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2014年 05月 30日

竹富島を訪れなかったら、たぶん感じなかったこと

b0061413_12133623.jpg 粟散(ぞくさん)片州(へんしゅう)に誕生して 念仏宗をひろめしむ 衆生化度のためにとて この土にたびたびきたらしむ (真宗聖典499頁)と親鸞聖人は法然上人を讃える和讃(わさん)を書いた。そしてさらにその冒頭の「粟散片州」という漢字の横には「このにちほんこくなり」という書き込みがある。自虐的であったのかどうかなんかわからないけれども、どんな最先端の知識人であろうとも世界地図を描けばインドと中国と日本の三国(だから三国一の花嫁とかいう表現はとても古い)に朝鮮半島を加えるのが精一杯であった時代にこの日本のことを「世界の片隅の島々」という認識をもたれている。新潟県にはまさに粟島(あわしま)という人口が438人(平成17年度国勢調査)の島がある。親鸞聖人は越後に流刑となったとはいっても島流しではないので粟島の地まで足を踏み入れたことはおそらくないだろう。ただ、縄文式土器が出土する深い歴史をもっていて、鎌倉時代にはすでに色部氏の領地であったことから親鸞聖人が「粟島」という島を認識されていた可能性はある。なんせ、私の自宅からいちばん近い海から肉眼で簡単に見える島である。3月下旬に訪れた八重山諸島のなかで、石垣島の面積と現在の人口が佐渡ととても近いなぁと思い、竹富島の面積と人口は粟島に近いなぁと感じていた。石垣島沖から釣り船から見た砂浜と周辺の海の美しさもあって、丸一日はこの竹富島で過ごす予定であった。第一、八重山諸島に家族で出かけると決めた時にすでに訪れた知人たちから聞く意見は「やっぱり八重山諸島のなかでは竹富島がいちばんいいね」というものだった。家々の周囲に丁寧に積み上げられた石垣。(何だか竹富島の方が石垣島という名称が似合うような…)その石垣からたまに出てきたハブがすぐに見つけられるように真っ白な砂浜の砂をもってきて作られた白い路地。デイゴの花、牛車、その歌が誕生の地で聴く三線弾き語りによる「安里屋ユンタ」や星砂(太陽の砂)で有名な皆治(カイジ)浜やコンドイ浜などなど…竹富島に行きたくなる話ばっかりをたっぷりと伺った。ただ、石垣島の離島ターミナル(港)で心なしか竹富島から石垣島に戻ってくる人々が複雑な表情をしているような気がしていたのだが、私とシャラポア(妻・日本人)も同じような顔つきで竹富島から石垣島に戻ってくることになった。考えてみれば、竹富島を八重山諸島のなかの楽園としてほめたたえる知人たちは皆、ほとんどが3年以上前に訪れていたひとばかりで、今年に入ってから竹富島を訪れたという人はいなかった。そんな竹富島の魅力を語る知人にとっては、このレポートはやや衝撃的ですらあると思う。

b0061413_1213532.jpg 2008年(平成20年)5月、有限会社竹富観光センターの水牛車営業所が竹富保育所や竹富小中学校に隣接し、島の神である清明御嶽の北面に接し、地元から神の道と称されるナビンドー道にも面する場所に移転した。以来、協議が重ねられたもののそれが決裂して途絶える時期を経て、今年2014年(平成26年)1月に竹富公民館と竹富島の聖域・文教地区を守る住民の会が水牛車観光事業所の早期移転を求める決起集会を開催し、水牛車の観光コース沿いに事業所の早期移転を求める32枚の看板を設置したのであるが、その32枚はコースの要所に掲げられている。もともと竹富島の人々は文化と伝統を守る気概が強く「竹富島憲章」によって新しく家を建てる場合は赤瓦屋根の平屋でなければならず、その結果としてイメージする沖縄の原風景というものが残り、それらの家々は丹念に積み上げられた石垣やデイゴの花などに彩られた素晴らしい庭という景観をもちつつ、それらを大切な島のいちばんの産業である観光資源として大事にしてきた。また、これは先日ラジオで聞いた話だが、竹富島では島民のほとんどが参加する「竹富島一斉清掃の日」などというものもあり、当然ながら美しい景観を保つための努力を欠かさない。私たちのような一日観光客としても、その島を汚さぬようにすることはもちろん、一軒一軒の家を「実際に人が住んでいる家」として、その美しい景観を写真を撮るにしても人の家を覗きこむようなことはマナーに反するとは心得てきた。そんな文化と伝統と景観を大事にする島の人々が、あえてその景観を台無しにしながらも抗議の看板を掲げている。この半年以内に竹富島を訪れた人はリピーターにはなりにくいと思うし、半年以上ぶりに喜び勇んで竹富島を再訪した人は「何ということなんだ!?」と頭を抱えてしまうと思う。三線を弾き語りながらの牛車のガイドさんの、語ることの半分以上は抗議看板への弁明であり竹富島で生まれた名曲である「安里屋ユンタ」も、どこかうつろに響く。「看板がうっとうしいなぁ」という率直な感想ももつものの、牛車は保育園と小学校の前から公民館、診療所の前などの要所を通る。急患にも対応するこの診療所の前を牛車が牛歩であると、それは困るだろう。やはり、子どもたちを連れての家族旅行ということもあり「もしも自分の子どもがこの小学校に通っていたらどうか?調教されているとはいえ巨大な牛がいつ一瞬でも野生の衝動に帰るともしれない…」ということを考えてしまう。そこを牛車で通るだけで迷惑をかけているという罪悪感をもってしまう。動物好きで看板の文字が読めない8歳(この時は7歳)の末娘は無邪気に喜んでいたが、看板の文字も親の表情も場の空気も読むことが出来る長女と長男はやはり複雑な顔つきだった。牛車にのった後はレンタサイクルでコンドイ浜あたりまで行こうと思っていたのだけれども、何の打ち合わせもしなくとも顔を見合わせてすぐにフェリーで石垣島に直帰した。何と竹富島の滞在時間は2時間未満であったと思う。では、竹富島には行かない方がよかったのか?いや、そうではなかったと思う。なぜかというと八重山教科書問題と水牛車営業所の移転を求める声が上がった時期がたいへんリンクしているような気がするが、どちらにしろこの島に関心をもつようになり、その未来を見つめたいと思うようになった。教科書問題でも水牛車営業問題でも、小学校というものが要所となっている。その小学校の今年の入学者、新一年生は一人だと聞いた。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-05-30 18:04 | 草評
2014年 05月 28日

名曲草鑑賞(43) モーツアルト交響曲第36番ハ長調ケッヘル425番「リンツ」

b0061413_0294278.jpg 2006年5月8日まで京都の四条木屋町に「みゅーず」という名前のクラシック音楽が流れる喫茶店があった。学生時代に時々立ち寄って、書店や古本屋で買ったばかりの本などをよく読んでいた。ある時に「これはいい感じの曲だなぁ」と思いつつ、演奏中のアナログレコードのLPジャケットを見に行ったら、モーツアルトの交響曲第36番の「リンツ」であった。それから数年後、大学はとっくに卒業していた時に久しぶりに「みゅーず」に立ち寄って、時代もアナログLPからとっくにCDになっていたのであるけれども、その時に店内に流れていた音楽があまりにいいのでその演奏中のCDのジャケットを見にいったら、またまた「リンツ」であったのだ。つまり、何が言いたいのかといえば、私はどうやらこのモーツアルトの「リンツ」という交響曲を「いい感じだ!」と思える感性はもっているようなのであるが、その曲がどのような曲であったかを思い出すことがまったく出来ないということなのである。私以外の人にとってはおそらくどうでもいい不思議さではあると思う。ただ、覚えられないのにもかかわらずに再度、あるいは再三に耳にした時に初めて聞いたみたいに「いい感じの曲だ!」と思っちゃう自分を不思議に感じてしまったのだ。そこでブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団の演奏のCDを購入したのであった。そして今月中、15回ぐらい再生してみた。わはははは、不思議だ。「リンツ」の音の響きにはうっとりと魅せられているというのに、旋律(メロディ)がまったく覚えられない。わはははは、単なるバカなのかもしれないけれども、不思議なんだなぁ!上手い喩えさえもなかなか出てこないのだけれども、仮に私がものすごい珈琲通だとしよう。たいがいのコーヒーは香りを嗅いで飲んで味わって「ふむふむ、ブラジルサントスをベースにしてキリマンジャロとマンデリンとコロンビアをブレンドしてあるのだな」なんてことが瞬時にわかるほどの鼻と舌をもっていたとしよう。しかし、この「リンツ」というコーヒーには数多くの産地や違う焙煎具合のコーヒー豆がブレンドされているのにも関わらず、そのブレンド具合が実に完璧であるために、それが極上のコーヒーであるということだけが分かるのだが成分のようなものに関しては何がどうなっているのやらさっぱり分からないというような、そんな感じだろうか?ハ長調(Cメジャー)という調性のこの交響曲であるが「30分間の山登り」というイメージをもって実際に聴いてみる。10歩歩くたびに風景はどんどん変わり、天候もどんどん変わり、草花やら野生動物やら雨やら雲やら晴れ間やら虹やら、色んなものがどんどん出てきて景色も次から次へと変わっていって、何がなんやら分からないけれども「とにかくいい山登りであったなぁ」とは確実に思える、みたいな。将来、モーツアルトも一時期だけ住んでいたオーストリアのリンツという都市(現在の人口は19万人)を訪ねてみたならば、そこがどんな街だったかさっぱりと思い出せないのに何だかいい感じだけが残っちゃうのかもしれないなぁ。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-05-28 01:17 | 草評
2014年 05月 26日

私とポール・ニューマンとの関係

b0061413_225882.jpg もう20年とちょっと前になる。私の東京での勤め先にたどたどしい日本語でポール・ニューマンから電話があった時、最初はイタズラ電話であると思った。なんせポール・ニューマンといえばアカデミー賞を3回受賞した合衆国の俳優の名前であるからである。ただ話をしてみれば、それは同姓同名というだけのことでイタズラ電話ではなかった。「ワタシは、喜納昌吉&チャンプルーズのベーシストでありバンドのマネジメントも担当しているポール・ニューマンという者です。イギリス人です。私たちのリーダーの喜納昌吉が終戦の日である8月15日に親鸞聖人に関係のあるお寺で平和のために自分の曲を捧げたいと言っています。もちろんギャラは一円たりとも要りません。東京都内で親鸞聖人に関係のあるお寺をご紹介ください」という趣旨であった。私はとりあえずそのポール・ニューマンの電話番号を尋ね、当時のEさんという所長に相談した。所長に喜納昌吉の偉大さを説明することは簡単であった。なぜならば「ハイサイおじさん」でも「花」でも、歌詞カードなしでも歌えるほどの大ファンであったからだ。所長もその意義を感じてくれて「どうせならば東本願寺真宗会館(練馬区)をその場とした方がその御縁を感じて参拝してくださる方々もいるだろう」ということになった。私にとっても8月15日というのは大事な日で、その場に立ち会うことはできなかったのだが、喜納昌吉さんの楽曲を捧げるという形の平和祈念ということの段取りのほとんどを私とポール・ニューマン(アメリカ人ではなくイギリス人)さんとの日本語と英語のちゃんぷるーでの電話連絡でやったのだった。当日のスタッフも、半年ほど前に喜納昌吉のコンサートに同年代の住職さん副住職さんたちとともに新宿区の東京グローブ座に行ったばかりの頃でありスムーズに結集された。

b0061413_225829100.jpg ポール・ニューマンさんとの電話のやりとりのなかで、喜納昌吉ファンであった私も知らなかったがかつて喜納昌吉作品の「ジンジン」という曲がイギリスのダンスミュージックチャートで2位になったこともあり、イギリスにも熱狂的なファンが少なくないということだった。さて、8月15日当日の「そろそろ終わってしばらくした時間だなぁ」という頃合いに、つつがなく済んだかどうかを確認するために電話をかけた。真宗会館の管理人の金庭さんという人が電話に出た。(この管理人さんを私は慕っているので私はこのブログをはじめ色んなところにkaneniwaの記号を使っている)「あっ、加藤さん、ポール・ニューマンさんに代わります」としたが、そのポール・ニューマンさんは電話に出て「喜納昌吉に代わります」と言った。それまでの電話でのやりとりで、私もどれだけ喜納昌吉の楽曲を愛しているのかが伝わった結果の粋なはからいであったような気がする。「もしもし、喜納です。加藤さん、本当にありがとう」と、いきなり言われた。私の方から何らかの言葉での感謝を伝えようと考えていた矢先に、喜納さんの方から投げかけられた「ありがとう」に感じ入ってしばらく思考は完全に止まったままに数分間の会話をしたが、内容は全然覚えていない。 さて、ブログ記事上は20年以上の時を経て5日前の5月21日の夜、私は那覇市の国際通りのライブハウス「島唄」を訪ねる予定でいた。ネーネーズの出演の日ではないことは前もって知っていたのだが、お店そのものの定休日であることは気がつかなかった。「島唄」の前で「この近くに『島唄』以外のライブハウスはないでしょうか?」と街の人に尋ねれば、200メートルほど歩けば喜納昌吉さんの妹さんの喜納啓子さんが経営する「Ohana」というライブハウスがあるという。そういう巡りあわせやなりゆきのなかで、喜納昌吉さんの妹さんならきっとポール・ニューマンさんが今どうしているかきっとわかるだろうとそこへ行った。ライブの終了後に、出演もされていた緑色の衣装の喜納啓子さんに私は声をかけた。「あのお、ポール・ニューマンというイギリス人をご存知ですか?」と言うと、喜納啓子さんとバンドメンバーである二人の娘さんたちが「知ってるも何も…」と笑った。「あら、昨日来ればよかったのに!昨日、久しぶりにここに顔を出していたのに。ポール・ニューマンはバンドをやめて今は6社を経営するIT社長で大金持ちになっているよ。それからね、この二人の娘の父親は違う人なんだけど、何といっても私の元ダンナがポール・ニューマンだね。この写真の長男は私とポールとの子どもだよ」と言われてビックリしてしまった。私はその三線を持つ長男さんの写真と喜納啓子さんとの顔を見比べながら、映像の引き算やら足し算のようなことを繰り返しながら、電話では話したことは何度かあるけれどもまだ直接に対面したことがないポール・ニューマンという人の姿や顔を想像したのであった。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-05-26 07:01 | 草音
2014年 05月 24日

沖縄県庁前パレットくもじにて内田勘太郎ストリートライブ

b0061413_9155075.jpg 沖縄に滞在している間に学生時代には何度もライブに接した憂歌団の内田勘太郎先生(ギター教本ビデオも出していてそれを何度も見たので先生だ)のTOWER RECORD主催でのストリートライブが、ゆいレール県庁前駅のパレットくもじ(複合商業施設)の広場で行われていた。2泊3日の短い沖縄滞在中に何たる巡りあわせか。主催のTOWER RECORDさんからは録音と動画撮影は禁じられたが「写真はOKです」というご案内があった。(ブログ掲載まではOKなのかどうかまでは確認していないのですが、写真がOKということはそこに文章を添えて日記を書くのもOKということと判断します)

b0061413_9161059.jpg Gのオープンチューニングでのボトルネック奏法でのブルーズでライブは行われる。そのサウンドが夕暮れ時の県庁などのビルの谷間に響き渡り、時々振り返ると道行くたくさんの人たちの多くが足を止める。老若男女だ。そりゃ止まるだろう。内田勘太郎先生の出す音なのだから。 かつて内田勘太郎先生はこう言った。「色んなボトルで試してみたけれどもボトルネック奏法に使うボトルネックはカルピスの瓶の先端を切るのがいちばんやね」と。カルピスがあのガラス瓶でのカルピスの生産をやめてしまい、ボトルネックが作れないペットボトルというボトルばかりになった時に、私は内田勘太郎先生がこの先どうしていくかということがとっても気になっていた。どうやらこの日のボトルネックはカルピスではないように思えた。

b0061413_9162762.jpg 内田勘太郎先生のこの日のギターはヤイリだった。ファンなのでわかるけれども、このヤイリは内田勘太郎先生が杉山清貴(オメガトライブ)に「ちょっと貸してね」と言ってから四半世紀を経過しているはずのヤイリである。そういえばライブやスタジオ録音に長期間使ってこられた憂歌団のギタリストととしての内田勘太郎先生のシンボル的存在であるChakiのギターも元々はボーカルの木村充揮さんの所有物であったはずだ。もしも内田勘太郎先生が私に「加藤くん、それ、ちょっと貸してね」と言われるとたいへんに困ったことになってしまう。困ったことにはなってしまうものの、何だか内田勘太郎先生のサングラス(お眼鏡)にかなったものを持ちたいというのか、何だか内田勘太郎先生に「ちょっと貸してね」と言われたくてしょうがない気持ちというものも禁じ得ない。私は今後、そんな屈折した物欲をもっていくことになるだろう。

b0061413_9164465.jpg オープンGチューニングから先生はレギュラーチューニングに戻されて、この日は内田勘太郎先生が弾き語る曲も3曲ほど披露された。「この曲の作詞者とは絶交してからそのままになってもう10年です」などというMCもサラリと入れながらストリートライブは繰り広げられていった。写真を撮りつつも夢中になってその世界に入っていき、そして那覇の街中でのブルーズに酔いしれた。

b0061413_91738.jpg ブログ掲載許可を口頭でいただいたが、実は私を沖縄に招集した熊本のご住職さんは内田勘太郎先生と旧知の間柄であった。内田勘太郎先生を中央に3ショットである。撮影はTOWER RECORDの社員の方にお願いした。 私が結婚してからも自宅でよく内田勘太郎先生のギター教則ビデオ(VHS)を自宅で流していた。それを傍らで見ていたシャラポア(妻・日本人)が「この人、マヒにゃん(マーヒー加藤)に何だか似ている、姿も語り口もギターも」と言っていたことがある。シャラポア、全然わかっていないな。姿と語り口はモノマネぐらいならできるかもしれないけれどギターはモノマネですらできないのだ。同じフレーズでも内田勘太郎先生がギターを鳴らせば大きな黒人が道をノッシノッシと歩いていくような絵が浮かんでくる。この日もそうだった。ただ、沖縄に拠点を移されてからはや20年。沖縄で聞いているということもあり、ましてやストリートライブということもあり、その黒人が歩いていくイメージは変わらないものの、沖縄を踏みしめながら歩んでいくイメージをそのサウンドから感じてきた。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-05-24 10:24 | 草音
2014年 05月 22日

沖縄は日本の一部ではなく、日本が沖縄の一部なのかもしれない

b0061413_2339482.jpg 最近はよかれと思って物事をよく考えるようにしてきた。よかれと思ってよく考えることの弊害は、よく感じるということを二の次にしてしまうということかもしれない。写真は沖縄県宜野湾市の嘉数(かかず)高台公園から昨日の午後5時頃に撮影したもの。ズーム付きのコンパクトカメラだが手前に念珠をした知人の姿があることでもわかるように望遠ではなくむしろ標準から広角側寄りの焦点で撮っている。だから普天間基地に帰っていくこの飛行機と「ニアミス」といってもいいほどに近い距離にある。その爆音のみならず、爆風というものまで感じた。この嘉数高台という場で1945年4月8日からの16日間に沖縄戦最大級の戦闘が行われ、諸説はあるが10万人の人々が亡くなった。そしてその供養のための墓塔も建っていることから、この公園をひとつの墓地として見た時に「危ない」とか「煩い」とかいうストレートな感じ方とともに、そこに手を合わせる人々の黙念の上にさえもその爆音はふりかかってくるのだということを感じた。

b0061413_23392722.jpg 普天間基地問題について最低が県外であるならば、最高は何だったのだろうか。一昨日に初めてお目にかかった沖縄国際大学の大学院教授の前泊先生によれば昨年11月3日の沖縄国際大学での鳩山由紀夫氏のシンポジウムを含んだ講演会への学生の参加者は20名で(一般市民は多く詰めかけられています)あったという。2004年8月13日にヘリコプターCH-53Dが訓練中に墜落、炎上した現場の大学の学生であるから(事故当時は中学生前後だったにしろ)元々無関心であるということは考えにくく、いったんは鳩山由紀夫を代表とする民主党に大きな期待を寄せたがゆえの大いなる失望ということがあるのではないかと感じる。ただ箸にも棒にも、右にも左にもならないようなことを言うようだけれども1972年の復帰までには「祖国・日本に帰ろう」というムーブメントが起き、日の丸をいいな、カッコいいと心底感じてきた人たちも多い沖縄県民のなかの多くの人たちが「本土復帰をして40年以上経っても何も変わらないじゃないか、むしろ状況は悪くなっているじゃないか」とソッポをむいてきているのではないかということも感じる。 一昨年の10月16日に兵庫県の宍粟市を訪れた帰り、大阪から深夜バスで新潟に帰る時に荷が解かれて入荷したばかりの『週刊朝日』を何も考えずにただ読み物が欲しいと買ってさっそく読んでいたら橋下徹大阪市長をその遺伝子と先祖を理由に人格を否定した差別的記事が掲載されていて驚いた。今回は、買いそびれているうちに書店やコンビニから姿を消していた『ビッグコミックスピリッツ№25』を沖縄で手にした。「福島の真実」編のクライマックスとそこに寄せられた批判や意見が10頁にわたって掲載されたものであった。福島、沖縄を地域とかポイントとして見るのではなく、その問題から見るならば福島は日本の一部ではなくて日本が福島の一部であるし、沖縄は日本の一部ではなく日本が沖縄の一部であると感じていきたい。それを感じずに考えてばっかりいるのは嫌だ。


マーヒー加藤 
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by kaneniwa | 2014-05-22 23:23 | 草評
2014年 05月 20日

コッヘル238番 蒸し焼きタマネギ

b0061413_0524732.jpg 5月の恒例となっていた筍シリーズも一段落し、やって来るのはバーベキューシーズンだろうか?ただし、バーベキューシーズンの最盛期と言われている真夏は暑い!ビールは確かに美味しいけれども、食材の保管などにも気をつかうし調理しながらクラクラするぐらいの暑い日は苦手だ。それぞれに好みや気候に応じた地域性もあるだろうけれども、今頃から梅雨入りまでの間の新緑から初夏の季節と夏の暑さが一段落して魚やキノコが美味しくなる秋のシーズンの二つが大好きだ。これは外ではなくて家のなかでやっているけれども、その時の定番の野菜料理が「野菜の皮付きのそのまんま蒸し焼き」であり、そのなかでもタマネギはシーズンを問わず定番中の定番である。通常はダッチオーブンでやるけれども、最近の家庭内ではダッチオーブンの優れた作り手であるアメリカ合衆国のロッヂ製(テネシー州)の手軽な青の鉄鍋を使う。たぶんフランスではココットと呼ばれているものでも同じような効果があってルクルーゼ(le creuset)製のものなどが有名だ。

b0061413_053316.jpg とにかく、いちばん最初にダッチオーブン(正確にはコールマンのスキレットだった)でこのタマネギの蒸し焼きを何も考えずに弱火で30分間蒸し焼きにして皮を剝いて食べた時の感動は忘れられない。最初は何も付けずに食べて「タマネギってこんなに甘かったのか!」と驚いた。次に少しの塩をかけて食べるとその甘さがさらに引き立った。さらにブラックペッパーを少しふりかけたらそのスパイシーさと甘さが色も白と黒の見事なコントラストとなってくれた。それからはもうヤミツキ。けっこうこのシリーズのブログで文章を書きながらいろいろなことを思いつくことがあるが、今回も弱火で30分蒸し焼きにして皮を剝いたこのタマネギの白を見て、ちょっと閃いた。このタマネギをたくさん作って、それを少し冷めたら皮を剝いてからバラして、完成間際のカレーに入れてみたら面白いと思う。「ああ、タマネギがこんなに真っ白じゃダメなんだよ、30分以上は炒めてアメ色にしないと…ん?ん?これは何だ?」というようなトリッキーなカレーとなるような気がする。期間を置いてこのブログを読みなおして思い出したらそのカレーにとりかかりたい。


マーヒー加藤

コッヘルバックナンバー
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by kaneniwa | 2014-05-20 01:13 | 草外道
2014年 05月 18日

コッヘル237番 いかめし

b0061413_017339.jpg タコを出汁味のままに炊きこんだ「タコ飯」というものは家族全員の大好物であり、実際にコッヘル193番でもとりあげさせてもらった。タコがいけるものはイカでもやってみて、イカがいけるものはタコでも試そうというのが我が家の家風であり伝統のようなものである。駅弁のいかめしといえばイカの胴体部分を筒に見立ててご飯を詰めるという手法であるが、そこはタコ飯のイカバージョンということで同じような手法で炊き込みご飯とすることにした。したがってレシピ的なことについてはタコ飯の時とイカ同文ということになる。ただ、タコ飯とは違うのはスルメを水で戻してそれを刻み(水で戻さないと硬くて刻むどころか包丁で切ることさえ難しい)その戻し汁も出汁の一部として活用させてもらった。イカをはじめシーフードはカレーであれスープであれ煮込み過ぎると硬くなったしまうのであるけれども、いかなるカラクリか水で戻したスルメは生イカとはまったく違って炊き込むとその持ち味を十二分に発揮してくれるところがある。そしてその戻し汁の出汁味もナイス。スルメを使うことによってタコ飯に匹敵するほどの我が家の人気メニューとなっている。

マーヒー加藤

コッヘルバックナンバー
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by kaneniwa | 2014-05-18 06:16 | 草外道
2014年 05月 16日

草仏教掲示板(67) 人の心にもとより善悪なし

b0061413_1519577.jpg 人の心にもとより善悪なし これは道元禅師の言葉である。僧侶ではない人の言葉を法語として掲示できうるというところに浄土真宗の特徴のようなものを感じていたことは確かで、前回はとうとう壇蜜の言葉までが登場した。面白かったのはご年配の方から「この壇蜜という方はさぞかし歴史に名を残す名僧でいらっしゃるんでしょうねぇ」と言われたことだ。ともかく、気がつけばけっこう久しぶりに僧侶の言葉の登場である。そして、それは浄土真宗の僧侶ではなく曹洞宗の開祖であられる道元禅師の言葉である。この言葉は『正法眼蔵』のなかにあるのであるが、私は『正法眼蔵』を通して読んだことがない。学生時代に岩波文庫で読んだといえば読んだことはあるけれども、基本的な仏教の言葉さえまったく吟味できなった頃であるから、やっぱり読んだことがあるとは言えない。ただ、わからなくてもいくつか感じてくる言葉というものは私なりにあって、ある意味浄土真宗の僧侶の視点からすぐに感じてくるものがある言葉が「人の心にもとより善悪なし」であった。 大長編野球漫画である『あぶさん』の全巻のなかで(こちらは詳細までは覚えてはいないけれど『正法眼蔵』に比べたら胸をはって「読みました」と言える)私がいちばん感動したシーンは村田兆治投手のカムバックのくだりである。ロサンゼルスでジョーブ博士による右肘の手術を経て2年ぶりのマウンドに上がった村田兆治投手に対し、打者のあぶさん(景浦)はタイミングのずれた大きな空振りをする。しかし、マウンド上でその空振りは自分の全盛期のストレートをイメージしてのものであると察した村田投手が投じた渾身のストレートを、あぶさんはレフトスタンドに大ホームランを放つのであるが、打たれた村田投手は「帰ってきた、オレはここに帰ってきたんだ!」とこぶしを握りしめて歓喜の涙を流すのだ。あぶさんは実在のプロ野球選手が登場するとはいえその対決はフィクションではあるが、その後の「サンデー兆冶」としての劇的なカムバックの象徴となっているような名シーンであった。その村田兆治さんが肘の故障を抱えてつつジョーブ博士と出会う前まで、かなり怪しげな療法や思想にも頼ろうとしたようである。そしてスポーツ医学の第一人者のジョーブ博士の手術を受け、そのカムバックを静かに待つ間に読んだものが道元と親鸞であったと私は聞いている。そして、村田さんは取材をしにきたスポーツライター(確か玉木正之さん)にこう言ったと聞く。「道元も親鸞も、ただただ道を求めてもがき苦しんでいただけなんだ」と。法語とは少し関係のない話になってしまったけれども、その村田兆治さんが引退後のライフワークとしているのが「離島の青少年に野球を教える」ということで、新潟県の粟島をその第一弾として、全国各地の離島を駆けまわった。その集大成として今年の8月18日から5日間、新潟県の佐渡市にて全国離島交流中学生野球大会(離島甲子園)が開催される。北から南から、東から西から村田兆治さんの薫陶を受けた24チームが佐渡ヶ島に集結する。ああ、出かけてみたい。始球式はたぶん村田兆治さんだと思う。65歳の村田さんがマサカリ投法で、豪速球の始球式を見ることができるだろう。

マーヒー加藤 (ブログ文)
日本人シャラポア (書)
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by kaneniwa | 2014-05-16 16:54 | 草仏教
2014年 05月 14日

方便法身 3Dプリンターの近未来図

先週、3Dプリンターでプラスチック製の拳銃を作っていたとして
湘南工科大職員の男が銃刀法違反(所持)で逮捕されたという事件は、
その拳銃での直接の被害者の方がいなかったから書けることだが
「その手があったか!」
と、ついつい思ってしまった。
この手、つまりこの発想は3Dプリンターが出てきてからの
小説や映画やテレビドラマなどのフィクションの世界でも
あまり登場していないように思えたからだ。
もっとも私の勉強不足ですでに登場していたのかもしれないが、
3Dプリンターで拳銃を作った話は知らない。

前のシーズンの「科捜研の女」で
記念館に保管されていて外に出たことがないトロフィーが凶器に使われていて、
遺体の傷跡の形状から凶器はそのトロフィーに間違いないのだけれどもどうなっているの?
というフィクションの世界のなかの事件があったけれども、
ドラマの前半で3Dプリンターを使いこなす女医さんが登場した時点ですでに
「トリックの中心に3Dプリンターがある」
と先の展開が読めてしまった。

でも、もうすでに拳銃を3Dプリンターで作っていたという衝撃と、
それに関係してビッグカメラで拳銃が作れるものではないだろうけれど
3Dプリンターが69800円(税別)ですでに普通に販売されていることの驚きが重なった。

画像の3Dは、ディズニーランドやユニバーサル・スタジオで30分以内のものを鑑賞するのは
とても面白いけれども、元々映画の世界などは『アバター』ぐらいの必然性があれば別だけれど
ファンタジーの原点だと思う子どもの絵本が「飛び出す絵本ばかり」などということはないので、
3Dでの映画製作はそんなには普及しないと思っていた。
3Dテレビではさらにそう思う。
確かに家電量販店で専用メガネをかけてのデモンストレーションを体験すると
野球場のなかでセンターを守っているような気持ちになる臨場感があった。
でも、それは野球などスポーツのイメージトレーニングとしては実に有効かもしれないが、
イメージトレーニングをしながら野球を見つつビールを飲むことはなかなか成り立たない。
これは不要だなぁ…というか、普段見るテレビが3Dであればこれは疲れるだろうなぁと思った。
やはり3次元に生きていて3次元の世界への対応に追われる日常生活だけでも疲れるので
本や映画やスポーツのテレビ観戦などという2次元のユルさに癒やされるのであろう。
2次元こそ最高の精神の遊び場!ビバビバ!2次元!

そういうわけで「3D」という冠がついただけで
「それは流行らないなぁ」
という意識がどこかにあって3Dプリンターについては油断していた。
身体の部分のコピーなど、医療の分野で貢献が大であり、
その今後に期待できるというぐらいの認識しかなかった。
そこに唯識思想の見地からも確かめられる
「すべての物体は凶器にもなり得る」
という視点を完璧に忘れていたことを反省しなければならない。

軍事は陸海空が基本で、サイバー空間や宇宙空間は一昔前まで意識されていなかったが
その3次元の陸開空に限定したとしても、
今後は、あまり考えたくないことだけれども空母のなかで
その時の作戦にもっとも適した兵器なり乗り物なりを本部からの設計図のダウンロードをもとに
現地で作ってしまうということがあり得るだろう。

犯罪では「偽札」と「宝石、美術品の贋作」というのは出てくるだろうし、
すでに対策のようなものを考えておかなければならない。
もしも子どもがイタズラをして日本の紙幣をコピー機にかけると
真っ黒になって出てくるということになっているけれども
そのような対策がないと、多分、精巧にコピーできる3Dプリンターで
スカシの細かな凹凸や手触りまでも模倣されると素人は真贋がわからないだろう。
そして1円玉の原価は1円以上するのでそれをコピーするような者は出てこないだろうけれど、
500円玉なんかは3Dプリンターでできてしまうのではないだろうか?
その500円玉、自動販売機なんかでは使えてしまうのではないだろうか?
もしかして、そういう500円玉はすでにいくつか出回っている可能性も?
そうすると、紙幣だけでなく硬貨の方にも何らかのコピーガードが必要になってくる。

私が特に最近、お参りをしつつ、ついつい考えることは「ご本尊」についてである。
木像のご本尊も3Dプリンターについての話であるからもちろん関係あるのだが、
絵像のご本尊についても、ついつい意識をしてしまうようになった。
仏壇屋さんが仏壇や仏具を買った際に付けてくれるような印刷のご本尊は、
精巧な印刷ではあるもののやはり5年、10年という時を経ると経年劣化の具合が
本山(東本願寺)の絵廟所で手描きされているご本尊とはまったく違う。

これが、その微妙な凹凸までもがコピーされて再現できるようになれば(おそらく近未来)
その違いを見極められるかどうかの確信はない。
また、各ご家庭で
「代々伝わってきたご本尊を大事に受け継ぎたいので3Dプリンターでコピーしておきました」
などと言われることになったら、それは悪いことなのかいいことなのか?

美術品については、彫刻などもその細部を精密に再現したレプリカができるとなれば、
美術館からの移動に際しても「盗まれてはいけない」ということと同時に
「コピーされてはいけない」ということへの管理体制のようなことにも神経を使うことになる。

非合法ではない範囲での産業のなかでは、今後は食品で使われていく気がする。
王将の餃子が3Dプリンターからどんどん出てくるというようなことはすぐにはないけれど、
中華料理でいえば「フカヒレの姿煮」が、ハネモノのフカヒレを原材料として
きれいな姿で出てくるあたりのところからその流れがはじまる気がする。

さらに3Dプリンターが活用される分野として
セクシードール(おじさんたちはダッチワイフという)というものが考えられる。
3D映像専用カメラを購入して作品を撮ったけれどビデオソフトは全く売れずに損をした
メーカーなんかがそんな特別な人形を売り出しそうな気がする。

今後、コピーライト(コピーをする権利)というものの定義とシステムが重要になると同時に
何となくだけれども「そのものの原材料の価値がそのままの価値」ということが
3Dプリンターの台頭とともに起こってくるような気がする。
それから、3Dプリンターを作るのも3Dプリンターということになる。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-05-14 06:04 | 草評
2014年 05月 12日

名曲草鑑賞(42) マイルス・デイビスのカインド・オブ・ブルー

b0061413_1143548.jpg 今までは曲単位でブログに綴ってきたこのコラムであるけれども、しばらくはアルバム単位で論じてみようかと思う。今日のような暖房も冷房も要らない5月の快晴の昼間にマイルス・デイヴィス(Miles Davis)のカインド・オブ・ブルー(Kind of Blue)などを聴いていると、どうしようもなく20歳前後のことを思い出す。5月の京都の快晴のもと、かつて荒神口にあった「しあんくれーる」という名の老舗のジャズ喫茶でのアルバイトを思い出す。カインド・オブ・ブルーは世界で1000万枚以上売れた。たぶんジャズというジャンルのなかではもっとも売れた録音物であると思う。個人的にはマイルスの他のアルバムで好きなものはたくさんあるけれども、お客さんのリクエストのベスト3には入っていたので、A面もB面も(ああ、アナログ・レコード時代の言い方だなぁ)もう何回聴いたのかわからない。ピアノがビル・エバンス(Bill Evans)と一曲だけウイントン・ケリー(Wynton Kelly)、テナーサックスがジョン・コルトレーン(John Coltrane)でアルト・サックスがキャノンボール・アダレイ(Julian Edwin "Cannonball" Adderley)などなど、いつの時代でもマイルスは最高のメンバーを集めているけれどもこのスパースターたちの集合体は凄い。しかもそれらメンバーが精密機械のように緊張感のある演奏を繰り広げる。その緊張感ある演奏をマッキントッシュ(アップル社とは関係ない)のアンプのボリュームの11時から1時の間ぐらいにしておくのが通例だったから、実際の演奏音よりもはるかに大きいおそろしいほどの大音量が改造JBLのスピーカーから出てくる。明るい5月のその一日を暗くて大音量に満ちたそんな異様な空間で過ごし、仕事を終えて外に出るとまた漆黒の夜の世界があるという日常は、どうも鬱屈した気持ちが高ぶってくる。しばらく、その鬱屈した気持ちを思い出すのが嫌で、ラジオなどから一曲目の「So What」などが流れてくるとスイッチを切ったものだった。そんな5月に、大音量というわけにはいかないけれども真っ昼間からこのアルバムをちゃんと聴いてみる。しあんくれーるで出していたコーヒーである「KEY COFFEEのスペシャルブレンド」というものを当時と同じ濃い目で、当時と同じ作り方でやってみる。その空気感のなかで、理論や評論重視の頭で聴いてきたのでもなく、情感を中心に心で聴いてきたものでもなく、毛穴から入ってきたような身で聞いてきたサウンドというものがあったのだということに気がついて没頭した。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-05-12 13:50 | 草評