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2014年 09月 28日

新潟・阿佐ヶ谷・高槻 三大ジャズストリートについて(7)

b0061413_0352488.jpg というわけで、W&Mホテルの1階のエレバーター近くの運命の扉を開けてみたところ、まず目に入ってきたのがウッドベースとスネア部分をテッペンにしつつ分解されて積み上げられてあるドラムスセット。一目でここはライブも行われることがあるジャズクラブ的なBARであると察知して、吸い寄せられるようにカウンターに座った。そしてそのカウンターから置かれていたYAMAHAのアップライトピアノをふと見て心底驚いた。「LEE KONITZ 2013」と書いてある文字がそこにあったのだった。正直言ってそのサインそのものに驚くと同時に、クール・ジャズの創成期から活躍する彼が80歳代の後半でありつつご存命していることのみならずアルト・サックス奏者として現役であり続けていたことにも驚いた。私は「あのクール・ジャズの旗手であるリー・コニッツがこのお店に来ているのですか?」と尋ねると「そうですよ、ちなみにその左のサインはDIANE SCHUURですが、彼女のことはご存知ですか?」と言われた。「だ、ダイアン・シューア!ニューポート・ジャズ・フェスティバル・イン・斑尾の大トリではないですか!しかし彼女は目が不自由だったはずですが美文字ですね」と言うと「よくご存知ですね。上の円形のマークのようなサインが彼女自身のサインで、その下に彼女のマネージャーが名前を記したのです」と言われた。店に入る前の時点から酔っていたけれども、さらに深く酔う時間帯がやってきた。私が敬愛するクール・ジャズの大巨匠と天才女性ボーカリストがこの空間に居た。さらに酔を深めつつ、ギターの1弦や高音部のピアノ線よりもずっと細い見えない糸ではあるものの確かにつながっていたという感慨のようなものが押し寄せてきたのだ。それは感傷的というよりはずっと前向きで、喜びに満ちたものであった。

b0061413_0353988.jpg 次の日の朝、W&Mホテルの一室で酔いが残っているまま目覚めた。デジカメのなかにリー・コニッツとダイアン・シューアのサインが入っているピアノ(黒い鏡面にウッドベースやドラムスが写っている写真)を確認するまで「もしかしたら昨晩の出来事は夢だったのでは?」とさえ思った。0時30分頃に入店し、閉店予定時刻の午前2時にBARを出ようとしたらマスターが「今日はもうちょっと遅くまでいいですよ」というので総仕上げのストレート・ジンを頼んで、あとはよく覚えていない。 入店時には5人ほどのお客さんがいて、閉店前には私の他に女性客が一人いた。これはBARに限らずにたとえば焼き鳥屋やおでん屋でもそうだけれども女性の一人客が居るお店というのは「当たり」が多い。それもヒットというよりもホームランが多いという感触がある。まず一人でもそこに足を運ばせる魅力や吸引力がそれぞれの場に確実にある。さらに、その場がたとえカジュアルでアットホームであっても一人で来ている女性にしつこく迫ったり、まして絡んだりする客層がいてはならない。「Bar Agit」にしても、この「BILLIE'S BOUNCE」(ビリーズ バウンス、チャーリー・パーカーのブルースナンバーが店の名の由来だな)にしても置いてあるボトルの数といい、その醸しだされてくる雰囲気といい、大当たりの大ホームランであった。 初めて来たお店で、そんな女性の一人客にちょっかいを出してはいけないのだが、彼女は「いちばん最後にジンを飲むなんてカッコいいですね」と言ってくれたので「では同じものをどうぞ…」なんてぇ劇画チックな言葉をニヤけるのを精一杯我慢しながら口にしてしまった。10年前のあやや(松浦亜弥)似の彼女はJAZZ BARが似合うモデルっぽい人だと思ったら、本当にモデル事務所に所属するモデルさんだった。 高槻のジャズストリートは5月のゴールデンウィーク中に開催されるということで、その期間になかなか遠出しにくい私は参加しにくいけれども、私にとっての三大ジャズストリートは新潟・阿佐ヶ谷・高槻ということになった。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-09-28 09:22 | 七草
2014年 09月 26日

新潟・阿佐ヶ谷・高槻 三大ジャズストリートについて(6)

b0061413_20441990.jpg というわけで、「Bar Agit」では極上カンピリーニャと極上バーボンのロックなどけっこう強めのお酒をO先輩にご馳走になった。JR高槻駅の近くから阪急高槻駅の近くの「W&Mホテル」というビジネスホテルへと徒歩7分〜8分ぐらいだった。ホテルに着くと午後11時30分ぐらいのいい時間。美酒が全身に心地よくゆっくりとまわっていい感じの眠気にも包まれていた。ただ7月下旬のこの日の大阪は深夜になったとはいえ昼間は35度の猛暑日であったという。冷房を入れるのを忘れたか、あるいは冷房は入っていたのだけれども「弱」になっていたのか、とにかく心地よく眠りについたはずが30分ぐらいしてその暑さのために目が覚めてしまった。そこで冷房を入れたか、あるいは「強」にしたのか(酔っていたのでここら辺は曖昧だ)とにかくエアコンのリモコンをいじった後で部屋を出て、エレベーターで1階のロビーのような場所(そんなには広いスペースではない)に降りた。そのロビー内かホテルを出てすぐのところの自販機などでまずは何かを飲もうかと思ったのだ。時間は深夜0時を過ぎた頃であったと思う。自販機で「伊右衛門」だったか「お〜いお茶」だったか「綾鷹」だったか忘れたが、それをロビー付近で飲んでから写真の気になる扉が目に入った。ちなみに写真ではハイネケンのネオンが消えているので、その時ではなく翌朝のチェックアウト時にヘベレケになっていた時に撮ったものであると思う。とにかくその時は「W&Mホテル」の構内、それもロビーと呼べる場所にあるドアなので、ホテル併設のBARのように思えた。ただ、だいたいこういうホテルのBARというものは深夜11時半か0時ちょうどに閉まることが普通であると思ったので「まぁ当然もう閉店しているわなぁ」という先入観で、あわよくば閉店後の掃除をしているスタッフなんかに声をかけてBARの内装だけでも見せてもらって今後の関西出張時の参考にさせてもらおうとドアを開けた。ところがこのお店は「W&Mホテル」の構内にありながら経営はホテルとはまったく関係なく(何だかそれが私にはとっても大阪らしいなぁと思えた)通常で深夜2時まで、お客さんが残っていればそれ以降もやっているというBARであったのだ。そんな驚きはまだ序の口で、このお店のドアは運命のドアであったのだ。(続く)

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-09-26 21:17 | 七草
2014年 09月 24日

新潟・阿佐ヶ谷・高槻 三大ジャズストリートについて(5)

b0061413_11135581.jpg というわけで、場所は大阪のJR高槻駅の近くの「Bar Agit」である。このBARには大変に多くの種類の洋酒ボトルが置いてあった。僭越ながら私もボトルの種類には詳しい方であると思っていたが、初めて目にするようなボトルやラベルが数えきれないほどあった。特にバーボンの種類がスゴい。聞けば今年も(ということは何回も)合衆国のケンタッキー州のバーボンの蒸溜所を何箇所も訪ねる旅をしてきたという。やっぱりここでバーボンを飲まずしておれるか、という気持ちになってきた。写真のバーボンは私がいただいたものではないのだけれども、目の前に置かれたケンタッキー州のバーボンの琥珀色が目の奥に焼きついたので撮らせていただいた。うっかり銘柄は忘れてしまったけれども「ケンタッキー州ではよく飲まれているけれども日本にはほとんど入ってこないものをロックでお願いします」と言って出てきたバーボンは、これまた絶品であった。わははは、かつて私が自棄酒気味に飲んでいたバーボンとはまったくの別物だったぞ。おつまみのピーナッツの燻製との香りも風味も相性バツグンであったのだ。 Bar Agitに案内をしてくれたOさんによると、このBARのスタッフと常連客とでのアウトドアでのバーベキューパーティというものが年に1回だったか2回だったか、あるらしい。それにはいつの日か参加してみたいなぁ。ケンタッキー州ではないけれども、テネシー州産のダッチオーブンを持参して。 

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-09-24 11:29 | 七草
2014年 09月 22日

新潟・阿佐ヶ谷・高槻 三大ジャズストリートについて(4)

b0061413_13183990.jpg というわけで、大阪は高槻の「Bar Agit」にて和三盆を使った絶品カイピリーニャをいただいている間に流れていたのがボブ・ジェームス&アール・クルーのコンビを中心とした凄腕ミュージシャンたちによるアルバム『One on One』であった。写真のCDを手にとって(ウニは私の私物でサイズ比較用食品サンプル)メンバーを見たら豪華だったので記しておきたい。ボブ・ジェームス(p) アール・クルー(g) エリック・ゲイル(g) ニール・ジェイソン(elb) ロン・カーター(b) ハーヴィー・メイソン(ds) ラルフ・マクドナルド(perc)といった強力サポートメンバーの実に心地よくて快適で安心できるサウンドである。正直言ってこの時期のフージョンには「今聴くとサウンドが古いなぁ」というものも少なくないけれども、これは今でも鮮度抜群である。1979年ニューヨーク録音のアルバムで、当時は大企業にしてもベンチャーにしてもピュア・オーディオの全盛期であったのでとびきり録音が良くて高音質である。ジャケットもいい。アナログ盤を持っているのだが、この紙マッチの質感でのジャケットは手触りも良い。しかしCDは実はその日に初めて手にとらせてもらったのだが、なかなか上手にアナログ盤の雰囲気を再現していた。サイズは、元々紙マッチをモチーフとしたジャケットなのでBARのカウンターに置けるCDサイズの方がなんだか「正解」という気がしてきた。アナログ盤の音源をカセットテープに移して車で聴いていた時期もあったけれども、当時はISUZUの2代目ジェミニのディーゼル仕様に乗っていてエンジン音が煩くて、何だかレゲエ以外のBGMはしっくりこなかった。今なら、是非とも車のなかで鳴らしてみたいサウンドである。今回は「日本では珍しい絶品カイピリーニャを飲んでいた時に、それに非常にマッチしたサウンドに包まれる幸せがあった」ということだけを書いて、連作ブログ記事からは脱線した。次回は、お酒もバーボンにして本線に戻っていきたい。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-09-22 13:53 | 七草
2014年 09月 20日

新潟・阿佐ヶ谷・高槻 三大ジャズストリートについて(3)

b0061413_12152344.jpg というわけで、新潟と阿佐ヶ谷(東京)のジャズストリートについてはまたの機会に書かせてもらうことにして、高槻(大阪)に移動してみたい。今まで、高槻という場所は阪急電車で通過するということが多い街であった。このたび阪急高槻駅の近くのビジネスホテルに一泊して2件のバーを訪れただけで「高槻は実にジャズの街だ!」と断言してしまうなどということは短絡的とかお手軽に思われてしまうかもしれないが、この7月下旬に訪れた2件のインパクトはそれだけ強かったのだ。梅田周辺に泊まるよりも、これからも関西に用事がある時に高槻という場所はいつでも候補になるかもしれない。まず大学の先輩のOさんに案内していただいたのがJRの高槻駅の近く。少し歩いたところにある「Bar Agit」である。OさんのfacebookにこのBar Agitが頻繁に登場するので、私も一度はそのカウンター席に座って写真が掲載される時のその臨場感を増したくなったのだ。写真(これは帰り際に撮らせていただいたものです)のドアを開けると、そこにはバーボンを中心にして各種洋酒ボトルがずらっと並んだワンダーランドであったのだ。

b0061413_12154058.jpg ズラッと洋酒のボトルが並んだこのお店で「カイピリーニャはできますか?」と尋ねてみた。カイピリーニャというのはブラジルのトロピカルドリンクで、ピンガ(カシャッサ)に砂糖などで甘みを加え、さらに何らかの柑橘類の酸味を加えたカクテルである。普通のお店ではピンガ自体が置いていないので、日本でカイピリーニャを飲んだ経験は貴重である。このBar Agit以外では、店長さんがバーテンダーコンクールの審査員もしている新潟県三条市のモンツァというバーで飲んだことがある。そこでは砂糖の代わりにハチミツを使ってくれてなかなか素晴らしかった。このBar Agitでは砂糖なのだが、何とそれは和三盆であり非常に上品かつ洗練の極みのカイピリーニャを作ってくださった。絶品である。(ちなみに久しぶりに登場したウニは東京美研の食品サンプルでサイズ比較用)その絶品カイピリーニャのベースになっているピンガの銘柄はブラジルではもっとも有名な「51」( シンクエンタ・イ・ウン)であったことも嬉しいことであった。私がブラジルに居たのは20歳代の中盤。その数字の半分ほどの年齢で「51」のボトルを前に「自分が51歳になった時にはどこで何をしているのだろうか?」という夢想をしたことがあったが、とうとうその51歳になった。この時は51歳の誕生日のちょっと前の時期ではあったけれども、とりあえず高槻のBar Agitで絶品カイピリーニャを飲んでいた。そして、ラテンのテイストも入ったこの時のBGMもまた素晴らしかったのであるが、それはまた次回。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-09-20 06:20 | 七草
2014年 09月 18日

新潟・阿佐ヶ谷・高槻 三大ジャズストリートについて(2)

b0061413_1612040.jpg というわけで、世界三大ジャズストリート(たまたま日本国内だけの選定)のうち、新潟はまたの機会に紹介させていただくとして今回は東京の阿佐ヶ谷のジャスストリートを紹介させていただきたい。今年も10月24日(金)・25日(土)の二日間、阿佐ヶ谷の街とストリートがジャズ色に染まる。阿佐ヶ谷ジャズストリートが始まったのが1995年のことであった。もう19年目になるのだなぁ。私は1992年から1998年まで阿佐ヶ谷がある杉並区の隣の練馬区に住んでいて、阿佐ヶ谷ジャズストリート誕生の、その経緯も少し知っている。1995年といえば1月に阪神淡路大震災があり、その春のお彼岸中にオウム真理教による地下鉄サリン事件があった。当時、東京の自宅から地下鉄丸ノ内線を使って通勤していたシャラポア(現在は私の妻・日本人)は、事件直後の霞ヶ関駅を通過扱い(停車はするがドアの開閉はしないでそのまま発車)した直後の車両に乗り合わせていた。間一髪であったのだ。同じ時刻に私は最寄り駅が横浜の上大岡である東本願寺横浜別院に居たのだが、上大岡にもオウム真理教の道場があったために駅周辺には多くの警官が立っていて「何か大きな事件が起こっている」ということを察知した。その時期のことで思い出されることは多いのだが、東京都杉並区阿佐ヶ谷にもオウム真理教の東京での拠点となる道場があり、それは阿佐ヶ谷という街にとっての負のイメージとなった。それを払拭しようと、私の知る限り、阿佐ヶ谷の商店街の滝口スポーツ店の滝口さんらが呼びかけてその年の秋から始まったのが阿佐ヶ谷ジャズストリートの第1回目であった。1997年の第3回のジャズストリートの目玉であった山下洋輔の神社境内でのコンサートは、シャラポア(妻・日本人)とともに堪能した。 もともと阿佐ヶ谷にはジャズのライブハウス、ジャズが流れるお店は多く、写真にもあるライブハウスのManhattanが写り込んでいる。ジャズギタリストの西藤大信(さいとうひろのぶ)などはここをスタート地点としてバークレー音楽院に進んでスペインのレーベルと契約した。阿佐ヶ谷の大けやき並木が色づく来月中旬、東京のなかで猛烈に季節を感じられる場として阿佐ヶ谷を訪ねたくなる。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-09-18 10:16 | 七草
2014年 09月 16日

新潟・阿佐ヶ谷・高槻 三大ジャズストリートについて(1)

世界三大ジャズ・フェスティバルというと
何といってもアメリカ東海岸のロードアイランド州ニューポートと
西海岸のモントレー。
そしてスイスのレマン湖の畔のモントルーがあげられる。

あげられる、といっても世界三大何とかの三番目はなかなか出てこなかったり、
あるいは固定されておらずにある程度フレキシブル(可動)だったりする。
先日も中学生の息子が
「世界三大瀑布(大滝)は何でしょう?」
と、突然に聞いてきたのだが
「イグアスと、ナイアガラと…あとは袋田の滝?」
というように、ヴィクトリアの滝はなかなかサッと出てこなかった。
それはそれで家族のなかでのミニブームとなり
「世界三大河川はアマゾン、ナイル、信濃川」などと言うことが流行った。

世界三大ジャズフェスティバルにしても、
西海岸のモントレーとスイスのモントルーは地名自体が似ている上に三番目は固定されていない。
モントルーの代わりにカナダのモントリオールを三番目にあげる人もいて、
モントリオールもモントレーもモントルーも何だか似ているので混乱するんだもん。
浄土真宗を信仰する真宗門徒(もんと)による「門徒ジャズフェスティバル」などができたら
さらに混乱するんだもん。

ともかく、先々月に今まで阪急電車でずっと素通りしてきた
大坂の高槻に用事のための前泊をすると
ここが素晴らしきジャズ・ストリートであったことを発見する僥倖に恵まれた。

そこで、新潟・阿佐ヶ谷・高槻という、たまたま日本国内ばかりとはなったけれども
「世界三大ジャズストリート」
について書いておきたいなぁ、とふと思ってすでに2ヶ月近くが経過。
そろそろ書き始めたい。

最初は地元・新潟から。
新潟市では冬と夏の年2回「ジャズストリート」というイベントがある。
近くの新発田市でも新発田ジャズ物語(Shibata Jazz Story)というイベントがある。

そもそも、学生時代から
「何で地方都市の割に新潟ではこんなにジャズが盛んなのか?」
という思いをもったことがある。
どちらかといえば嬉しい疑念ではあったのだが、
新発田市のBIRDのような伝統的なジャズ喫茶の存在や
やはり歴史あるSWANをはじめとする新潟市各地のジャズスポット。
そして先日訪ねたが、三条市の東本願寺三条別院の門前にある
マスターご本人もジャズピアニストであるJAZZ BARなど魅力的な場所が多い。

元々、港町であってキャバレーやクラブが多くて昔から多くのバンドが活躍していた歴史もある。
雪国であって昔から熱狂的なオーディオマニアが多く居たという伝統もある。

ただ、ジャズストリートというイベントについては
「新潟ジャズストリート”デューク・エリントン・メモリアル”」
という正式名称自体が与えてくれている深みというものを知って欲しいし、
私も改めて感じてみたい。

ジャズといってもその世界は多岐にわたるけれども、
「ジャズが好きです」という人でデューク・エリントン(Edward Kennedy "Duke" Ellington)
の名前を知らないという人はほとんどいない。
仮に名前を知らなかったとしても、
「A列車で行こう」「キャラバン」「サテンドール」「スィングしなけりゃ意味ないね」
などなど、数多くのスタンダードとなっているデューク・エリントン作品に接したことが
ないジャズ好きはまずほとんどいないといっていいと思う。

私としては、その頃は生まれてはいたけれども新潟県にはいなかったけれども
1964(昭和39)年6月16日に発生した新潟地震の直後にデューク・エリントンは
そのバンドを率いて来日していた。
エリントンは来日中に接した新潟の惨状を聞き、
何と次に予定されていたハワイ公演をキャンセルして
7月8日に東京・厚生年金ホールで急遽、
「新潟地震救済資金募集・特別コンサート」
を開催して収益金のすべてを新潟市への義援金とした。

そして私よりも10歳以上年上の新潟県のジャズファンには、
そのことをずっと暖かいものとして覚えている人がとても多いことを体感的に徐々に知った。

新潟市は感謝の意を込めて、2年後の 1966(昭和41)年5月、
エリントンが再来日した際に「国際親善名誉市民」の称号を彼に贈った。
エリントンは
「これまでミュージシャンとしてたくさんの賞をいただいたが、名誉市民というのは初めてだ」
と大変喜んだそうだ。
当時の渡辺市長は
「3度目の来日の際は是非とも新潟にも来て下さい」
と言うと
「いいとも!」
と約束し、それから4年後の1970(正和)年に3度目の来日で新潟でのコンサートが実現する。
その4年後、ジャズの大巨星は75歳で亡くなるのであるが
どうもそれからというもの、ジャズ界の超大物が来日すると
新潟でのコンサート、もしくはライブというものが予定されている気がする。

ここからは想像なのだけれども
「世界4大河川はナイル、アマゾン、ミシシッピに信濃川、新潟ちゅうのはイカス街だぜ!」
と、エリントンは後輩だけをとってもジャズの巨星ぞろいのメンバーに熱っぽく語ってくれた
のではないだろうか?

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-09-16 14:50 | 七草
2014年 09月 14日

シャラポア(妻・日本人)のイラストの新作 

b0061413_143273.jpg もう6年以上前のことであるけれどもシャラポア(妻・日本人)の描いたイラストがこの草仏教ブログの読者の間で反響を呼んだ。それは「ちょっと森永のチョコボールの鳥を描いてみてくれ」などと私がリクエストした時の勘違いイメージ描写によるイラスト連作の数作であった。シャラポアの書の方は草仏教掲示板にたびたび登場するのであるが「あの脱力した後に何ともいえないピースフルなフィーリングで包み込んでくれるシャラポア画伯の絵かイラストの掲載を!」というラブコールはもう何度もいただいていた。しかし、当人のシャラポアは自分に絵心のようなものがあるとはまったく思っていないフシがある。で、みかんを食べようとした時に奇妙な絵が描かれているものがあったので笑ったのだが、最近は高校一年生の長女の描くものがとても似てきているので(やっぱり母娘だなぁ)ちょっと区別がつきにくかったのであるがシャラポアが8歳の末娘に「いーじゃぁないの〜のオジサンを描いてみて」と言われてのものであることが判明した。 日本エレキテル連合がコントとして演じる「未亡人朱美ちゃんシリーズ」の「ダメよ~ダメダメ」のネタが生まれたきっかけは、2012年のある日の深夜にファミレスで中野と橋本の二人がネタを考えていたところ、隣の席に居たおじさんとおばさんが強烈だと感じて観察し続けた結果、生まれてきたキャラであったという。そして「ダメよ~ダメダメ」を繰り返す「未亡人朱美ちゃん3号」に「いーじゃぁないの」と言う「小平市の細貝さん」というオジサンのメイクというか扮装のモチーフは、どうも「ぴんからトリオの宮史郎」であるそうだ。今回、シャラポアは末娘の要望にしたがって何も見ずに自分の頭のなかのイメージでサッと描いているのであるけれども、それは日本エレキテル連合の中野聡子が扮する小平市の細貝さんに似ているというよりは、モチーフとした宮史郎を彷彿とさせてくれる。私と違ってお笑いマニアとは言えないシャラポアは、宮史郎を題材としながら日本エレキテル連合がコントを繰り広げていることは知識としては持っていなかったと思う。それを感覚的なところで浮き上がらせているシャラポア、恐るべしと私は思う。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-09-14 06:38 | 草評
2014年 09月 12日

電子マネー ようやく気がついたnanacoの真実

新潟空港最寄りのセブン-イレブン。
そこのレジに
「nanaco(ナナコ)カードは財布から取り出さなくてもそのまま財布をかざすだけで使えます」
という張り紙があった。

空港に近くて他の店舗と比べても、レジでの長い行列がなおさら気になる上での張り紙だろう。
他の店舗でそういう張り紙を見たことがないが、
日本国内の他の12000店舗も同じシステムである。

今まで私が他の店舗でそういう張り紙を見かけなかったのは、
JRの駅の周辺ではSuicaを定期入れや財布に入れたままで改札を通ることが
利用者の常識であり、わざわざ張り紙などしなくても
nanacoも同じ要領で使うことが慣習としてすでに定着しているからであろう。

実を言うと、私は1年前に空港の最寄り店でその張り紙を見かけるまでは
わざわざ財布のなかからnanacoカードを探して出してから使っていた。
鉄道はたまにしか利用しないのでSuicaを持たない私にはわからなかった。
しかも、ローカル的な事情に言及すれば
nanacoカードは「ひらせいホームセンターポイントカード」と
配色がソックリであり、時々、間違えて出しては恥をかいてきた。
そんな時、セブン-イレブンの店員さんが
(被害妄想に近いことかもしれないけれど)
何かを私に告げたいそぶりをしていたような気がする。
「そんなに手間をかけて財布からnanacoを探さなくとも、そのままのあなたでいいんですよ」
というようなことを言いたかったのではないだろうか? あるいは
「探しものは何ですか?
 見つけにくいものですか?
 かばんのなかも財布のなかも探したけれども見つからないのに…
 それより財布をカザしませんか?さぁ!」
ということを言いたかったのであろう。
ああ、なぜ教えてくれなかったのだろうか、とも思いつつ、
教えることで財布からわざわざnanacoを探し当てて出した客のプライドを
傷つけてはいけないという配慮か、はたまた単に後ろに別な客が並んでいて
教える時間がなかったのであろう。

今までセブン-イレブンのレジで、他のお客さんの払い方もまったく観察していなかった。
財布を置く人もいれば、かつての私のように財布からカードを探す動作をする人も居る。
やはり、その人のプライドを傷つけちゃいけないと思って教えてあげることはできない。

どうか、かつての私のようにnanacoを財布のなかから探していた人は、
このブログ記事を読んで密かにnanacoの真実を知って活用していただきたい。

ただ、nanacoの使い方を悔い改めた後、最寄りのコンビニはローソンとなってしまった。
ローソンのPontaカードは電子マネーではなくポイントカードであり、
その機能も考え方もnanacoとはまるで違う。
コンビニごとにカードが違うと、
財布のなかは何だか通貨の単位が違う昔のヨーロッパの数か国をめぐる旅をするような
混雑ぶりの様相を呈してくる。

ポイント、マイル、電子マネー、カード等の「一元化法案」が国会で提出される日を待つ。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2014-09-12 10:19 | 草評
2014年 09月 10日

コッヘル246番 手作りみたらし団子お月見バージョン

b0061413_2157997.jpg 上新粉をこねてシャラポア(妻・日本人)と8歳の末娘が月見団子を作っている時に、ちょっと面白いことがあった。8歳の末娘は開封したての上新粉の香りを嗅ぎながら「山形県にマス釣りに行った時の餌の臭いがする」と言う。シャラポアは「そんな気持ち悪いこと言わないでよー」と言いつつ試しに臭いを嗅いでみると、そう言われてみればそんな気もしてきたという。末娘の犬的(褒め言葉です)な嗅覚はすごい。餌のツナギにインターネットで覚えた釣りの裏ワザとして上新粉を微量であるが使っていたのであった。また、山形に釣りに出かけたのは10ヶ月前のことだというのにその嗅覚を活かした記憶力にも感心したのであった。 8歳の嗅覚にはどうもかなわないなぁと思いつつも私も古来の日本人の感覚をほんの少し取り戻しつつある。というのは昨年、東北楽天ゴールデンイーグルスがパリーグ優勝をして以来、楽天優勝記念セールで買ったムーンフェイズ腕時計を常にしているので、月の満ち欠けというものについてはそれまでよりも敏感にはなった。昨夜がスーパームーンで一昨日が中秋の名月であったことも10日前から意識していた。それがどうした?と言われそうだが、日本の古典を読んでいればグレゴリウス暦に基づく時間感覚はないし、もちろんそれを基調にしていて現代人はほとんどの人が持っている七曜の曜日感覚も当然もっていない。ただ、現在の月の満ち欠けがどうなっているかについてはとても敏感である。海面の高さなどは目に見えて変化をするぐらいにその引力は強力である。血液をはじめとする水分がその大半である人体にこれが影響を与えないわけがない。実際に、現在はグレゴリウス暦にしたがってデジタル的に日付で決まることが多い各地のお祭りも、月の満ち欠けが暦の基準であった明治時代初期までは「祭りのピークが満月の夜に来るように」日取りや段取りが決まっていたところが多いだろう。西洋の、満月の夜になると狼に変貌してしまうという狼男伝承もまた、この満月のハイテンション効果を端的に言い立てていたものかもしれない。

b0061413_21573297.jpg ともかく、グレゴリウス暦を基調とする現代においても古来からの天文の法則によって日付が決定していく春秋のお彼岸の中日と中秋の名月は子どもの豊かな五感のためにも大切にしたいと思ってきた。シャラポアと末娘はそういうわけで10ヶ月前の釣りの楽しい思い出とともに団子をこね始めた。正式には団子の数は十五夜は十五個、十三夜は十三個となっているそうだがみんな団子は好きなのでもうちょっと多めにセットする。ちなみに十五夜の中秋の名月鑑賞に彼女を誘うことができた独身男は「やっぱり十五夜を一緒に見れたなら十三夜も一緒に見なきゃ月見は完成しないよ」と、ひと月後の満月鑑賞に誘うのがいい意味でとても古典的な誘いの手口である。旧暦9月13日の「十三夜」は今年は10月6日であり、狼男に変身する大チャンスである。 さて、コッヘル料理に話を戻す。末娘はひとつをにぎり鮨の形にした。みたらし団子のタレを穴子のにぎりにかけるような感じで食べたいからだという。丸くは収まらないが、その感覚もまたいいだろう。私はそのタレを作る。水と醤油と砂糖の他に、とろみを出すための吉野葛の存在が私にとっては不可欠である。吉野葛は近くのスーパーマーケットで手に入る。最近は、コンビニだけではなくスーパーでもポスシステム(レジが人気投票のようなものと連動していて品揃えを左右するシステム)が導入されているように思えるけれども、幸に風流を愛して和菓子を手作りする人たちがたくさん居てくれるおかげで吉野葛が身近なところで手に入る。


マーヒー加藤

コッヘルバックナンバー
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by kaneniwa | 2014-09-10 00:01 | 草外道