がする。さて、ようやく本題であるが今はなきエルゴソフトという学研(あの学習雑誌や教材などを作っているところだ)のワープロソフトを2001年に購入しておいて本当に良かったなぁ、これを持っていなかったらどうしていたかなぁ?と実感する。MacのMacBookでOSを「8.6」から「9」にした時代であり、そしてここが大きなポイントだが「このワープロソフトは新世代のOS Ⅹ(10)に対応する」というのが売りで発売されていたワープロソフトだったのである。そのおかげで12年以上経過した今でもバリバリ使える。使えるというよりも「これがなかったらどうしようか?」ということになっている。さて、これだけわかりにくい文章を長々と書いてきたのだが「マイクロソフトのワープロを編集にだけ使えばいいだけなのに、何で12年前のワープロソフトをそんなに大事にするのか?」という核心部分を最後に書いて終わりたい。学研はワープロソフト製作からは撤退してしまったと思うが、このEGワードVersion12に搭載されていた書体のなかに「ヒラギノ書体」と呼ばれるものがあった。印字されたその文字の姿の美しさに惚れたというのがこのワープロソフト購入のいちばんの理由であった。その書体で印字したものは何だかプロっぽくなったのだ。驚くべきことに、12年経った今でもどのWindowsマシンで動かすワープロソフトで出力して印字した文字よりも、この古いワープロソフトを使って印字したものの方が美しいのである。最後のここのところ、ちょっと自慢話風になるけれども、その後のアップルからiPodやiPadなどの超ヒット商品が出てくるのだけれども、そのアップル製品で出てくる日本語表示、iTunesなどで出てくる曲名などの日本語表示に採択されているのが、これがまさにその「ヒラギノ書体」なのであった。

マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2013-11-25 01:17 | 物草
2013年 11月 23日

コッヘル225番 天然舞茸混ぜご飯

b0061413_065891.jpg ああ、早く書いていかないとすでに季節は秋から晩秋となり、冬へと移り変わろうとしている。このコッヘルシリーズは秋に入ってからずっと天然舞茸という素材を特集しているような形になっている。そして今回は天然舞茸の炊き込みご飯なのであるが、メニューとしての「天然舞茸の炊き込みご飯」は昨年も行っており、コッヘル190番としてすでに出てきてはいる。では、「2013年バージョン」である今年のものはどこがどう違うものが出来たのかとえいば、昨年の、文字通りに炊きこんだものも美味しかったのであるが、今年はシャラポア(妻・日本人)のアドバイスに従って「最適な硬さでのだし汁ご飯を炊き上げ、そこに別に味付けをしておきつつ適度に新鮮さと硬さを保つ形で小鍋で炊き上げておいた舞茸とをしゃもじで混ぜ合わせる」という作戦をとったのであった。したがって「炊き込みご飯」ではなくて「混ぜご飯」という手法である。それはシャラポアが友だちがその手法で作った「栗ご飯」をごちそうになり、その完成度の高さに感激したからであった。やってみると、まさにそれがとても良かったと思う。特に根の方のやや硬度を残してある部分は、似た食感のものを探せば、アワビになるのではないかと思う。でも、天然舞茸を「山のアワビだ!」というような褒め方をするのもちょっと変だと思う。なぜならば、混ぜご飯という料理法であれば、これはアワビよりも上だろうと思うからだ。

マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2013-11-23 23:25 | 草外道
2013年 11月 21日

京都の錦市場の「大安」(漬物店ではない)をほめる(2)

b0061413_0255675.jpg というわけで、京都の錦市場のなかにある「大安」についてほめるという趣旨になったブログ記事の続きである。不定期連載と言いつつも、一日空けて連続投稿のようになった。今回も、どちらかと言うと脇道から入っていく形をとる。大安のお客さんの9割ぐらいは名物の「焼き牡蠣」(大安をほめる時にこのメニューに言及しないわけにはいかないがこの不定期連載の中盤か終盤にとっておく)を注文していると思う。ビールにものすごく合うし、日本酒や焼酎それから大安さんに置いてある白ワインにも合うからだ。ちなみに「生牡蠣にシャブリのような辛口白ワインが合う」というのは本当かなぁ?と、ちょっと思う。「シャブリの産地以外では生牡蠣好きのフランス人もワイン以外の、たとえばウォッカなどを飲む」という説も聞いたことがあるが、私も生牡蠣には白ワインとの相性の良さを全く感じない嗜好性をもつ。ただ、焼き牡蠣となるとガラッと変わってくる。とにかく、お客さんの9割は「まずは焼き牡蠣と生ビール!」という感じだと思う。飲み物以外は焼き牡蠣のみの注文のお客さんというのもけっこういる。そして、その日のいい状態の季節の刺し身の単品などを追加注文して好きな種類の酒を楽しんでいるお客さんが多いと思う。なので、その日の推奨メニューの端に「加茂茄子のあんかけ」というメニューがあっても、そんなには注文している人は周囲にはいない。この写真のデジカメデータを見れば日付は今年の5月7日。加茂茄子の旬は何といっても真夏なのだが、この日付のあたり「出始め」とか「初物」という冠が付く時期ではあったと思う。大好物の焼き牡蠣をはじめとする海産物に行く前に「有意義なタメを作ってから牡蠣を賞味するためにアペリティフ(食前酒)としての生ビールのお供に、まずはこれを行こう!」という発想があったのだろうと思う。まあ、そんなに細かいことは覚えていないけれども加茂茄子を食べた。その美味さに唸ってしまった。まず、乗っかっている大根おろしが丁寧に細かくおろされていてほどよいのは「焼き魚や牡蠣ポン酢といったメニューへの付け合せ提供で慣れている」ということがあるかもしれない。さらに薄味といっても塩分が控えめなだけで決して味が薄いわけではなく特に昆布の成分の旨みと香りをたっぷりと内包した葛出汁にくるんだこの味付けがいい。そして加茂茄子本体も、もしかしたら時期的にはハウス栽培ものかもしれないけれども「茄子ってこんなに美味しかったか?」と思わせてくれるほどのもの。そしてその豊穣のだし汁のなかを優雅に浮きつ沈みつするザ・九条ねぎ。「何で?貝類を中心とした海産物問屋さんの居酒屋でなぜ?」と思いつつ、その理由は外の風景を見つめつつ、わかった。ここは市場のなかなのだ。昆布を扱う乾物問屋も、京野菜を扱う八百屋さんもご近所なのだ。牡蠣以外の刺し身などのサイドメニューをここで食べた時に「さすが大安、海産物問屋のプライドで牡蠣以外もとてもいいものを出している」と心底感じたのだが、この加茂茄子には「わてら市場のなかで商売しているプライドで野菜料理かてそこそこのものを出さしてもろうてます」という声を聞いた気がした。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-11-21 01:24 | 七草
2013年 11月 19日

京都の錦市場の「大安」(漬物店ではない)をほめる(1)

b0061413_011192.jpg 2008年 の4月 24日だから、もう5年以上前となるが、当時小学生の4年生になったばかりの長女と夕食を錦市場の貝問屋さんが店先で営業しているというところでとったことについてのブログ記事がある。この時のブログの結びになるような文章として「クレジットカードが使えないところは魅力的なところが多い」と記してある。5年以上を経て、その感触はますます強くなっている。4年ほど前にこういうことがあった。岐阜県から来られた雅楽の楽人さんたちをご接待するため、法要後に打ち上げを行ってその会場にもなった旅館に泊まっていただいたことがある。チェックアウトの時に「あっ、ここはカードも使えるのか…使用限度額までは行かないだろうから建て替えておくか…」とクレジットカードで支払おうとすると女将さんが「月末にこちらから集金にお伺いしますから、どうかそれでお願いいたします」と何度も言った。その頑なさと一生懸命さに、私は具体的な金額は知らないが「カード会社の取り分の大きさ」のようなものを肌で感じることができた。阪急阪神ホテルズから話題が広がったメニュー虚偽表示問題も、私は「ミヤネ屋」の街頭インタビューに答えていた「7年間もバレへんかったなんて阪急阪神ホテルズさんはホンマに料理が上手なんやねぇー」という大阪のおばちゃんと同じ感想をもつと同時に「大阪に泊まるならホテルで食事なんかせずに街中に出たならば美味しいお店だらけなのに…」とも思った。もちろんたとえ機会は少なくともホテルにレストランがないと困るのだが、飲食店経営の黄金比率と言われる「原材料費3、人件費3、テナント料1、利益3」に対して、さらにカード会社の取り分も入れると必然的に原材料か人件費か利益のどこかを圧迫すると思う。

b0061413_0113094.jpg のっけから脇道から入ったような記述になったが、京都市の真ん中の錦市場のなかにある「大安」はクレジット決済が似合う要素がない名門であり名店である。元々は貝類を中心とする水産問屋さんで、店先で立ち飲みができた。といっても学生時代は「オヤジたちの聖域」という感じがして、せいぜい年に1回ペースでしか立ち寄ったことがなかった。当時は夕方6時には店じまいをしていたということもあった。それが、5年半前に久しぶりに訪れたらカウンターのみであるが座れるスペースができていて、さらに京都出張の折にちょくちょく立ち寄ると、ついに奥に立派な「居酒屋スペース」ができていた。この進化を「大安も日和ったな」「大安も軟弱になったな」ととらえる声があることも重々承知の上で語りたい。「実に美味しいなぁ」とか「安いなぁ」(店の名も大安だし、これもほめ言葉だ)という声はアルバイトの方々も含めて頻繁に飛び交っていると思う。通常、忙しそうなお店の人はそんな時にはニッコリ笑って「おおきに!」と答えるだけである。ところが今年の1月29日(デジタルカメラデータ)に居酒屋スペースのカウンターで「ここの照明は実にいいですねぇ、特にあのランプはどこで手に入れられたんですか?」と言ったところ女将さんが手をとめて「気がついてくれた?嬉しいなぁ、あのランプは神戸のジャズ喫茶が閉店する時にな、もらったんや。そんでな、そのジャズ喫茶に使われる前は神戸港の照明に使われていたもんなんやて。予備のガラスを作ってもらうのに既成のものはまったくないから京都の職人さんに特注して作ってもらったんよ」と、実に嬉しそうに語ってくれたのだ。そんなに喜んでくれたなら、感じたままを言ったとしても実にほめ甲斐があったというものだ。そして、この照明に照らされたメニューをノンストロボで写したものは手ブレはあるものの実に美しく写っている気がする。脇道から入って脇道から出る第1回目であったが、これから不定期連載であと6回ほどこの「大安」というお店をほめていきたい。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-11-19 23:09 | 七草
2013年 11月 17日

名曲草鑑賞(40) バードランドの子守唄(Lullaby of Birdland)

b0061413_14301018.jpg 今回はこのブログにおいてとてもめずらしい新譜紹介というものも兼ねている。新譜といっても8月にはリリースされていたと思うが、この『Hand Picked』という8年ぶりになるらしいアール・クルー(Earl Klugh)のニューアルバム(CD)を先月見かけ、思わず購入した。JAZZのジャンルのコーナーに置かれている新譜というものを購入したのは実に久しぶりだ。(旧譜のおっかけは地味だがしていたけど)もしかしたら20年ぶりぐらいになるかもしれない。アール・クルーという人(紅茶のアールグレイのアールと同じ綴りで人名別のAのところをいくら探しても見つからないのでご注意を)を久しぶりに見かけ、まずはジャケットを見て「うわっ、30年前と変わらない…ていうか若返っているぞ!」と驚いた。そして音を出してみる。相変わらずウォームであります、クールであります。決してコールドにならずホットにならず、それでいてホットするのであります。アール・クルーのようにジャンルレスな人に対してジャンル分けをするのはあまり意味がないことかもしれないけれど、JAZZの分野、ことさら「フュージョン」(FUSION)と言われる分野の巨匠である。だた20歳代前半から活躍していたので、50歳で9月生まれの私よりちょうど10歳年上であるだけであった。私が15歳の頃には25歳の頃のアール・クルーの演奏にすでに魅了されていたということになる。フュージョン(といってもその分野は果てしなく広いが…)という分野のJAZZが一世を風靡(ふうび)していた1970年代の、たとえば「Captain Caribe」(1976年の『Living inside Your Love』というアルバムのなかに入っている曲)などは「いかにも当時のフュージョンをし過ぎている」というような、今の時代から見れば「新しさを追求した時代全体の古さ」というものを感じてしまう曲もあるけれども、ほとんどの曲は今でも古さというものを感じない。演奏には常にクラシックギターを使用するというナイロン弦一筋のナイロンドアホウというスタンスの確かさもあるだろうが、古さを感じないのは私だけではないようだ。その証拠に、民放のFM局の番組テーマ曲やBGMやジングルに、あきれるぐらいアール・クルーの演奏が使われている。ラジオだけではない。天気予報やクロージングテーマで「ルックルックこんにちは」の時代から、テレビのスピーカーからも実に多くアール・クルーの演奏を耳にした。それだけ耳に心地よく何度耳にしても不快感がない曲が多く『Finger Paintings』という1977年発表のアルバムに入っている「Dance with Me」という曲など、オリジナルのオーリアンズ(Orleans)よりも無意識のうちにもアール・クルーのナイロン弦での演奏で耳にしてきたと思う。これをBGMに民放FM局の女性パーソナリティが「それじゃまた来週お会いしましょう、See You next week!」なんて言うのだ。 このアール・クルーの久しぶりの新譜は、私としても「久しぶりに買った新譜」ということになる。選曲は「なんでもあり」だ。選曲された曲の共通点を言うなら「アール・クルー本人がとても深い思い入れのある曲ばかり」ということだけ。ウクレレの名手でジェイク・シマブクロとの共演も収録されている。その共演の楽曲は何とイーグルスの「ホテルカリフォルニア」である。最初の部分はジェイク・シマブクロのウクレレ・ソロで始まることもあって「ホテルカリフォルニア」であると瞬間的には気がつかない。そこにアール・クルーがからんでくると、もう舞台はハワイなんだかカリフォルニアなんだかデトロイト(アール・クルーの出身地)なんだかニューヨークなんだかさっぱりわからなくなってくるが、後口はやはり不思議といいのである。そして選曲のなか、「バードランドの子守唄(Lullaby of Birdland)」というJAZZのスタンダード曲をナイロン弦のギター一本でやっている(演奏時間2分29秒)ものをじっくりと聴いてみる。この楽曲にして漂ってくる酒臭さはゼロに近い。麻薬や薬物などまったく連想さえしない。しかし、無味無臭かといえばそうではなく、ネルドリップした時のコーヒーの香りとか紅茶の風味などは漂ってくる気配がありありとする。これを聴いていて、ふと思った。私はナイロン弦の音が大好きであるが、それはボサ・ノヴァを知る以前からアール・クルーを知っていたせいではないだろうか?と。聞き慣れた楽曲が聞き慣れたナイロン弦で奏でられ、久しぶりに一音一音にじんわりと温められた気がする。私も長女が生まれて間もない頃に、初めて自分のナイロン弦のギターを手に入れた。(タカミネ製です)それを使って世に出したものは これぐらい だろうか。しかもその時、夜中だったか明け方だったか、1弦のナイロン弦を誤って切ってしまい、ナイロン弦の買い置きもなく1弦だけフォークギターの鉄弦をはったものを使って収録したインチキナイロン弦である。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-11-17 16:05 | 草評
2013年 11月 15日

Haka(ハカ)と伽陀(かだ)

先日、オールブラックス(ラグビーのニュージーランド代表チーム)が来日していた。
日本代表のオールブラックスへの渾身の挑戦は、6-54というスコアで終わった。
それでも一昔前とは差を詰めてきている。
オールブラックスが試合前にやるHaka(ハカ、またはカマテ、カパオパンゴとも呼ばれる)が
いつもスポーツニュースで10秒ぐらい写される。
このHakaの儀式というか声をあげての舞のなかで
「がんばって、がんばって行こう!」
と聞こえる箇所があるなぁ、と昔から思っていたら
リポビタンDという栄養ドリンクのコマーシャルにオールブラックスが登場し、
まさにそのフレーズをテレビのCMでやっていたということもあった。
今回(といっても一週間以上前)の来日も
「リポビタンDチャレンジカップ2013」
という冠大会であり、大正製薬とオールブラックスとのいい関係はずっと続いているようだ。

そういえばスポーツニュースのなかで10秒ほど見聞きするということばかりで
ちゃんと最初から最後までHakaを見たことがないなぁ、と思い
「こういう時にはYouTubeだ」
と見だしたら、
「カパ・オ・パンゴ」と呼ばれる新しいバージョン(新ハカ)があったり、
ワールドカップ大会のものやらいろんな国や団体との対戦ごとのものがあったり
おもしろくて止まらなくなってしまった。
見ているだけでアドレナリンが分泌してくる。
そして、そのHakaによる鼓舞なりインスパイアーは相手チームにまで伝わり、
両軍を元気にさせているような気がしてきた。
テレビのスポーツニュースではまず見たことがなかったが
「舌を出す動作」
というのはけっこうポイントのようで、
お父さんがラグビー選手だった方から聞いた話によると
「ニュージーランドには舌を出した神がいるらしい」
ということだが、なぜ舌を出すのかはよくわからない。
NBAのスーパースターだったマイケル・ジョーダンは
シュートの瞬間によく舌を出していたが、
興奮のなかにも舌を出すことによって筋肉をリラックスさせ、最高のパフォーマンスをする
という意味があるのかもしれない。
また、ヨガには舌を出すことによって眼の奥から顔全体の筋肉のストレッチ的なものを
行うポーズがあった。(たしかライオンのポーズだったかな?)

Hakaの舞には対戦相手に対する敬意やその対戦の場と
機縁に対する感謝も盛り込まれているそうなのだが、
ただ、舌をペロッと出されては「舐められてたまるか」(文字通りだなぁ)
と相手チームも戦意が高まってくるように思えてくる。
さらに、これは私の耳がロバの耳で、あるいは品性お下劣なための空耳かもしれないが、
言葉の部分ではたぶん「Haka」と言っている部分が「ファック」や「ファッキング」に
聞こえてくる。
これも私が悪いのかもしれないが、欧米人の男をもっとも罵倒する言葉である
「マザーファッカー」
と聞こえてくる箇所もある。

とにかく、文章でHakaのことを伝えるのは至極難しいため、
画像は悪い(しかし投稿者には感謝します!)ものの
レッドドラゴンズ(ラグビーのウェールズ代表)戦の前のものが
見ていていちばんアドレナリンを分泌させてくれたので、
それをこのブログ記事のいちばん最後のところに貼っておきたい。

もうバソコン画面はハカ場となり、
Hakaの舞をついつい真似していたら
ハイテンションが過ぎてクレージーになったのでは?と息子が真顔で心配した。
小学生だったか中学生の最初の方だったか?
ついつい雲竜型の横綱土俵入りを真似していたところを
同級生に見られて恥ずかしかったようなずいぶん昔のことを思い出した。
最近の子どもは横綱の土俵入りを知っていても不知火型しか知らないな。
(現在の横綱の白鵬と日馬富士は二人とも不知火型だから)

ラグビーはニュージーランドの国技であるから、
最初はそういうところから大相撲の横綱土俵入りとの共通点ばかりが視野に入った。
あるいは、
「エイエイオー!」
この掛け声の歴史を調べていくと、私は新撰組が最初だという俗説を信じてきたが
戦の始めに両軍がこの声を出してから相対したそうで、
ラグビーもボールを使って陣地を取り合う格闘技に近いものはあるけれども
そっちは真剣(文字通り…)な格闘なんだなぁ。

私のHakaについての研究はあまりにもネット時代らしくお手軽なものであり、
その研究の成果をわずか一週間後に発表するにはおこがましすぎるのだが
ニュージーランドマオリ(ネイティブ・ニュージーランド人によるラグビーの代表チーム)が
Hakaを行ったことが起源とされ、伝承によるとオールブラックスのHakaは
1810年にンガティトア部族のテ・ラウパラハ族長が踊ったものであるとされる。
そして、ニュージーランドでは結婚式、葬儀、卒業式、開会式、歓迎式典など、
あらゆる場面で目にする機会が多いという。
そして、死者の御霊を供養し哀悼の意を表す形として
葬儀でHakaを舞うこともあると知ったところで、
どうも横綱土俵入りとか、鬨(とき)の声などとの関連ばかりを連想してきたが、
「あっ、そうか、これは私にとってもっと身近なところに関係あるかもしれない」
と思った。

私が行っている法要、法事のなかで、いちばん声を張り上げるのがいちばん最初である。
Hakaとちがって身体的な動作こそ入らないが、
冒頭に伽陀(かだ)というものをとなえる。
となえるというか、そのいちばん最初に儀式全体のなかでももっとも声をはりあげる。
「先請彌陀入道場」(ぜんしょうみだにゅうどうじょう)
弥陀(阿弥陀如来)よ、まずはこの道場にお入りになることを願いもとめることでございます
というような意味のところで、そのいちばん最初のフレーズにいちばん大きな声を出す。
まずビールとかとりあえずビールとかいう「まず」ではなくて、
「まず弥陀よここに入ってください」
と声をはりあげるところから儀式がはじまる。
それなくして儀式は儀式ではないのだ。
オールブラックスも、何かに試合会場に入ってもらっているのだな…
ますます心して儀式に臨まなくてはならない。

オールブラックスにHakaが欠かせないとしたら、
私の衣(ころも)も通常はオールブラックス(時々萌黄色とか薄栗皮色)であるという
こともあり、伽陀が欠かせない。

マーヒー加藤


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by kaneniwa | 2013-11-15 00:01 | 草仏教
2013年 11月 13日

東北新蕎麦探訪記(3) 山形県南陽市 荻の源蔵そば(3)

b0061413_23535163.jpg というわけで、新蕎麦探訪記であるのに第一話は東北楽天ゴールデンイーグルス関連の話題と荻の源蔵そばの外観の話に終始し、第二話はその潔いメニュー数とサイドメニューについての言及に終始した。ようやく、ご本尊たる蕎麦の登場である。その質感をなるべく感じていただきたく一枚目にアップ写真をもってきた。このお店のメニューには「大盛り」というカテゴリーはなく、少食の人や「今日はちょっとだけにしたい」という人のために「半もり」というものが用意されているだけであるが、けっこう大盛り的な分量がレギュラーの「もりそば」で出てきた。季節柄もあってとても香りがいい。このお店ではワサビというものは付いてこないのだが、たとえあったとしてもワサビ好きな私でも「ああ、これはワサビ不要だ」という気がした。蕎麦としては「硬い」という印象がある。通常、「コシがある」と表現せずに「硬い」と表現される時には悪口となるが、決してそうではない。「ヌードル状の蕎麦という食べ物の誕生前夜の充分美味しいそばがきを、巧みな技術によって蕎麦粉10割のままに何とかヌードルの形態にしてくれた」というような感じであった。そしていくら硬いといってもそこは蕎麦であり、口のなかから胃に落ち着くまでの間にとろけるという感じ。口のなかでとろけるような分かりやすさではないものの、シンプルにしてディープな蕎麦の美味しさを感じた。そしてまた、後味がとてもいい!

b0061413_2354370.jpg おそらく100年前にも「これは素晴らしい!」と言われた頃の味がそのままあるのか、もしくはその原型を大事に育まれた蕎麦ではないかなぁ。そして、そういう伝統を感じつつもあえてパラドックス的に言えば「古いものは新しい」という感想になる。特に、こうして自分の子どもも連れて一緒に味わうとそれがいっそうハッキリしてくる。どんなに古いものでも、それに初めて接して感動を与えてくれるならば、それは新しいものである。食感といい舌触りといい後味といい、今まで知らなかっただけで「これは新感覚!」と言うべきものであった。一枚目の写真に蕎麦の質感をなるべくお知らせしたいがためにアップ写真を出した。いつもサイズ比較用として活躍している食品サンプルのウニであるが、二枚目の写真に手に持って久しぶりの著者近影(撮影はおなじみ日本人シャラポア)とともにその大きさをお知らせしたい。ちなみに、写真を撮ることを失念してしまったが、そば湯の方も「茹で汁をついでに出します」というようなものではなく、蕎麦粉の香りがたっぶりとしたドロっとしたもので、それをそば猪口で飲んでいると、それはもはや蕎麦粉のポタージュスープのようで後味の良さに追い打ちをかけてくれたのであった。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-11-13 00:21 | 草評
2013年 11月 11日

東北新蕎麦探訪記(2) 山形県南陽市 荻の源蔵そば(2)

b0061413_14385815.jpg というわけで、茅葺屋根の民家のなかの蕎麦屋さんに入っていく。付き出しというのだろうか、注文をする前に刻みネギと大根の漬物、そして蕎麦つゆが出てきた。茅葺屋根の民家の前に収穫したての大根が積み上げられていたのでいっそう美味しそうに見えた。念のため、ウニはサイズ比較用の食品サンプル(東京美研製)である。山形県というところは「おみ漬け」や食用菊を漬物にした「晩菊」など、あるいは冷奴の上に刻んだ浅漬をのせる「ダシ」と呼ばれるものなど、独特にして素晴らしい漬物文化をもっている(しかも海も山も盆地もある圏内の各地方によっての独自性とバリエーションも豊富だ)土地だが、この薄味たくあんというのかシンプルな大根の漬物がシミジミ美味しかった。ちなみに、この蕎麦屋さん、ワサビは使わないというかお店に置いていない。しかし、これは後日に言及したいが、ここの蕎麦にはワサビは不要であった。

b0061413_14392129.jpg それらの付け出しを味わいながら、メニューから冬季限定メニューである「大根煮」をまず注文する。何と、冬季限定メニューであるというこの大根煮は、われわれが訪れたこの11月2日が解禁日というか今シーズンの華々しいデビューの日であった。われわれ(家族)は開店してからそんなに時間が経っていない11時30分頃にお店(茅葺屋根の民家)を訪れたのだが、あと20分ほど早く到着していたら「今シーズン発の大根煮注文のお客さん」という栄誉にあずかれるところだった。実は蕎麦屋さんのご本尊たる蕎麦について言及するブログ記事は次回にならないと登場しない。今回はひたすらサイドメニューのようなものの紹介となる。しかしながら、このひと皿200円の大きくカットしてある大根のしみじみした美味しさは感嘆ものであった。おそらく、蕎麦つゆの味で煮込んで、仕上げに味噌だれのような感じのものをかけてあるように拝察したけれども、この分厚さからモウモウと出てくる湯気についたいい香りもごちそうとして味わった。この厚いカットの大根の隅々まで味は染みわたり、実にいい感じだ。このブログ記事にせずともわれわれ(家族)は山形県のこの土地で何を食べてきたかをずっと記憶し続けると思う。

b0061413_14393743.jpg さて、今回はこの荻の源蔵そばの、素晴らしいこのシンプルメニューをご紹介したい。コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授の講義をNHKで拝聴した。教授の講義のテーマは 「幸せになるための選択は何か」という内容であった。「選択」という言葉を思わず仏教用語としての選択(せんじゃく)と読んでしまいそうになるぐらいに示唆を与えられた授業であった。女性教授にしてもそのとても甲高い音にはちょっとビックリしたけれど。選択肢が多種であるということはあたかも幸せであるように思えて情報がありすぎて直感がはたらなかくなってしまう苦しみさえ伴い、そしてよくわからないまま選んだことは選ばかなったものへの後悔ばかりということもあり得るのだと感じた。実際にアメリカのスーパーマーケットでシーナ・アイエンガー教授の理論によって品数を絞ったところかえって売上は伸びた例も紹介された。さて、コロンビア大学の名物教授の名を上げずしても、この蕎麦屋さんのメニューの潔さといったらない。まず、蕎麦は「もりそば」と「半もり」だけである。ここに温かい蕎麦は存在しない。その時に適切なもりそばの分量を選択することだけに集中できる。鴨南蛮などがメニューにあると「鴨南蛮かぁ…」などという迷いが生じるが、その余地なし。ただ「何か温かいものも食べたいなぁ」という時に先ほどの「大根煮」も冬メニューとしてあるし「野菜(山菜)天ぷら」という選びもある。それもエビとか鱚の天ぷらではなく潔く野菜と山菜だけの天ぷらである。これも試しに取ったが、素晴らしいものであった。場所柄表示などせずともすべて地物に間違いない。この素晴らしいメニュー表の裏は飲み物で、こちらも潔くビールと日本酒のみ。今回はシャラポア(妻・日本人)も手根管の手術をしてからギブスかとれて10日目ぐらいだったのでずっと私が運転をしていたから難しかったが、来年も今頃の時期に出かけて大根の漬物と大根煮で日本酒をいただいてから、素晴らしい蕎麦(ようやく次回に登場予定)をいただきたい。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-11-11 14:59 | 草評