草仏教ブログ

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2014年 04月 30日

迷うんだよなぁ、Radikoのエリアフリー

b0061413_17223981.png インターネットラジオのRadikoが今月の最初から月額378円で全国の60局のラジオが聴けるサービスをはじめた。「エリアフリー」という名であるが、これがさらにフィーフリー(無料)であれば感無量なんだけれどなぁ。年額にして4000円が惜しいという気持ちもちょっとだけあるけれどもネックになっているのはむしろ「何かの作業をする時に聞こう」と思ってSDカードに撮り貯めができるSONYのラジオを持っているのだけれども、30分番組は何となくよく聴くけれども1時間以上の番組はまだ聴いていないものが多く残っている。iTunesのPodcastからダウンロードしたものも聴いていないものがけっこう残っている。音楽を聴くということならiTunesのインターネットラジオで数多くのジャンルの音楽がすでに聴き放題だ。ただ、大阪のFM COCOLO765などは40歳代以上のリスナーに焦点を絞りつつ魅力的なパーソナリティがそろっている。先月に石垣島でレンタカーを借りた日のカーラジオもなかなか良かった。ただ、そういう番組との出会い自体が、旅先や出張先の楽しみにしておいた方がいいようにも思うし、悩ましいところだ。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-04-30 17:43 | 草評
2014年 04月 28日

恵信尼文書(恵信尼消息)との再会

b0061413_0251154.jpg 昨日、新潟県立歴史博物館(新潟県長岡市)で行われている特別展「親鸞となむの大地」にシャラポア(妻・日本人)を含む寺院の法話会のメンバーで訪れた。国宝、重要文化財11点を含む約200点の展示は圧巻であった。奈良国立博物館から来た『親鸞聖人像』(絵像)などに「うちらのお寺にあるレプリカの方が色が明るくていいねぇ」などという忌憚のなさすぎるご意見をいただいて苦笑いをしたが、あの一休さんが「襟巻のあたたかそうな黒坊主、こやつが法(のり)は天下一なり」と詠んだ元は「これだよなぁ」という感慨があった。そして恵信尼文書(えしんにもんじょ)と呼ばれる手紙を16年ぶりに拝見することができた。これは越後で暮らす親鸞聖人の妻恵信尼さんが京都で暮らす娘に宛てて送った書状であるから、実に750年ぶりに越後に帰ってきたとも言える。750年ぶりに比べると16年ぶりということは大したことがないようにも思うけれども、マイ恵信尼であるシャラポアと結婚してからの歴史が16年である。16年前の新婚時代に京都国立博物館での特別展示をシャラポアとともに鑑賞して以来である。シャラポアが「ちょっとおトイレに行ってくるね」と行ったままなかなか帰ってこなかったので、広い会場のなかを捜索に行ったら恵信尼文書の前に居た。そして「ねぇねぇマヒにゃん、このオジサンがとても親切でなおかつ博学なんだよ、この中世のくずし字をスラスラと読みながら意味を説明してもらっていたところなんだよ」と言われて、そのオジサンという人を見たら、シャラポアはまったく認識していなかったが名古屋の同朋大学学長(当時)の池田勇諦先生であったのだ。何とぜいたくな解説を受けたものだと思うが池田先生でなくとも、若い女性がこの文書を見ていたらそこに何が書かれていたか、この文書の発見がいかに価値があったのかを語りたくなってしまうものがあるだろう。明治時代には「親鸞というのは浄土真宗の信仰がつくりあげた架空の人物であったのではないか」という学説まであったものを大正時代に鷲尾教導という史学者が西本願寺の倉庫からこの文書を発見して親鸞という人の実在の確実な証拠となったのである。地元新潟県に伝わる親鸞聖人ゆかりの品々に加えてこうした貴重な文化財の展示は圧巻であったが、ただ一つだけ言うならば恵信尼文書を見出した鷲尾教導は新潟県見附市出身である。そのことをもっと強調する、あるいはその偉業にスポットを当ててもいいのではないかと思った。

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マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-04-28 01:11 | 草評
2014年 04月 26日

Bとのご縁

b0061413_15474929.jpg iTunesをいじっていて「たまにはアーティスト別に誰かに絞ってじっくりと音楽を聴くか…」と思ってインデックスを参照した時にアルファベット順のなかで「B」の項目の突出ぶりに自分でもBっくり(ビックリ)してしまった。まずボブ・マーリー(Bob Marley)とボブ・ディラン(Bob Dylan)という二人のボブは全体の録音物のなかでもかなりの主要部分である。バンドでは何といってもビートルズ(Beatles)がいる。圧巻はブルーズ音楽で、B.B.キング(B. B. King)にビッグ・ビル・ブルーンジー(Big Bill Broonzy)というBだらけのブルーズの巨匠たちの名前がさっそく見える。ブラインド・レモン・ジェファーソン (Blind Lemon Jefferson)やブラインド・ウィリー・マクテル(Blind Willie McTell)というように12弦ギターを弾き鳴らし歌った戦前のブルースマンたちも「Blind」という言葉がアーティスト名としては先に付いてここに入るし、同じく12弦ギターのバーベキュー・ボブ(Barbecue Bob)も居る。ギターの名手たちだけではなくピアノ弾き語りのビッグ・メイシオ(Big Maceo)も居る。ブルーズブラザースまでも(BLUESBROTHERS)もBeatles同様に定冠詞のTHEが付いているのだがiTunesの整理上はBの項目に入っている。ジャズでは何といってもビル・エバンス(Bill Evans)が居るし、ボサ・ノヴァではバーデン・パウエル (Roberto Baden Powell )が存在する。クラシック音楽の部門ではアーティスト名としてそもそもドイツの3B、つまりはバッハ(Bach)、ベートーベン(Beethoven)、ブラームス(Brahms)という超ビッグネームが「B」の項目に鎮座されているけれども、大好きな指揮者であるブルーノ・ワルター(Bruno Walter)大先生がここにいらっしゃった。そもそも、指揮者の役割というのか、指揮者って凄いんだということを初めて教えてくれたのがブルーノ・ワルター大先生からだったと思う。ベートーベンの交響曲などは、ことに6番の「田園」がもっとも好きなのであるが、ブルーノ・ワルター指揮の録音を聴いてしまうと他の演奏では満足感が足りなくなってしまう。邦楽では唯一家族全員が好きであるといえるBEGINなんかもBの項目にあるし、ちょっと変わったところでは知り合いのお孫さんがメンバーであるのでBerryz工房もBのグループのなかに居る。おそらく、他のiTunesにはBの項目に入っている確率がいちばん高そうなB'zの曲が一曲も入っていないのであるが、私の音楽鑑賞歴のかなりの部分がアルファベットのBに集中しており「私はBを聴くために生まれてきたのか?」と思うほどであった。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-04-26 16:27 | 草評
2014年 04月 24日

コッヘル231番 牡蠣フライサンド

b0061413_23575766.jpg 三度の飯よりサンドが好きということはないな。人生が二度あれば、ということは一度目の人生だって半ばであるのでよくわからないが、食事の機会が三度あればそのうち一度はサンドがいいというぐらいは好きだな。揚げ物を挟む形のサンドイッチといえばトンカツを挟んだカツサンド、チキンカツサンド、それから市販のものであればホットドック型のパンのなかに収められている場合が多いけれどもコロッケというのもいい。これらの具といっていい揚げ物はエビフライなども含めて定食のフライでもエース級もしくはローテーションの要といっていいような存在である。そういうなかで、私は白身魚のフライやアジフライというものも大好きである。そうすれば、牡蠣フライのサンドイッチというのは案外とありそうでなかったものとしてやり甲斐があるのではないだろうか?と考えた。やり甲斐というよりもやり貝といった方がいいかもしれない。

b0061413_0473064.jpg 牡蠣フライサンドがあまり市販では見られないのは、まずは衛生管理上の問題点があるのであろう。私だけではなくて「これはイケる!」と思ったコンビニの商品企画者やパン屋さんなどは今までにも必ず居たと思う。しかし、別な意味での「大当たり!」ということを考えるとやはりリスクを回避する方向性に流れていったのだと思う。飲食店においては牡蠣なのに無難に夏季は避けて、主に冬シーズンを中心とした定食メニューであるか、もしくは居酒屋メニューとして存在するということが多い牡蠣フライではなかったと思う。さて、牡蠣フライサンドであるけれども写真のようにキャベツを添えたホットサンド仕立てということもあるけれども一口で「こりゃイケる!」と思った。フィッシュバーガーなどが好きな人でさらに牡蠣が好きな人は是非ともやってみていただきたいと思った。少なくとも居酒屋ではあれば必ずといっていいほど注文する牡蠣フライ好きの私で、定食屋でのご飯との相性も抜群なのであるが、黒ビールとともにイギリスのパブで流行らせてみたいという野望さえ浮かんだ。


マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2014-04-24 01:08 | 草外道
2014年 04月 22日

草煩悩(17) 象印(HUNTING WORLD)のジーンズ

b0061413_841490.jpg HUNTING WORLD(ハンティング・ワールド)の製品のことをここでは「象印」と呼ばせていただきたい。いきなりだが20年近く前に体重が94キロにまでになったことがある。放っておいたら100キロ越えになっていただろう。草野球で哲学堂グランド(東京)で外野フェンス直撃の長打を放って「三塁打だ!」と直感したが二塁をまわったところで早急に送球は帰ってきて、しかもしばらくは二塁の塁上でゼーゼーハーハーしていた。「こりゃイカン!」と遺憾に思って己のサボリ体質は真面目に自覚していたので半年先のハーフマラソン大会にエントリーカードを提出し、深夜のスロージョギングをコツコツとやった。さらに痩身化計画のダメ押しのため「スリムになった時に履く高級ジーンズを買う」ということを思い立った。半年間の深夜の夜食分を充当すればいい。池袋駅の東口の西武で買ったか西口の東武で買ったのか、西も東もわからぬ私には思い出せない。(とりあえず西本願寺ではなく東本願寺に属している)とにかく「あのぉ…もっと大きなサイズもありますが本当に試着はしなくていいんですね?」と言われたことは覚えている。

b0061413_8412211.jpg その象印のジーンズが半年後にバッチリと履けるようになったことは私なりの快挙であった。その後、たまにしか履かなくなったとはいえかれこれ20年近く経って、一種の「天然物ヴィンテージ」と化している。写真の皮パッチは、あの有名な象印のバックと同じように象の印があった。普通、象印のバッグをそのまま洗うということはないと思うのでバッグを持っている方は安心していただきたたい。ただ、10年ちょっと経過時点ではしぶとく象印は残っていたのであるが20年近くの時を経て象の印も文字も完全に消えてしまった。一枚の皮が縫い付けてあるだけという、何ともマヌケにも見える図がここにある。昨日8歳の誕生日を迎えた末娘は「ここにマジックで名前を書けばいい」とすすめてくれるし、シャラポア(妻・日本人)は「私が象のイラストを描いてやろっか?」と言う。私は実はシャラポアのイラストのファンであるし、名前を書くのもどっちも真面目になかなかいいと思っている。とにかく、象印の象が消えてしまったことに一抹の寂しさはあるものの、高級ブランド品という呪縛から解き放たれて「よそ行きの普段着」というような位置づけから純普段着となった。それは降格とか二軍落ちということではなく、ブランド品であるから愛されていたモノから無条件に愛されるモノに時を経て転化したのである。


マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2014-04-22 09:39 | 物草
2014年 04月 20日

コッヘル230番 豆腐蓉(とうふよう)

b0061413_2347403.jpg コッヘルセットを八重山諸島への旅行中にも持っていった。石垣島の川平湾の近くの米原ビーチキャンプ場などは下見というほどでもなく「チラッと見た」という程度で、滞在中に自炊はしなかった。商店街でトロピカルフルーツを切ってもらって食べた時には持ち歩いていなかったし、結局は「旅行中の仕分けのための小物いれ」ぐらいにしか役に立たなかった。結局、帰ってきてから購入してきた豆腐蓉(とうふよう)を食べる時に使うということになった。豆腐蓉とは沖縄の島豆腐を米麹と紅麹と泡盛によって発酵させて熟成させた醍醐味がある食べ物である。豆腐蓉に明確なイメージがない人には「豆腐蓉といっても豆腐ではなくもはやチーズである」と言った方がわかりやすいと思う。それもカマンベールとかゴーダチーズのようにポップで万人向けではなくブルーチーズのようにディープで珍味である。したがって万人向けではなくて好みは分かれてしまう。実際、鮒寿司などが好物であるシャラポア(妻・日本人)もちょっと味見をしただけで「もう充分」となってしまう発酵度といい熟成度といい実にディープな珍味である。 ところで、納豆と豆腐という漢字の文字は意味が逆であって歴史のなかで取り違えてしまったのではないか?と思っている。関西人で納豆が大嫌いな人が「腐れ豆」と呼ぶことがあるほどに、納豆の方が「豆腐」という文字で表現される現物に近い。そして豆腐の方が「豆を納めたもの」という「納豆」の現物に近い。その点では豆腐蓉こそ文字通りの「豆腐」であると言える。落語で「酢豆腐」とか「長崎名物ちりとてちん」と呼ばれる噺では文字通りに腐った豆腐が出てくるのであるけれども、それがさらに熟成とそれなりの洗練がされたものが長崎名物ならぬ沖縄名物の豆腐蓉である。 というわけで、うちの家庭は発酵食品を比較的に好む傾向にあると思っているのであるが、購入してきた豆腐蓉はすべてこのマーヒー加藤の珍味系おつまみとなっている。この夏の終わり頃まで賞味期限はあるし、まあそれも嬉しいといえば嬉しい。かなりの守備範囲をもつ酒であるビールも、この珍味には案外と合わないと感じた。逆に、常温の日本酒がもつ素晴らしい守備範囲と許容範囲の広さを再認識することになった。しかし食べれば食べるほどに珍味系チーズに味が似ているので「これを赤ワインを飲みながら食べたらどうなるのだろう?」とふと思った。目の前にアルゼンチン産の赤ワインもあった。しかし、数の子、塩辛、シメサバの三つは赤ワインの成分を口に含みながら食べると口のなかが異臭で大変なことになってしまうということも聞く。「ああ、試したい!」と思いつつも豆腐蓉と赤ワインの両方を無駄にしたくはないという気持ちから鉄板の安全策である泡盛を飲むのでありました。

マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2014-04-20 00:34 | 草外道
2014年 04月 18日

草仏教掲示板(66) 壇蜜の言葉

b0061413_18215526.jpg 「法語を発する人が僧侶とは限らない」ということが、浄土真宗の掲示伝道には特徴としてあると思う。それはたとえば「真宗教団連合カレンダー」を見てもそうである。僧侶ではない人を「在家」とひとくくりにしても、そこには安田理深(やすだりじん)先生のような大学者もいるし妙好人(みょうこうにん)という純朴な信心に生きた信徒の人々もいる。ただ僧侶ではない人の言葉を法語としていただくことも多いというところには浄土真宗の特徴のようなものがあると思っている。私はそのことに積極的すぎるのかもしれない。最近だけでもサントリー烏龍茶の広告文予備校講師の言葉長渕剛の反省文ハラダイスカウンターショーレディ・ガガの言葉などなどがあり、「たまには僧侶である人の言葉も出さなきゃなぁ」とさえ思うような状態になっている。そして、今月は 壇蜜(だんみつ) の言葉の掲示である。 壇蜜の存在をはじめて知ったのは新書で『マイ仏教』を世に問うた数年前の時期のみうらじゅん氏によってである。後に福山雅治、テリー伊藤、宮川大輔、 加藤浩次、 後藤輝基(フットボールアワー)、そして中居正広(SMAP)などのそうそうたるメンバーが壇蜜を絶賛して一気にブレイクしたのであるが、マスコミ関係者で最初に壇蜜の存在にスポットライトを当てたのはみうらじゅん氏ではないかと思っている。その強い推挙によって、確か『フライデー』であったと記憶しているが、実に久しぶりに袋とじグラビアが付いた雑誌を購入したのであった。久しぶりといえば、単なる飾り物になっていた「ペーパーナイフ」というシロモノを行使したのも久しぶりであった。本来、ペーパーナイフとは昔の袋とじの洋書のペーパーバックを読むための道具であるが、今の時代にその手の雑誌なかりせば何処にペーパーナイフの役割あらんや。でも、何だか袋とじを開ける時にドキドキしたなぁ。ヨハネの黙示録の七つの封印が解かれる時には人類は滅びると言われているそうだが、週刊誌の袋とじという封印を解いた時には自らが滅びるのではないか?というほどの緊張感さえもちつつ私はグラビアの壇蜜と初対面をした。それが、いつの間にかシャラポア(妻・日本人)さえも壇蜜のファンになっていくとは想像していなかった。まずは「壇蜜」という芸名にやられた。仏壇の壇に蜂蜜の蜜。それは『観無量寿経』のなかで牢屋に幽閉された頻婆娑羅王に面会に行った韋提希夫人が体に蜂蜜を塗って王に舐めさせたという、いわゆる「ハチミツぺろぺろ」のシーンを連想させた。その壇蜜のブレイク直前、もしくは直後という時期に「チューボーですよ!」という番組のゲストに登場して堺正章とともにベーコンチーズバーガーを作っていたのであるが、堺正章を軽くあしらう壇蜜を見ていてシャラポアが壇蜜のファンとなっていった。この言葉は、シャラポアが「しゃべくり007」という番組のなかで恋愛相談に答えて「若い時に傷ついておかないと、将来もっとしんどい状況におちいった時に自分自身を励ませなくなる。自分自身を励ませるのは、結局自分自身しかいないから。」という言葉に感銘を受けてのことである。 

マーヒー加藤(ブログ文) 
日本人シャラポア(書)
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by kaneniwa | 2014-04-18 09:07 | 草仏教
2014年 04月 16日

草仏教掲示板(65) それゆけ私!!

b0061413_0151194.jpg 石垣島をはじめとする八重山諸島についての記事を2週間にわたって書いてきたので、今月に入ってからの法語掲示板を紹介することが遅れた。まず「それゆけ私!!」という言葉を掲げさせていただいている。何じゃそりゃ?というご意見もあろうけれども、寺はJRの駅にも近いので、この寺院掲示板に目を通していく人のなかには新しい制服に身を包みながら新しい気持ちで掲示板に目を通していく人もいるだろうなぁ、という私の気分で決めた言葉である。気分ではあるけれども、この言葉の典拠というか出典はサントリー烏龍茶の1997年の広告文である。 がんばってきれいになる。「それゆけ私」サントリーウーロン茶。 というコピーの真ん中をとってエクスクラメーションマーク(!)をふたつ(!!)付けさせてもらった。 「それゆけ私」という言葉が妙に頭や心に残っていたのは、私の妙な固執によるものでもある。「それゆけ私」という言葉の主語は何か?などという眠れなくなる、あるいは考え出したらすぐに寝てしまうような問題を考えてしまったことがあるからだ。では、日本語よりはるかに主語が明確であるといわれる英語で考えてどうよ?中学生でもすぐに浮かぶ「Let's go.」という言葉。主語は何よ?「Let us go.」でも「Get us to go.」でもいいや。主語は何なのよ?この問題を考え出したら眠れなくなって眠ってしまい、朦朧とした意識のなかで何となく「それはね、如来から賜るLet'sというはたらきかけを察知することができた己のなかの法蔵菩薩が隠れ主語になっているんだよ」という声(from主語神?)を聞いたような聞いていないような。 ともかく、私は道行く人々に、この謎のはたらきかけを提示することにした。その道行く人たちのなかには高校生になったばかりのうちの長女も中学生になったばかりのうちの長男も含まれている。長女は高校生でもアルト・サックスを続けるつもりでいたが公立高校ながら音楽科もあるその高校は吹奏楽ではなくオーケストラとなっていて編成にアルト・サックスはなく、部活動はコーラス部に所属することになるようだ。「それもまたいいじゃないか、それゆけ私!」と思った。そして、私もこのようなオチがつくとはまったく思っていなかったが、所属するコーラス部は「声が荒れてしまう可能性があるのでウーロン茶は禁止」という独自のルールがあるという。わはは、サントリーのウーロン茶は飲めなくても「それゆけ私!!」

マーヒー加藤 (ブログ文)
シャラポア (書)

※ 実は掲示板には二つの言葉を並べております。
  このサントリー烏龍茶を典拠とする「それゆけ私!!」に並んで、
  シャラポア(妻・日本人)が選んだ 壇蜜 の言葉があって、
  今月は今までにない反響も感じております。
  壇蜜の言葉については近いうちにこのブログで紹介させてもらいます。
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by kaneniwa | 2014-04-16 01:07 | 草仏教
2014年 04月 14日

うちら家族の石垣島ベスト7(7) 石垣島の街 そして最後に…

b0061413_6173896.jpg 具志堅用高の等身大の像に私のタオルをかけさせていただきシャラポア(妻・日本人)に写真を撮ってもらう。具志堅用高は私が中学生時代だった頃は13回の連続防衛をしたジュニアフライ級の絶対王者であった。この像がある離島ターミナル(西表島、竹富島、波照間島、小浜島などへ行く船が運行している)の周辺が役所や商店街や繁華街などがある中心街である。具志堅用高のお兄さんというのが、この離島ターミナルからどの島への運航を担当されていたのかまでは忘れたが、フェリーの船長さんであった。10年ぐらい前にテレビで見たが、顔もしゃべり方もソックリというよりも同じであって具志堅用高の船長コスプレとしか思えないほどであった。このチャンピオン像がいつ頃に建てられたのかはメモしてこなかったけれども、お兄さんは偉大なチャンピオンである弟を誇らしく思っていただろうなぁ。

b0061413_6175131.jpg 石垣島に滞在中3泊したのがこのベッセルホテルであったが「実にほどよいなぁ」ということを感じる居心地のいいホテルであった。その離島ターミナルや繁華街から少し歩くし、部屋からの眺めもコンクリート工場で、その向こう側に海や港が見えるという微妙な景色ながら居心地がいい。ベットの横幅が150センチもあったので帰ってきて「ベットで大の字になって寝る」ということの爽快感がいちばん大きかった。朝食はバイキングであり、そりゃ高級ホテルの朝食バイキングのような高級食材ではないものの、和食にしても洋食にしても、そして必ず何品かはある沖縄料理にしても「実にほどよいなぁ」という満足感があった。だから野菜にしても炭水化物にしても前日までに不足していた栄養分を朝からバッチリ補給できる感じ。しかも日替わりメニューがいくつかあるので3泊しても飽きることはなし。朝食後にトレイと食器を返す手順が東本願寺同朋会館方式というか、食器の種類を分別しながら返すのであるがいい朝食をいただいたらそんな手間など「喜んでする」という感じであった。ベッセルホテルチェーンは広島県福山市を本社として西日本中心の展開であるが、ご縁があったらまたベッセルホテルの系列に泊まりたいと思う。

b0061413_618583.jpg ベッセルホテルをチェックアウトする時に、そこそこ安くても大きなホテルであるのにも関わらずシャラポア(妻・日本人)は朝食会場の案内係の女性職員に気に入られて、チェックアウトの時に「あんた、この次に来る時にはまたここに泊まって、そんで夕食はうちで食べていきな!自転車で通っているぐらいここからすぐのところなんだから!」と手を握られて言われた。シャラポアにはこういうことが多い。シャラポアは自分自身の能力の他に「人の能力を借りられる力」とか「人にたすけてもらえる力」というものをもっている。だから、シャラポアと戦ったら勝てないのである。写真は、文章とはあんまり関係なくなったけれども見学させてもらったコミュニティFM局。このFM局がある場所は、離島ターミナルから見える丘の上にそびえるホテル日航八重山のなかにある。八重山日報だろうか、あるいは沖縄タイムスなのか琉球新報なのだろうか?ニュースは新聞の三面記事をそのまま読まれていた。

b0061413_6183145.jpg ユーグレナモールという市場と商店街を兼ねたような通りのなかの商店で、珍しいフルーツを見かけた。近くのフルーツパーラー的なところでそういったものをオヤツとして食べようと思っていたのであったが「あのぉ、ここでカットしてもらってここで食べるというのもOKですか?」と尋ねると「いいさー」という言葉が心地よいリズムで返ってきた。そしてこの写真を撮った後でこの商店に辺銀(ペンギン)食堂のラー油という、他のお土産物屋やショップで軒並み売り切れの札が出ている品物が売っているということに気がついた。2〜3年前に「食べるラー油」というものが全国的な大ヒットとなったわけであるが、その食べるラー油というものの発祥の地が石垣島の辺銀食堂である。そのラー油を指さして「こ、こ、これは?」と尋ねると「ホンモノさー」という、心地よいリズムでの的確な返答があった。

b0061413_618536.jpg これはスターフルーツ。縦長の形態のものを横に切るとこのような見事な星形になる。10年以上前にハワイのカウアイ島で初めて食べて以来だ。季節が合うのか、店先に並んだ新鮮なものの切りたてだからなのか、その時よりもシャキッと鮮烈で今回の方が味の記憶が鮮明に残った。しかし、南国の魚といい昆虫といい、果物といいキリスト教的価値観のなかでは「唯一神が作り給うたもの」のひと言で済んでしまうのであるが、なぜにかようにデザインされているのだろうか?ダーウィンの進化論ではどう説明するのかわからないけれども、トロピカルな世界においては何だかド派手で面白いものだけが厳しい自然淘汰をくぐり抜けてきたというようにもちょっと思える。

b0061413_6191382.jpg ドラゴンフルーツもしかりである。これがトロピカルフルーツではなく北国の山中のキノコであるとすれば、その外観を見ても写真のようにカットしてもらったところを見たとしても「まず毒がある」というように思ってしまう。人を外見で判断してはいけないように、食べ物も外見で判断してはいけないのかもしれないが、外観にしてもカットしたところにしても似たようなものがポケモンに登場してくるモンスターにいかにも居そうである。旧約聖書における禁断の果実はリンゴであった。リンゴは現在では身近な果物の代表のようなものであるので、ドラゴンフルーツの方が何だか「禁断の果実」という冠がふさわしいような気がしてくる。そして「以前食べたものはこれに比べたら味がないようなものだった」と言えるほどに濃厚な甘みがあった。やっぱり禁断の果実は甘くなくっちゃ!と思った。

b0061413_6192936.jpg 石垣島から帰る時、末娘は買ったハブのぬいぐるみ(そういうのが大好き!)のしっぽの部分をわざと荷物から出してANAの職員さんに注意されることを楽しみにしていた。(そういうことが大好き!)家族全員、石垣島が名残惜しくなってしまったので鈍行バスで空港まで行く。この鈍行バスの40分間もなかなか良かった。南ぬ島石垣空港(ぱいぬしまいしがきくうこう)の駐車場にはやけに初心者マークを貼った車が目立つなぁ…と思っていたが、その理由は後で感動的にわかった。石垣島には高校はあるものの大学や短大はない。また、就職先を求めて18歳が旅立つ時期であったのだ。この日、私たちが南ぬ島石垣空港から帰った日は3月28日。島を離れる若者たちを大勢の仲間たちが見送っていたのだ。大勢の若者たちが「ちばりよ~」(がんばれよ)という声を上げて旅立つ仲間を祝福しつつ見送っていた光景があった。そして、飛行機のなかで、私の隣の席の若い二人の女性が手荷物のボストンバックから寄せ書きのTシャツを取り出して楽しそうに語り合っていたが、やがて涙目でそのTシャツを抱きしめた。見ているところを見られたくなくて、視線を避けるためにうしろを振り返ると、高校生になる長女がそれをチラリと見ていた。それは全然考えていなかったけれども、旅立ちの季節の家族旅であったんだなぁ。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-04-14 18:35 | 七草
2014年 04月 11日

うちら家族の石垣島ベスト7(6) 浜島

b0061413_0342218.jpg というわけで、人生最初の鮮明な記憶が水への恐怖であった私は、泳ぐことは苦手であったが、海が嫌いであったわけではない。関西では「琵琶湖で海水浴」という言い回しがある。これは他の地方では笑われてしまうフレーズである。琵琶湖は淡水であって海水ではない。しかし「豚のビフテキ」とか「牛から落馬」という表現はどこか矛盾を含んでいて変だけれども言わんとすることはよく分かるように「琵琶湖で海水浴」という表現は通じる。実際にたとえば和邇(わに)浜という琵琶湖の岸には「和邇浜海水浴場」などという看板が立っていたような覚えがある。しかしながら「琵琶湖で海水浴」にとどまらず、年に1回のことであったけれども舞鶴に近い神埼海水浴場や竜宮浜海水浴場に子どもの頃は連れていってもらって「海」というものを満喫した。泳ぎは苦手でも海というものは大好きであった。

b0061413_0345796.jpg その後、新潟県に引っ越してきて藤塚浜という近くの海水浴場が京都の日本海側よりもきれいだなぁと感じ、村上市の桑川駅と今川駅の間ぐらいの「笹川流れ」といわれる山からのアクアマリンなどで純化された清流が海に注ぐポイントの美しさに驚いて、しばらくの間この「笹川流れ」の周辺が人生でもっともきれいな海である時代が長く続いた。今でも本州で屈指の美しさであると思っている。その後、2月であったので泳ぐことはできなかったが沖縄本島の読谷村の海の美しさにこれまた圧倒されてそこがもっとも美しい海の時代があり、それから10年後にハワイのカウアイ島に行った時にワイメア本願寺の藤森先生がシルベスター・スタローンの別荘を抜けてやっと車一台が入れる道を島の北側に走らせてくれて辿り着いたイニ二・ビーチというところが何と400メートルもの遠浅が続き、遙か遠くで腰まで海に浸かって現地の人が釣りをしていたビーチが美しくて「もうこれ以上の海に出遇うことはないだろう、ここが変わらずにいてくれたらそれでもう海という世界は充分だ」とさえ思った。
b0061413_0343671.jpg ところが、石垣島沖にあって大潮の満潮時には島全体が完全に海中に沈んでいるという幻の島・浜島に近づいて行って、釣り船(ボート)全体が強烈なクリームソーダ色の照り返しで眩しくなった時に、うちの長男が今まで食べ物を口にしてその味に心から感動した時以外には発したことがない感嘆詞であるどっぴゃー!という言葉を何度も口にして、その後はポッカリと口を開けてその海の美しさに感動している。そしてそれは私も他の家族もそうだった。サンゴ礁などもあるので大きな船では近づけない。浜島まで歩いて(部分的に泳いで)行けるポイントに船を付けてもらって家族は喜び勇んで浜島への上陸を目指す。末娘が「待ってぇえええ!」と言いながら後を追う。これは自分としては好きな写真だ。今は簡単に水平線、地平線に合わせて写真の角度を修正できるのだが、修正したら臨場感みたいなものがなくなったのでそのままにした。

b0061413_0352163.jpg 石垣島でタクシーの運転手さんであるとか飲食店の方などと「石垣島ではどこに行くことを楽しみにしているの?」とか、「石垣島ではどこが良かった?」などという会話になった時に私は「何といっても浜島!」と答えていたのだが、さすが幻の島というべきか、あるいはたまたまだったのかはわかないが、私が会った地元の人々はみんな浜島の存在を知らなかった。そういうものかも知れないなぁ。私も沖縄の、しかも八重山諸島に住んでいたならば、旅行や行楽というものは見慣れすぎた海に行くのではなくて東京や大阪のような大都会に遊びに行くか北海道や東北の山に行きたいと思うのかもしれない。しかし、ここの海には圧倒された。

b0061413_0353990.jpg しかし、この浜島の周囲の驚くべき透明度でもって深さによってブルーのグラデーションとなっている海は圧巻であった。どうもTBSの「世界ふしぎ発見!」でこの浜島のことが紹介されて以来というもの、夏にはこの浜島が人であふれて「満員状態」となってしまうことも珍しくないことであるという。この3月25日は海開きの後でしかも好天に恵まれていたのにも関わらず、何と私たち家族5人でこの島を独占して遊んだ。「うーん、こんなこと孫正義さんやビルゲイツ様でもできないことだぞ」と、スケールが大きいんだか小さいんだかわからないことを言った。遊んでいるうちに干潮時が近づいてきているのか浜島の面積がどんどん縮んでいくというのも不思議な世界の発見であった。

b0061413_035537.jpg 石垣島などの八重山諸島は沖縄本島と違って銃撃などの地上戦というものはなかったので、このような美しい海に囲まれた平和な世界がずっとあったものであると思っていたが、実際には空襲や艦砲射撃による攻撃を受けたことがある。そしてその攻撃から逃れるために島のなかで疎開し、その密集生活のため戦争マラリアと呼ばれるマラリアが流行して当時の人口の10分の1以上である3647人が亡くなり、波照間島などは当時の人口の3分の1の方々が亡くなられていたという事実に現地で初めて気がついた。八重山諸島を含む沖縄はどこから何を見るかで、まったく風景が違うと思う。右から見るか、左から見るか。「私は右でも左でもない!」という人がいるけれどもブレブレ人生の私はそんなことは言えない。「私は右であり左である」なら言えるかもしれない。コウモリ人生だ。でも、コウモリらしくアンテナの感度は高くしておきたい。子どもたちは、この浜島という場を訪れたことを象徴的な経験として八重山諸島をはじめとする沖縄に関心を持ち(すでに毎朝、テレビで沖縄の天気に注目しているなぁ)、この浜島の海がずっとそのままでありますようにという祈りに似た気持ちを持ち始めたようだ。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-04-11 06:33 | 七草