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2015年 01月 29日

コッヘル261番 芋棒(いもぼう)

b0061413_1275935.jpg というわけで、サントリーオールドとともに味わった今年のおせち、もうすぐ1月は終わってしまうので今年は芋棒(いもぼう)のみを紹介しておきたい。(それ以外を紹介することを11か月後に私が覚えているかどうかは定かではないけれども。) さて、日本酒を飲みつつお正月料理を食べていた間は気がつかなかったけれどもサントリーオールドを飲みつつそれらを味わっているといきなり「和食のおつまみ」としての風景となった。特にお重や華やかな皿の外からコッヘルというものに盛ってみればなおさらである。 芋棒の芋は八頭(やつがしら)というものも売ってはいたが普通の里芋を使用した。今年の芋棒はなかなかうまくいったと思っている。二晩かけてじっくりとタラの乾物を戻していったということの成果でもあるけれども、調理をする過程のなかで「味付け前にタラの乾物を煮る作業で、煮汁を2回捨ててみた」ということがよかったように思っている。これはインターネットなどで芋棒の作り方を検証してみたところ「どうも1回は煮汁を捨てている」というプロセスを経ている方々が多いというようなことに気がついた。従来の私は「すべて無駄にせずに活用したい」という考え方のもとで煮汁は捨てずに味付けをしてきた。これは善行(善い行い)に基づいたつもりであったけれども自己満足のようなものに囚われていたかもしれない。今年の芋棒を例年の仕上がりと比べると「拾うために捨てる」というようなことの大事さに気づきを与えられた。煮汁を捨てることによってタラをタラたらしめることができた。今までは煮汁も活かそうという考えのもので全体を殺してきたのかもしれない。活かすために捨てるとか大事なものを発見するために省略をしてみるということの大事さへの気づきとなった。 

マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2015-01-29 02:01 | 草外道
2015年 01月 27日

オールドは新しい…かもしれない

b0061413_23594112.jpg 今年のお正月、何だか日本酒以外のものでおせちをおつまみにして一杯やりたくなって、そういう場合にはまず焼酎だよなぁと納戸に焼酎を取りに行こうと思ったところ、サントリーオールドのダルマ型ボトルが目に入って「この手があるなぁ」と妙にウキウキしだした。そこでサントリーオールドをCMのようないい音をさせてロックグラスに注ぎつつ芋棒、キンピラ、紅白なますといったあたりをおつまみにしながらチビチビとやっていた。まず、その時の正直な感想は「えっ、えっ?サントリーオールドってこんなに旨いものだったっけ?」というものであった。 ごくたまにしか観ていないけれども、現在放映中のNHKの朝の連続ドラマの『マッサン』はニッカの創業者である竹鶴政孝とリタ夫婦をモデルにしている。サントリーの前身の寿屋をモデルとした会社も出てくる。そのなかで本場のスコットランドのウィスキーを目指すマッサンと、あくまでも日本の風土と日本人の味覚に重きを置いた日本人に合うウイスキーを追求する寿屋(サントリー)との姿勢の違いもドラマ化されていたように思う。 素朴な感想だけれどもニッカの本格派志向もいいけれど、それならいっそのこと昔と違ってそんなには価格差もない本場のスコッチを選んで飲むという手がある。あくまでフランス料理が前提にあってそれに合うワインを選ぶというような考え方でいけば、目の前に日本料理があってそれに合うウイスキーとは何だろうか?と思った時に、サントリーオールド以上に説得力のある答えは、あくまで個人の感想だが「余人をもって代え難し」というフレーズが頭に浮かぶ。 もっともサントリーへのイメージの中心が学生時代のレッドやホワイトでの悪酔いであったことも「オールドってこんなに旨かったっけ?」という驚きの伏線としてある。当時から居酒屋にオールドのキープボトルがあってオヤジたちが美味そうに飲んでいた残像もたっぷり残っている。何となくだが「学生はホワイトまで」というような不文律がかつてはあった気がする。 デビュー年の1950年にはかなりの高級ウィスキーであったオールドを行きつけの和食店にキープしまくって流行らせたのは江戸川乱歩だったという説もあるようだ。 バカみたいだが、自分の文章に誘われてサントリーオールドを取り出してきて、小林亜星作曲の「夜がくる」(♪ダンダンデュビ、デュビドゥバ)を口づさみつつ飲みながら書き出して思い出した。私の実父がかつてはお正月にやはりおせちをツマミにしてとても旨そうにオールドを飲んでいた残像がよみがえった。私自身がホンモノのオヤジになったのだ。そういう私を今年のお正月には中学生の息子が見つめていた。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-01-27 00:47 | 草評
2015年 01月 24日

福岡正信著 『わら一本の革命』

b0061413_23401516.jpg


今日、たまたま愛媛県出身の方がお客さんで来られた。
それで、その方が帰られてから急に28年前に1回だけ愛媛県を訪ねた経験を思い出した。
その時は日本仏教史を学ぶ大学院の先輩と二人旅で、
ともに中型のオートバイにまたがって四国と九州をまわった。
明確な目的地は香川県と宮崎県にそれぞれ住む、
私とその先輩との共通の後輩の実家に立ち寄っていくことだけだった。

四国の小歩危渓谷あたりでオートバイをとめた。
先輩はコーヒーと抹茶をこよなく愛する方で、
その旅もオートバイでの旅であるにも関わらずに
休憩先で本格的なコーヒータイムをとることができる道具などをフルセット積んでおられた。
先輩は現在は市役所職員をされているが、その下宿に遊びに行くと

「なんで10畳以下のスペースにこれだけたくさんの専門書を置けるんだ!」

と驚くほどの蔵書がスティール本棚を背中合わせにしつつ実にきれいに整理されていた。
もちろん博学であったが、それは専門分野のみの学識だけでなく
どんな話も興味をもって耳を傾けてくれる柔らかい豊かさをもった先輩であり、
私はこの先輩に対しては素直に何でも思ったことを投げかけてきた。

旅先の渓谷で汲水を使った実に美味しいコーヒーを飲みながら
伏線としては岡山県の宇野から香川県の高松市に渡るフェリーのなかでもしていたのだが
こういう話をしていた。
「私は最近、横浜税関を退職して愛媛県で自然農法をやっている人の本を読んだのですね、
 それは農法の本ではあるけれども私は思想の本として読んだのです」
「と、いうのは?」
「科学的な合理性や採算性のようなものを追求してどんどん不必要なものを取り入れ、
 結果として根本をスポイルしているということが、それは農業だけではなくて
 自分たちの頭のなかでも起こっているのではないかと…」
「…うーん、マヒトぉ、オモロイぞぉ、それはオモロイぞぉ、
 よし!フェリーで四国から九州に渡る前にその愛媛の農園を訪ねるぞぉ!」

と、いうことになった。先輩は実に行動する歴史学者(当時は卵であるがデッカイ卵)
であったのだ。 

愛媛県の伊予市の方々に道を尋ねつつ、私達二人は福岡正信先生の農園を突き止めて
オートバイを置いてその中を歩き始めた。
あちこちに福岡先生自身の手による書が記された看板があった。
その農園のなかを歩いていて、最初に出くわしたのが
作業をされていた福岡正信先生であった。

私の方から恐る恐る声をかけた。
「…あのぉ、先生の『わら一本の革命』を読ませてもらった者ですが…」
と。
「きみたち、農業はやったことがあるのか?」
と福岡先生は尋ねてきた。
「いいえ、私たちは学生で農業経験はありません」
と、私が言ったか先輩が言ったか忘れてしまったが、一喝された。
「ばっかもん!私の考えに賛同したアフリカや中東やアジアから欧米から
 自国の農業を何とかしたいとやってくる若者たちにはワシは惜しまずすべてを
 伝えてやっている!農業をしてみてからまた来い!」
と怒られた。ただし、これは私の感覚だが「また来い!」の部分には
何か暖かいものを少し感じたのだった。
それを裏打ちするかのようなやりとりが直後にあった。先輩が
「恐縮ですが、このみかんを数個いただいていっていいですか?」
と言った時だった。
私は怒られたばっかりで、先輩はホンマに何と恐縮すぎることを言うのか?と思ったら
「付近の鳥だって時々それを喰いに来るんだから、ワシは別にかまわん。持っていきなさい」
と言ったのだった。

そのみかん、いつ食べたのかは思い出せないのだが
その驚くべき甘さは印象に残っている。
「このみかんみたいに福岡先生は甘くなかったですね、私が甘かったですね」
とつぶやいたこともうっすらと覚えている。

数年後、やはりフェリーに中型のオートバイで乗り込む旅をしていた先輩は
フェリーの甲板のベンチで『わら一本の革命』を読み込む人の姿を見かけ、
思わず
「私は福岡先生とお目にかかったことがあるのです」
と声をかけたことがあるそうだ。
「えっ!それは何時ですか?何処でですか?」
とものすごい熱意で問い返されたそうだ。

大蔵書家の先輩に比べたら蔵書はたぶん50分の1にも満たない私であるけれども、
世界中に翻訳され、やがて広く読まれるようになっていく本を発見する
根拠のない嗅覚のようなもの、あるいは有難すぎるぐらいの本とのご縁に私は恵まれていた。

その後、アジアやアフリカの国々のなかで自然農法に(研究も含めて)予算をつけるという
ニュースなどに接した時には
「あの農園で福岡先生の薫陶を受けた若者がたぶん関与しているのだろうなぁ」
と感じた。2008年に福岡先生の訃報を新聞記事で見た後もそう感じる。

一昨年に発表された映画『奇跡のリンゴ』のモデルとなった
青森のリンゴ農家の木村秋則さんも福岡正信先生の農法の信奉者である。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-01-24 23:37 | 草評
2015年 01月 21日

コッヘル260番 焼きリンゴ

b0061413_23505374.jpg リンゴ・スターという名称はどうか?とも思ったが、 コッヘル162番にミック・ジャガーをもじったニック・ジャガーという料理を登場させているのに続いてコッヘル163番のアップルパイの「パイ抜き」にすでにリンゴ・スターと命名していた。であるから、普通に「焼きリンゴ」である。ただし「焼き」といってもダッチオーブンのなかでじっくりじっくりと蒸すように焼いたという時間だけをかけた(それでも30分程度かな?)ズボラな焼き方である。しかし、ズボラで単純極まりない調理であるのにも関わらず、デザートとしての完成度はなかなかに高い。シンプルであるけれどもディープなのだ。

b0061413_23511452.jpg 冬ではない季節の野外でのバーベキュー時の美味しいデザートとして、今までこのシリーズでもパイナップルを焼いたりバナナを皮付きのまま焼いたりしてきて、その美味しさに自分でビックリしてきた。その感覚を「こりゃ真冬も味わえるな」というしてやったり度も高い。砂糖など一粒たりとも添加していないのにも関わらずに軽い酸味とともに押し寄せてくる甘みは鮮烈である。干し柿などは「渋くてしょうがない柿ほど干し柿にすると甘みを出す」ということを教えられたのだが、じっくり加熱をしただけで「お前はそれほどの甘みをいったいどこに隠していたの?」と思うぐらいに甘い。そしてその甘さは干し柿同様に嫌な感じはまったくしない甘さなのである。合わせる飲み物はコーヒーもいいけれども、砂糖が入っていないストレートティー(紅茶)が口のなかでアップルティーとなってなかなかいい。


マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2015-01-21 23:49 | 草外道
2015年 01月 19日

おっとり刀で駆けつける

まったく脈絡なくだけれども、なかなか使わなくなった表現である

「おっとり刀で駆けつける」 

という言い回しはいいなぁと思った。
刀という武器(工芸品、芸術品でもあるけれど)に、「おっとり」が先についている。
意味は「とりも直さず駆けつける」とか「取り急ぎ駆けつける」
という意味なのに、なんせ「おっとり」という言葉が冠のように付いているだけで
意味はスローではなくてむしろクイックの概念が入っているのに、
おっとり、まったりとした印象に思われてしまう印象だ。

漢字で表記したら分かりやすくなるけれども、この場合の
「おっとり」は
「押っ取り」である。

つまり、万全の状態で本部に待機していた侍が腰の定位置にある刀を確認して
駆けつけるというのではなく、深夜や早朝などに緊急出動要請を受けた侍が
床の間とか枕元とかに置いてある刀を押っ取って、腰の定位置に差す間も惜しんで
至急現場に駆けつけることが
「おっとり刀」
の意味であった。

脈絡のないことを書くと、
『広辞苑』という有名な国語辞典で

「ぬけまる」

という言葉に

「抜丸 平家伝来の名刀」

と定義してあったことに大笑いした記憶がある。
わははははは、平家伝来の名刀の名前が「ぬけまる!」
しかも、大人になってから
『源平盛衰記』などをひもといてみれば、
平家伝来の名刀は
「抜丸と小烏丸である」
と書いてあるではあーりませんか!
ぎゃははは、平家、名刀のネーミングが可愛すぎてゆる過ぎる!

「ぬけまる」の方は、『平治物語』によれば平忠盛が所有する刀が
鞘から抜け出て大蛇の首を落としたことに由来するそうだけれども。

「抜丸と小烏丸を手におっとり刀で駆けつける」
なんという非常事態も、何だかおっとりしてしまう。

ところが、ところが、私は昔から老眼であったわけではないが、
「小烏丸」
をずっと
「ことりまる」
と読んできていて、それで笑ってきたのだが、平家の末裔など関係者には申し訳なかった。
これはこの文章を書いていて、最近、老眼での間違いもあるので
「もしや!?」と思って文字を拡大してみたのだが、
「小烏丸は、こがらすまる」と読むのね。
どっちにしても、ちょっと可愛いけれども。

しかしながら、源氏にしても源頼朝が所持していたという名刀は
 「髭切」(ひげきり)
であって、何だかこれまた「おっとり」している感じをもつのは私だけだろうか?

しかし、冒頭に戻って
「おっとり刀で駆けつける」
という語感は魅力的だ。

曲のタイトルにしたいな。
「♪おっとり刀で駆けつける」
ちょっといいと思う。

まだ一行も書けていないのだろうけれども、
ソファの上など定位置には置いていないギターを押取っておもむろに弾き始めるという、
そんな演出だけを先に考えてみた。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-01-19 22:02 | 雑草
2015年 01月 17日

ついさっき こんな夢をみた

こたつで寝ると、昔からとびきりの悪夢か
もしくは極上のいい夢を見る。
深いようで眠りも浅いせいなのか見た夢も覚えていることが多い。

ついさっき、見たばかりの夢は
アガサ・クリスティ原作物のタッチであった。
それは、たぶんだけれども
三谷幸喜がアガサ・クリスティの原作をもとに脚本を書いて
フジテレビで先週放映された『オリエント急行殺人事件』の録画の
前半部分だけを見たことが少なからず影響しているのだろうと思う。

こんな夢を見た。
場所は京都の四条河原町の地下のレストラン。
何だか日本の芸術界を影の部分からサポートしてきた大物が集う会のようだ。
たとえばプロのギタリストを何人も育成してきたギター教室の先生や
ボイストレーナーや芸大の講師など。
40人ほどの会合で、半数は女性。
なぜか数人の顔見知りは居るのだが、彼らがなぜそこに居るのか?
その趣旨は不明だし、なぜ私が招かれているかもわからない。(夢だもの)
しかし、その会合に置かれているB&Wのノーチラスという
北欧(確かデンマーク)製の超高級スピーカーからずっと流れている
BGMが、とてもリアルなピアノの音を響かせているのだが
聴いていると
「自分の部屋にしか音源が保存されていない自分が演奏したものが流れている」
ということに気がついて驚く。
席を離れてアンプなどの操作部分の場所にいた女性従業員に
「なぜ私しか知らない曲がこの場で流れているの?」
と質問すると
「選ばれた人たちの集まりに私は曲を選ばない、いやむしろ選ばれない曲を流すのです」
(という夢ならではの不条理な答え)
という言葉が返ってきた。
それに対する言葉がみつからずに、この女性は何者なのか?を考えていたら
目が覚めた。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-01-17 02:08 | 雑草
2015年 01月 14日

コッヘル259番 ハンバーグデミグラスソース

b0061413_23553397.jpg デミグラスソースと呼んでいたが、ウィキペディアでは「ドミグラスソース」で出てくる。原語ではdemi-glaceと表記されていてフランス語であるそうだ。そのウィキペディアは書いていなかったのだがどこかで聞いたことがある知識としては、そのフランスかイギリス(あやふやなんだなぁ)でデミグラスソースの完成度で大変に評判をとったお店が隠し味に日本のソイソースつまりは醤油を使っていたそうな。日本の洋食はご飯に合うというのはもはや定説であるが、そんならますますのことご飯に合うだろうなぁということで、そういった洋食のなかでもご飯に合うものとして人気が高いハンバーグを作ってみた。フォンドボーをとって作るというような手間のかかることはせずに、市販のハインツのデミグラスソースに、隠し味程度の醤油と八丁味噌を投入。ハンバーグは牛と豚の合い挽き肉に豚の細切れ肉を包丁で刻んで混ぜたものをこねてみた。隠し味についてはふれないでおいたら、中学生の長男が「なぜだろう?今日のハンバーグだとご飯がいちだんと美味しい!」と言ったので、してやったりであった。

マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2015-01-14 23:07 | 草外道
2015年 01月 11日

草煩悩(20) Snowpeak(スノーピーク)の椅子

b0061413_2273310.jpg Snowpeak(スノーピーク)のフォールディング(折りたたみ)チェアである。5年前に自宅のリフォームをした時に革張りのソファタイプの椅子などを処分した。それは高度成長期あたりのゴージャスの象徴のようなものであったが、いろんな意味でその「重さ」に疲れた。庫裡(くり)と呼ばれる寺院の住居は、年間の行事によって色々な使い方をせざるを得ないので椅子をほとんどキャンプ用品の折りたたみの椅子に切り替えたのだが、その結果はいいことの方がかなり多い。 ゴージャスな椅子に比べてこのタイプの椅子はカジュアルという言葉が浮かんでくるけれども、まずは自宅でカジュアルに飲む酒が旨い。酒を飲むには高級な革張りの椅子の方が良さそうに思えるし、確かに最初はそんな感じもするけれども1時間以上を経過すると何だか疲れてくる。キャンプ用の椅子は「ずっと座り続けていても疲れない」ということに気がついて、食卓の椅子もディスクトップパソコンに向かう時の椅子もすべてこのタイプにした。考えてみれば巨匠と言われる映画監督なんかもこういうタイプの椅子にかなりの長時間座り続けている。自宅のなかでの椅子の移動が容易であるし、だいたいキャンプをはじめとして行楽には家族で出かける人数分の椅子をたたんで車に詰め込むのだ。 Snowpeakの製品は「全製品をずっと修理部品代実費で面倒みます」という方針のもとに保証するのは当たり前という考えで作られているのだが、正直言ってキャンプ用品としては高価な製品が多い。なのでSnowpeakの椅子を家族の人数分以上をまとめ買いした時には「結局はゴージャスな椅子と値段ではそんなには変わらないぐらいか?」とさえ思った。しかし購入した後で数年を経過した今は不具合が起こった時には同じ新潟県内にあるSnowpeak本社(広大なキャンプ場も兼ねている)に持ち込めばいいという安心感もあって、やっぱりこれにして良かったと思う。 そのSnowpeakの椅子のなかでもお気にい入りは横がワイドになっている現行品ではなくて写真の5年ほど前のタイプのもの。ワイドでない分の「ちょうどいい感じ」がたまらなく好きだ。

マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2015-01-11 22:50 | 物草
2015年 01月 09日

『美味しんぼ』第111巻(おそらく最終巻)を読んで

『美味しんぼ』という漫画はビッグコミックスピリッツに最初に掲載されてから
読んでいる。初期の頃は愛読者となった。
もっともその初期の頃のビッグコミックスピリッツには『めぞん一刻』をはじめとして
連載物が非常に充実していたということもある。

5人で麻雀をやっていて2抜け(2着だった者が1回麻雀を抜けて待つルール)の時などに
よく読んでいた思い出がある。
夜食が欲しくなるような時間帯に2抜けをしていてビッグコミックスピリッツを読んだら
『美味しんぼ』の京極さんというキャラクターが
「海原はん、あんたなんちゅうものを食わしてくれたんや〜!」などと感涙にむせぶ
一コマなどを読んでいたらお腹がギューッと鳴った思い出もある。

その後、結婚した後はビッグコミックスピリッツ自体を読むことをやめてしまったので
『美味しんぼ』もずっと継続して読んできたわけではないけれども、
床屋さんとか医院の待合室に置いてあるものなどで読んでいなかったところを補充して
きたりしていた。

このたびに出た111巻は、そのエンディングにさらに加えられるようなストーリー展開は
読者としても思い浮かばず、今後はスピンオフ作品が出る程度で、
おそらく『美味しんぼ』の最終巻となるだろうと感じられる。

社会的にも論争を巻き起こした「福島第一原発見学後の山岡士郎の鼻血」については
鼻血の描写はそのままにビックコミックスピリッツでは
「福島では同じ症状の人がたくさんいます」
というセリフが
「私が知るだけでも同じ症状の人が大勢いますよ」
と変更されている他に、原発と鼻血との関連については表現が緩和されていた。

ただ、全体を読んでいて
異論がある人もいるだろうが
「鼻血」というのは論争になる問題のほんの一部であった、
ということを感じずにはいられない。

あえてその問題の全体を総括するとすれならば、作品中にもコミックス112ページに
海原雄山のセリフとしてある
「原発安全神話が崩れたから、今度は放射線安全神話を作る気だ」
に集約される。

雁屋哲は印税をたっぷりと儲けつつオーストラリアで暮らして福島を語るとはけしからん!
と思っておられる人も、どうか110巻とこの111巻をご熟読の上で
ご批判して欲しいと思う。

鼻血と外部被曝との関係性を証明することは難しい。
でも、それがまったく関係ないと証明することはもっと難しい。

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マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-01-09 16:42 | 草評
2015年 01月 07日

コッヘル258番 こんにゃくのステーキ(ミディアムレア)

b0061413_1303774.jpg 予告なしにブログ更新を一週間ほど休んでいた。こんな感じでズルズルと書くことをやめて10年以上続けてきたブログが終わってしまうのは嫌なので、11年目の草仏教ブログを更新、更新。まずは今年もコッヘルに盛った料理から。2015年最初のコッヘルナンバーなので、年末や新年に食べた華々しいご馳走で始まりたいところであったが、どうしても食べたばかりで記憶にあらたなものでなくてはどうも筆がすすまない。(キーボードを打っていて筆という表現もヘンなのだが) そこで、昨晩食べたばかりのこんにゃくのステーキ(ミディアムレア)の登場ということになる。 年末と年始はどうしても食べ過ぎということになる。年末にはいわゆるご馳走系の食事が多くなり、年始のおせち料理は「伝統的保存食でありつつハイカロリーである」ということにも気がついてしまった。和食であるということで油断をしているが、さすがハレの日のためのものであるということもあって測ってみたわけではないが数の子ひときれからしてもかなりハイカロリーであろと思う。そして、まだまだ新米が美味しい時期でもあって日本人にとっての定番である「おせち料理に飽きた後のカレーライス」の旨さというものも今年は1月5日あたりに存分に味わってしまった。冬休み中に1日でもスキーに行って動き回ればけっこうリセットできるのだが、子どもたちも高校生、中学生、小学生と居て日程調整が難しく冬休み中はスキーには行かなかった。むしろカウチでポテト、こたつでみかんということが続いてしまって、実に太りやすい期間を過ごすことになった。

b0061413_1305669.jpg そこで正義の味方のように登場したのが、このこんにゃくのステーキ(ミディアムレア)である。かつて過食気味の習慣があった20年ほど前、愚かな己のお脳を「めでたく勘違いさせるために考案」したメニューである。年末年始の若干食べ過ぎに偏った時期に再登場となった。まずは板コンニャクを人数分買ってくる。こんにゃくは保存性がいいので余分に買ってもいい。板コンニャクは白いものとヒジキなど海藻の成分で黒に近いグレーのものとがあるが、焦げ目が「ステーキと呼ぶに相応しい」という意味で、白ではなくてグレーの方をチョイスしたい。もっともお好みの範囲である。その板コンニャクに方眼紙状に包丁で刻みを入れる。これは食べる時に切りやすいということもあるし、喉に詰まる心配をなくし調味料が少なくて済むというダブルラッキー、トリプルラッキーの利点がある。そして見た目もちょっと良くなる。特に、調味料が少なくて済むという利点は大きい。せっかく本体のカロリーがゼロに近いローカロリーであるのに、調味料でハイカロリー料理にしては本末転倒である。さて、その方眼紙のような刻みを入れた板コンニャクを10分間丸ごと煮る。これはアク抜きという意味もあるけれども、10分間から15分間煮た板こんにゃくはその厚さにもよるけれども「ちょうど牛肉のステーキと同じ感覚で焼ける」ということになってダブルラッキーである。これで下ごしらえは終わりであとはステーキとして焼くだけである。調味料は市販のそばつゆだけの時もあるし、そこにショウガとかニンニクとかを加えることもある。また、市販の「すき焼きのタレ」のようなものを使ってもいいし牛角とかモランボンとかのステーキソースでもいい。方眼紙の形状の切り込みがこの時に効力を発揮して、分量は案外と少量でいい。 食べながら愚かな己のお脳は脳天気。肉のステーキであると勘違いをしてくれている。これが食料不足の悲しい時代であれば悲しい代用食という面もなきにしもあらず。しかし年末年始にハイカロリーなものを食べて「味覚的にも体調にもこれがいい」とチョイスしたメニューであるので、ある意味では贅沢の極みであるという見方もある。 お脳は相変わらず勘違いをして「これは酒は何が合うのか?赤ワインか、芋焼酎か、やはり日本酒か?サントリーオールドなんていう選択肢もあるか?」などと考えているが、それは自制しておくことにする。


マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2015-01-07 02:16 | 草外道