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2013年 12月 31日

年末になってからの近況報告(2)

というわけで
年末になってから近況報告というものをしていて
早くも2回目であり、年末はあと23時間しかないので
今回は前回の長男に続いて長女についてである。
小学生時代の長女はカメラを構えると
「写真を撮って!」
(今、7歳の末娘がそうだがなぁ…)
と寄ってきたものであった。
そして、小学校の後半になって写真を撮られることが照れくさくなった後も
自分が描いたイラスト
「これをブログに載せて!」
と、いわゆる「持ち込み原稿」として私のところに持ってくるほど私に好意的だった。

それが、中学生になって以降は私は長女の写真を数枚しか撮っていない。
それも一枚は入学式の日の写真とスナップで、
他は吹奏楽部でアルトサックスを野外演奏している場面だけである。
それらをブログに載せたいと思っても
「とんでもない!嫌だ!」
ということになってしまった。
それも成長なので仕方ないわなぁ。
お父さんとしてはもっと長女の写真を撮っておきたいと思うのだが…
ところが、長女の近影をブログに載せることができる千載一遇、一期一会の機会が
めぐってきたのであった。

では続けます
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by kaneniwa | 2013-12-31 01:39 | 雑草
2013年 12月 29日

年末になってからの近況報告

b0061413_0165448.jpg 年末になってからの近況報告。というのは事情があって、年賀状は喪中であった方へ知らずに出してしまった気まずさからお返事を書かせていただく形をとっている。宛名を書き「ひと言」を加え「ブログで近況報告をさせていただいています」という一文を入れる。そこで先日は7歳の末娘が描いたイラストが年末のNHKの『ダーウィンが来た』のホームページ内に掲載されたということを近況のひとつとして書かせていただいた。そうなると、15歳の長女と11歳の長男のこともブログに載せたくなった。7歳の末娘とは違って長女も長男もブログへの掲載はもちろんのこと写真を撮られること自体を嫌うような年頃なのであるが、年賀状に記載するブログアドレスで久しぶりにここを訪れてくれる人もいらっしゃると思うので、長女と長男には年に1度ぐらいは登場させることを許してもらいたいと思う。写真は9月19日の市の小学6年生の陸上競技記録会の走り幅跳びの長男の助走シーンである。足がとても速くなった。数年前は私のジョギングにうしろから追いかけてきたが、今ではどんな距離でも息子に負けるようになってしまった。息子は5歳の頃から「足が速い」ことを価値観の第一に置いていた。野球では「足が速い」ということでイチロー選手を尊敬していたし、お盆前の仏具磨きの奉仕活動に100メートルハードルの国体とインターハイ選手で北信越大会で2位に入った女子高生が寺に来てくれた時には「このお姉ちゃんはめちゃくちゃ足が速い」ということで尊敬の念をもっていた。今でもウサイン・ボルトはスーパースターでありジェット桐生こと桐生祥秀選手は「抹茶が大好き」という自分との共通点を見出しただけで喜んでいる。私とシャラポア(妻・日本人)は、日曜日か土曜日に行われる運動会という場にはなかなか揃って出席できないので平日に行われたこの陸上競技記録会を楽しみにしていたが、この助走スピードにまずビックリしつつ感動した。

b0061413_0171533.jpg 私とシャラポアはその記録会を見ていて、まずは決勝の5人に残ったというだけで感激していたのであるが何と僅差ながら優勝をしたのである。そして、さらに午後に行われた400メートルリレー(100㍍✕4)でも第2走者を務めて優勝した。何と、そのリレーメンバーの4人のうち長男を含む3人が昔から寺の境内を走り回ってきた者たちであるということにも感激し、1500メートルの優勝者も長男と仲の良い友だちであった。さらにビックリしたことは、これはつい最近になってから発表されたことであるが長男の友人で寺の境内で遊びまくっている仲間から二人のメンバーは少年サッカーチームFC下越セレソンジュニアのメンバーであるのだが、11月30日に埼玉スタジアムで行われた小学生サッカーの全国大会で優勝して来年5月にイタリアのローマで行われる世界大会にUー13の文字通りのセレソン(日本代表)として派遣されることになった。うちの境内で行われている鬼ごっこもサッカーも、ものすごくハイレベルだったことが改めて分かった。さてこの9月19日、私が長男のことをエラいと思ったのは午前中の走り幅跳びで優勝しても嬉しさはほとんど見せずに午後のリレーで第一走者から第二走者にバトンをつなぐ責務への緊張でいっぱいに見えたことだ。リレーで優勝の結果を見届けてようやくホッとしたのかホッとした表情と笑顔を見せた。さらに、このブログのことももしかしたら怒られるのかもしれないけれども、長男は私と違って自慢をすることが大嫌いなのだ。その身体能力と性格は私ではなくてシャラポアに似てくれたのだと思う。だから小学生がもらうにしてはかなり立派な金メダルが2つ、シャラポアの机の上に照れくさそうに置かれていたということも当然だと思う。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-12-29 01:21 | 雑草
2013年 12月 26日

京都の錦市場の「大安」(漬物店ではない)をほめる(7)

b0061413_1782261.jpg 師走も終盤となり大晦日も間近となり年末モードは真っ盛りである。師走の光景としてテレビの全国放送などでは東京上野のアメ横などがよく中継されるが、京都の錦市場の混雑具合もスゴいものである。むしろ、細くて長い市場通りであるから体感的な混雑具合ということでいえば年末の錦市場は全国有数、いや世界屈指ではないだろうか?小さい頃に両親に手を引かれておせち料理の食材の調達か何かで年末の錦市場を訪れたの時に迷子になった。動物園や遊園地などでの迷子であれば放送室があるところの近くの控室などで待機できるのであるが、まさに人の波におぼれてしまうような形で迷子になった。「何で手を放すんだ!お前をさがすのに時間を喰って買い物がほとんどできなかったじゃないか!」などと両親に怒られたが、自分としても握った手を放したのも人の波のなかでの不可抗力であり、迷子になり泣き怒られて泣き、さんざんであった。それがトラウマとなって単独行動を好むように成長し、混雑地嫌いと渋滞嫌いということになってしまった。さて、そんな錦市場のことについて書いてきて今回が7回目、一応の最終回である。ああ、何とか年内に間に合った。写真は大安さんの店先や中のスペースでビールや酒を飲んでいく人のほとんどが注文する看板メニューの「焼きガキ」である。

b0061413_1785495.jpg 大安さんはさすが貝類の問屋である。もっとも、そこにプライドをもちつつ良い海産物や野菜料理さえも市場のなかにあるお店としての矜持をもったものを出すということについて書いてきたつもりである。しかしこのコラムの一応の区切りにおいてはその専門分野である貝類にふれないわけにはいかない。写真は大アサリである。産地はメモもしなかったし忘れてしまったのだが(2年ほど前の写真なのです)その大きさに感動しつつ食品サンプルである東京美研のウニを取り出しつつサイズ比較をしながら写真に収めた。巨大でありながら、その味はしっかりとアサリそのものであり「アサリのステーキ」と言えるようなものであった。その他、娘と久しぶりに大安さんを再訪した時にはサザエ焼きがあり、海から遠い京都市内で食べたサザエのツボ焼き(これもまた巨大であった)に舌鼓の乱れ打ちであった。

b0061413_1792469.jpg 牡蠣ポン酢である。いつもあるメニューかどうかは忘れたが、写真に収めた時の季節は真冬。焼きガキ以外にも実に安心感があって間違いのない味である。これは日本酒か焼酎が合う。ビールにはカキフライという実に魅力的な選択肢もある。ただ、フライものは写真にしてもイラストを描くにしても同じようになってしまって実に難しい。毎年、夏になるとうちの子どもたちからダッチオーブンを使った貝のバーベキュー(リンクはコッヘル77番のサザエのBBQですが、77番から80番まで海辺での貝のBBQ特集です)を所望される。潮風を浴びながら焼いた貝のバーベキューが最高の風物詩であり最高の味であるらしい。「この世でいちばん旨いものは何か?」などという質問は人それぞれの嗜好や思い入れというものを無視したものであり、しかもその時々のコンディションなり季節などの環境によって変わってくるものであるが、日本にも「貝塚」というものがあるぐらいだから相当な昔から、相当前のご先祖さまがそれで生命力を与えられつつ生き抜いてきた有り難さもどこか貝の味の素晴らしさに加算されるような気がする。その生命力を「場の活気」というものはさらに盛り上げてくれるような気がする。だから牡蠣を例にとるとして、もちろんハレの日にフレンチレストランで生牡蠣をいただくということももちろん素晴らしいけれども、どちらかと言えば真夏の海辺やニューオリンズの馬鹿騒ぎ系オイスターバー、そして錦市場の喧騒のなかというようなところがさらに素晴らしいことのように感じるというのが私の嗜好のようなものである。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-12-26 18:49 | 七草
2013年 12月 24日

『ダーウィンが来た』のブログにうちの末娘の絵が掲載されている

b0061413_20452838.jpg はい、親ばかですみません。12月22日から年末のNHKの番組『ダーウィンが来た』の「ヒゲじいのブログ」のなかでうちの末娘(7歳)の描いたスカンクの絵が掲載されています。「渋谷区のNHKですが」だったか「NHKの渋谷という者ですが」(たぶんこっち)という電話が数週間前にあった時には「あれっ?NHKの受信料を滞納していたのだろうか?」と思いつつ電話に出たが「お嬢さんが描いて番組に寄せていただいたイラストが素晴らしいので是非ともうちの番組のホームページのなかで掲載させてください」という趣旨の電話があった。娘に「NHKに動物のイラストを描いて出したの?」と問うと、「うん」と頷いたので「どんな動物の絵を描いたの?」と尋ねると元気よく「スカンク!」と答えた。「スカンクは敵に襲われると臭いおならを出すんだよね」と言うと、「違うよ!おならではなくて強い匂いがする液体を出すんだよ!おならじゃないんだよ!」と教えてくれる。さすが『ダーウィンが来た』を大河ドラマが始まる前に楽しみにして喜んで見て、さらに録画を3回は見直す動物好きだ。うちの受信料は末娘の『ダーウィンが来た』だけで、充分に払う甲斐がありそうだ。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-12-24 20:58 | 雑草
2013年 12月 22日

京都の錦市場の「大安」(漬物店ではない)をほめる(6)

b0061413_23263710.jpg 京都の錦市場のなかの魅力的な呑みどころである大安さんについてコラムを7つ不定期連載しようと思ってから数週間があっという間に経過した。もうすぐ今年が終わってしまうので、何とか年内にあと2つ載せておきたい。さて、昔は立ち飲み専門であったものの学生時代からこの大安さんの存在は知っていたし、年に1回ほどそこで立ち飲みをしていたものの、当時は6時には閉まってしまう場所でもあり、何といっても「オヤジたちの聖地」という感じがムンムンしていたので、焼き牡蠣とビールだけを注文し、ラーメン屋さんよりも早くそこを立ち去ることが常であった。それが、久しぶりに娘といっしょに再訪した時に、学生時代にはなかった椅子席とサイドメニューでその時にあった平目の刺身の素晴らしさに驚いてしまったことが京都を用時などで訪れた時に空いた時間があれば「今回も大やすさんに寄りたいなぁ」ということになったきっかけであった。焼き牡蠣をはじめとして貝類の素晴らしさはずっと前から知っていたが「貝類以外でも市場で商売している限りはへんなもんは出しません」という意気込みを感じたのであった。写真は、祇園祭の前後の頃の真夏のシマアジ。これもまた忘れられない季節もののお造りであった。

b0061413_2327075.jpg さて、大安さんのレポートのようなものをしてきたのであるが「水曜日は定休日」ということを是非とも忘れずにいていただきたい。と、いうのはウキウキと「大安で昼ごはんついでに昼ビールをして、それから新幹線の中は眠って帰ろうっと」と錦市場に寄った時に、それは水曜日であったということがあったのだ。無情にも閉まっていたシャッターだけを写真におさめた。水曜日は時々立ち寄る北大路のフルーツパーラーである「アップルハウス」と京都駅の近くの東塩小路のラーメン店の「新福菜館」が定休日であることに気をつけなければ…とは思っていたが、大安もか!と思ってしまった。それからますます水曜日には気をつけなければならないなぁと思った。四条河原町も四条烏丸も近いし、他にも食事をしながら昼間からビールを飲めるお店はたくさんあるのだが、大安さんで飲んで食べて、ほろ酔いのままそこが市場であることを利用しつつ付近のお店で適当なお土産物を買ってから帰るというリズムができてしまうと、他のお店に行く気が萎えてしまうのであった。「余人をもって代え難し」という表現があるが、他をもっては代用がきかないという自分自身の大安ラブは、この定休日に発見した。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-12-22 23:58 | 七草
2013年 12月 20日

射殺された王将の大東隆行社長に見覚えがある

というわけで
情報を読み解く力を自分なりに
「なんでやねん!」
という視点で掘り下げることができる「ツッコミ力(りょく)」がリテラシーというものでは?
と思っていた矢先に、餃子の王将の社長さんが京都市山科区の本社前で射殺されるという、
それだけで充分に衝撃的な事件が起こった。
それだけで「なんでやねん!」である。

通常、事件発生から20時間も経過した時点では物的証拠や動機などから
犯人の特定までには至らなくとも捜査の方向性の情報がどこかで示唆されているのが通例だが、
どうも
「なんでやねん!」
が多すぎる事件である。

金品は盗られていないという。
薬莢があったことから銃殺であるらしいが、周囲は住宅地であるのに銃声を聞いた人は
誰もいないという。
ということは犯人はサイレンサーなどが装備された拳銃で狙撃したということか?
「なんでやねん!」
である。

これで京都府警の組織犯罪対策第二課(旧刑事部第4課)などに動きがあったとすれば
ますます
「なんでやねん!」
ということになってくる。

最初は、その事件性への衝撃だけであったが
大東隆行社長の映像と音声がテレビで流れるにつけて
「ああ、私はこの人に会ったことがある…ほんの少しだけれど言葉を交わしたことがある…」
という感触があった。
プロフィールが紹介されると1969年に王将に勤めてから現場に立ち、
数カ所の店舗で店長も経験されているということだったので、
京都市北区の御薗橋店だったのか、七条烏丸店だったのか、
あるいは京都市内の複数の店舗で見たことがあったのか、
それは定かではないけれど
「確かにその姿を見て、その声を聞いたことがある」
という感触は確かなものである。

全国に680店舗にまで広がった大きな外食グループのトップに立っていた人とはいえ、
なぜ餃子を名物とする中華料理屋さんが(おそらく)サイレンサー付きの拳銃で
暗殺のように射殺されねばならなかったのか?

なんでやねん?

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-12-20 01:22 | 草評
2013年 12月 19日

リテラシー( literacy)とは「ツッコミ力」らしいー

リテラシー( literacy)とは「ツッコミ力(りょく)」と覚えたり。
そう感得して検索をおこなったところ、
パオロ・マッツァリーノというイタリア人らしき男が2006年に
その名もズバリ『ツッコミ力』という本をちくま新書から出していた。
その流れで、このパオロ・マッツァリーノという自称・反社会学者の
「反社会学講座ブログ」というものを読んでいるのだが、
経歴からして「父親は九州男児で国際スパイ、母親はナポリの花売りだった」
というところから、反社会的すぎて何だかよく素性がわからない。
もしかして、イザヤ・ベンダサンのような存在なのだろうか?

とにかく、リテラシーは日本語では元来「識字」と訳されてきた用語である。
英語では 文字(letter)という言葉から派生させる形でliteracyとなったとか。

それが、たとえば「会計リテラシー」のように、
何らかの記述体系で表記された情報を理解し、整理し、活用する能力を指す言葉となった。
現在、『現代用語の基礎知識』にのるような言葉としては
(そういえば年末になってもイミダスも知恵蔵も書店で見かけなくなったなぁ)
圧倒的に「メディア・リテラシー」として使われている。
メディアといってもテレビ、新聞、ラジオの3つが主流だった頃から
今は主流となったネットなどから押し寄せてくる情報を
ただ垂れ流したり無用にストックしておくだけでなく
いかに理解し、いかに整理し、いかに活用させるかということが重要になっているのだろう。

そのことを自分のなかで極力シンプルに定義するなら
「ツッコミを入れられる力があるかどうか」
ということに、ちょっと無理やりながら集約できるように思う。

んなアホな!
なんでやねん!
そりゃないやろ!
やめなさいってば!

どうしてもツッコミの本場(もしくは本家)の関西の言葉が多くなってしまったので
最後にビートきよしの決まり文句をとってつけたけれども、
与えられる情報に対してこの視点がもてるのかどうかがリテラシーであると感じる。

何度も書くけれども今年の日本シリーズのテレビ観戦は実に楽しかった。
それは、ゲーム内容も特に楽天を応援している側にとってドラマチックに展開したこともあるが、
私が巨人選手の一挙手一投足にツッコミを入れつつ、それがけっこう家族にウケつつ観戦した
というようなことがある。
しかし考えたら、ドリフターズ、プロレス、ドラマ、などなど昔からマンネリであったものに
ツッコミを入れる親などの姿から私もそうやってツッコミの視点を教わってきたのだ。

あらためて、高い次元からテレビを中心としたメディアを俯瞰して
鋭すぎるツッコミを世の中にぶち込んできたナンシー関を失ったことを残念だと思うのであった。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-12-19 01:14 | 草評
2013年 12月 17日

ミルメークに液体があるとは知らなかった

b0061413_0504434.jpg 昨日、Yahoo!リアルタイム検索で「ミルメーク」は“話題なう”の1位に立っていた。同時に、メーカーの大島食品工業(愛知県名古屋市守山区)のホームページは繋がりにくい状態となっていて、何と日付が変わった今もつながらない…50歳前後の私たちの年代で、青少年時代には頻繁に口にしていたもので最近はまったく口にしていないものをふと懐かしく思うことはあるが、ミルメークというものはその代表的なものであるのだろう。しかし、それが検索ワードのトップに踊り出るということはいかにもTwitterなどの影響力が強い時代になっていると感じる。もっとも、私も久しぶりに忘れかけた名を目にして検索に走った一人である。「ミルメークは粉末か液体か?」という論争なども火をつけたそうだが「えっ!?そんなの粉末に決まっているだろう?」というのはいかにも50歳前後の感覚であるらしく、その後の時代に液体バージョンも発売されており、現在は粉末も液体も両方もあるそうだ。 小学生時代の後半であったか、あるいは中学生になったばかりの頃であったか記憶があやふやなのであるが、給食時に5人ほどの男子グループで、そのうち4人が牛乳を飲む2秒ほどの瞬間に「ギャグ当番」に当たった一人が今でいう「一発ギャグ」とか「インパクトワード」を言って飲む4人は牛乳を吹き出さないように我慢するというゲームをしていた。私が当番に当たった時にミルメークの粉末入りの袋を持ち「エビメーク」と、その表示を読み間違えるギャグを披露したところ四人全員が牛乳を吹き出したのであった。今、そのギャグをこうやって冷静に書いてみると、もう基本的過ぎるほどのボケ技であり大して面白くないように自分でも感じるが、笑うのを我慢しながら牛乳を飲むというシュチュエーションではかえってこの基本的ボケ技というものが実に有効であったということだ。その四日後か五日後に、再びギャグ当番が回ってきた時に、そのグループ内でのパターンであった「ヒットギャグが出た場合にはそのバリエーションが出てくる」という予測の空気が流れていることを私は直感的に察知した。その予定調和を壊すべく、ミルメークをエビメークとう読むギャグが有効だった後なのでまた違う読み方で来るというグループ内の予感を外し、エビメークというギャグの五日ほど前の残像ないし残響がまだ残っているであろうことを利用して「エ」とだけ言ったのである。この作戦は功を奏して四人全員が何と鼻から牛乳を噴射させて教室でのたうち回る結果となった。それで担任の先生に五人ともこっぴどく長々と叱られることとなり、この遊びは永遠にゲームオーバーとなったのであった。ギャグというものは発信することばかり考えていてはダメでレシーバーのイメージをいかに想像できてそこに関われるかということだなぁということを初めて考えたが、それが長々と叱られた代償として得たものであった。小学校時代か中学校時代か記憶があやふやだと書いたが、こうやって叱られた思い出がよみがえって分かった。中学生になりたての春の出来事であった。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-12-17 01:28 | 草評
2013年 12月 15日

京都の錦市場の「大安」(漬物店ではない)をほめる(5)

b0061413_23204174.jpg ビールという大概のものに合う酒が大好きであるが「ここはひとつビールではなくて日本酒だよなぁ」というおつまみがいくつかある。いわゆる珍味系のおつまみがそれにあたるけれども、そのなかでも代表的なものを個人的にあげるならば「カニ味噌」というものをあげてみたい。個人的な意見ではあるものの酒肴として多くの人に首肯していただけるものと考える。で、写真は冬の時期の「今日はこんなのがあります」として書かれていたメニューのなかにあったそのカニ味噌である。見事なモスグリーンである。そして見事な味付けであるが、その味付けに人間は関与はしていても直接的には手を出していない。これはカニ自身が海のなかでその体内で自然に、天然のままにオートマチカリィにしてくれていたものである。錦市場の関係者、大安さんの関係者は、この提供に関与しつつも味付けにはそのままの味をなるべく壊さないように、なるべくそのままにすることに努力しつつ関与しているという形である。これを少しづつ箸に乗せて口に運び、その風味が口のなかにあるうちに日本酒を少しづつ飲む。少しづつながらもグビッと飲む。ああ口のなかに複雑でありつつも豊かな響きが広がりつつ、その複雑さを日本酒がディープなままにシンプルに統合してくれる感じがある。なかなかこの享楽を文字にはしにくい。私の息子のストレートな表現を借りよう。 どっぴゃー!

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-12-15 23:33 | 七草
2013年 12月 14日

『歎異抄』千本ノック(6) 凡夫(1)

b0061413_23115598.jpg シャラポア(妻・日本人)から「料理の味付けが早い」とよく言われる。苦情ではなくてお褒めをいただいているという形だ。たとえば寺院でのお斎(おとき・食事)で70人分の煮物を大鍋で作る時でも味付けを頼まれて「秒殺」(1分以内での勝負)で決めた。何人かに味見をしてもらって一発OKが出たのでそれで良かった。そういうことに慣れてきたということもあるが、逆に、これが秒殺ではなくて長時間迷いに迷って「ああでもない、こうでもない」とやっていては妙ちくりんなものが出来上がってしまうということが凡夫なりに経験してきたことから少しはわかってきたからだと思っている。現在の凡夫であることの自覚をもとに主に学生時代に作ってきた「凡夫カレー」を振り返ることは実に辛い面もあることではあるが『歎異抄』を読んでいくうえで避けることができない「凡夫」という言葉を読み解くうえで、その味を思い出してみなければならないと思った。 学生時代の自炊の中核にカレーライスがあった。一度作っておけば数日間はそれで過ごせるということもあるし、もともとカレーが好物であるということもあった。ちなみに神保町のエチオピアのカレーもレトルト商品として売っているような現在とは違ってレトルトのカレーは大塚食品のボンカレーの他に数種類しかなく、今は定番商品のひとつになっている江崎グリコのLEEさえも学生時代の終了間際に発売されたものであったと記憶している。そこで市販のルーを使ったりエスビーの赤缶などの調合スパイスを中心に自作カレーの製作に入るわけであるが、これがいったいどこから得てきた知識なのか単品のスパイスをよくわからないままにクミンシード、チリパウダー、カルダモン、コリアンダー、ナツメグ、クローブなどを買ってきて凡夫の調合をする。味見をしては「うーんクミンシードをもうちょっと足した方がいいかなぁ?」などと考えていた自分を恥ずかしく思い出す。何がクミンシードをもうちょっと…なのだろうか。スパイス類についてブラックペッパーやシナモンぐらいならばそのスパイスを加えた時の味の変化に少しは見当をつけることができたであろうが、使い慣れないどころかそのスパイス単体の味すら把握していない日本人学生が、確固たるレシピさえなくせっせとせっせと扱い方をよく知らないスパイス類を調合していた。『ドラえもん』でジャイアンが作る鍋料理に「あとはここに大福とたくあんを入れて完成だ」などと言うシーンで末娘が爆笑していたが、私はかつての自分の凡夫性を思い出すにつけ笑えなかった。私のやってきたことの方向性はジャイアンと五十歩百歩であった。「インスタントコーヒーを入れるといいとかどこかで聞いたなぁ…さらにココアパウダーを隠し味に使っている名店があったとかなかったとか…」ということをやってきたのであった。この私の「凡夫カレー」の根底にある心の闇が「手間暇と労力さえかければいいものが出来るに違いない」という自力への信仰であった。それも、インドには行ったことはあったが別にインド料理の調理修行をしたわけでもない自分の実に頼りない自力への信仰。そんな自分でさえも「努力さえすれば」という妄想が凡夫カレーの製作への意欲をかき立てたのであった。ああ、そんな私が「努力さえすれば」という発想で車の設計をしたりパイロットになったり、権力をもって原子力などに関わらなくて本当によかった。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2013-12-14 00:17 | 『歎異抄』千本ノック