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2015年 04月 30日

コッヘル273番 筍(タケノコ)のメンマ風炒め

b0061413_20484065.jpg 筍のシーズンになると、何とか新鮮なうちにそれを料理しなくてはという先入観のようなものがあるのだが、ラーメンにつきものの「メンマ」というのは家族全員の好物であるなぁとふと思った。本格的なメンマというものとはちょっと違うとしても、まずはゴマ油で炒めるだけでけっこうその感じは出ると感じた。さらに醤油の他にオイスターソース、つまりは和食を基盤としつつも中華料理の方向にふってやると「これは筍のキンピラではなくてメンマのようなもの」と言えるようなものになってくれることに気がついた。これを作っておくとラーメンの時に重宝であることはもちろん、ラーメン屋さんでそうすることもままあるように、これだけをおつまみにしてビールを飲みつつプロ野球をテレビ観戦するという至福の時間を過ごすこともできる。

マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2015-04-30 20:57 | 草外道
2015年 04月 27日

私がEvernote(エバーノート)をますます好きになった理由

b0061413_0263762.png Evernoteの存在を知ったのは、グローバルの極みであるクラウドソフトに地元も地域性もなにもないかもしれないけれども、Evernoteにとっての本場であるアメリカ合衆国在住のブログ友であるじぇにー姐さんのおかげである。野球、酒、アウトドア料理の話題を中心にした我がソウルメイト・じぇにー姐さんが、このブログのコメント欄などに気になる言葉を残してくれていた。「このブログ記事はEvernoteに保存しておかねば」とか「このマーヒーさんの親父ギャグは気に入ったけぇEvernoteに永久保存じゃ」という趣旨のコメントを残してくれていた。おかげで最初は「Evernote?なんじゃそりゃ?」と思っていた私だったのだが、日本人としては割合と早い段階でこのEvernoteという汎用性にすぐれた今ではクラウドソフトの定番中の定番となっているものを利用することができたのである。

Evernoteを使い出す前は、文書の下書きなどに数種類のテキストエディタを使っていたが、
まずEvernoteは単なるテキストエディタとしてだけでもものすごく優秀である。
後から「あの文書ファイルはどこにあったかなぁ?」などと思った時に
その文章のなかにあるキーワードをたよりにした検索機能が実にスムーズなので
さして容量をとらない文書ファイルの保存には最適である。
ひと月あたりの無料で使える容量は60MBであるが、文書だけのものは
ワープロソフトで作成したものあろうがExcelなどの計算表であろうがEvernoteに
どんどん放り込んでいける。しかも、本文をカット&コピーして入れて置くのもいいし、
ファイルごと放り込んでもいい。その時の用途によって融通無碍である。
そして文章に関していえば最近はEvernoteそのもので作成したテキストが多い。

後から無料でダウンロードしたクリップ機能もありがたい。
気になったネット上のウェブページをクリックひとつで
新聞の切り抜きのようにEvernoteにクリップできるのである。
後から、わずかでも記憶があればEvernote内での検索が非常にスムーズなので
切り抜いておいた資料に辿り着きやすいのだ。
シンプルでありつつ、今までのソフトやアプリのなかでも
「もっともパソコン的なものの恩恵を感じた」ソフトウェアである。
それも無料クラウドソフトであった。

昔からパソコンを扱っている人のために実感していただける例をあげると、
30日間毎の無料で使える容量の60MBというものは、
15年ほど前までは誰もが使っていたに違いないフロッピーディスクというものに
換算すれば約38枚分ということになる。
文書だけのデータならほとんど容量は気にならないということは実感していただけると思う。
ウェブページのクリップも、無尽蔵にのべつ幕なしというわけにはいかないが、
ある程度の厳選をすれば、またその厳選をするという事自体が
ある種のデータ整理的な行為であるから、月間60MBという容量はちょうどいい。

毎月、そんな感じで文書データとクリップをして
だいたい切り替えの30日目に半分ぐらいの容量を使っているというパターンが多い。
その日には、残りの容量に撮影したデジカメ写真のなかの
「今月のベストショット」みたいなものを10枚以内、ギリギリまで入れる。
無料で使える範囲をギリギリまで活用したいというケチ根性でもあるけれども、
それはそれで「厳選した撮影写真」というぐらいの枚数としてちょうどいいのかもしれない。

そんなEvernoteとの付き合いであるが、
昨年ぐらいにEvernoteと住友スリーエムとのコラボ文具として
「ちょっと割高なポストイットだけれども、
 なかに書いてある秘密のパスワードを打ち込むと、
 30日間だけ60MBの容量が何と4GBまで無料で使えるよ」
という製品が発売された。
MBとGBでは、まさに桁違いである。それも二桁違いである。
4GBもあれば写真データの「過去にさかのぼってのベストショット集」みたいなものを
クラウドソフトのなかに収めることができる。
私は
「どうせ付箋紙としてのポストイットも愛用品だから、買っちゃおう」
と、それを購入した。

その後、そのポストイットに付属の長い秘密のコードを入力する時に
ちょっとしたミスをしてしまった。

Evernoteのパスワードは、クラウドソフトに入れた内容が
もしも流出してしまったら大変なことになるので
私としては長くて凝ったパスワードを入れている。
とっても長いEvernoteポストイットのなかに入っていたコードも
パスワードの方も入力ミスをしなかったのに
肝心のIDを勘違いしてしまった。
Evernoteに登録した時点のよく使っていたメールアドレスを記入すべきだったのだが、
最近はそっちを多く使うのでGメールのアドレスをIDとして打ち込んでしまった。

どういうことが起こってしまったかというと、
今までのデータへの蓄積に加えての4GB追加でなくては検索の都合上意味がないのに、
新しく打ち込んだID(Gメールアドレス)を元に新しいEvernoteができてしまった。
ちょっと焦ってしまってEvernoteのサポートに
「うぇーん、泣きそうだよーん」というタイトルのSOSに近いサポートを
自分のしてしまったミスをリセットしてもらえる願い出を
(私が考える)中学生風のカジュアル文体でもってサポート要請メール送信欄に
書き込んでいったのであった。
姑息だが、純真な中学生のパソコンユーザーを装ったのであった。
犯罪でも不正でもないとはいえ
ああ、まさに大人げないなぁ。
大人げないけれども必死だったのだ。

本文そのままは記載するわけにはいかないが、12時間以内に
サポートセンターからメールで連絡があった。
それは、その文章をそのままここに書くわけにはいかないけれども
「今回だけ、特別だよーん」
という趣旨の文章で、感激したのはその文体が私が送った中学生風カジュアル文体に
合わせているかのような見事に優しくカジュアルに諭す文章なのであった。
感動した。
Evernoteのシンボル、アイコンの象さんの視線が何だか暖かいものに感じた。
私はクラウドソフトに人間味というべきものを感じていた。

そして、いつも使っているEvernoteを開いてみたところ
きっかり使用容量が30日間限定とはいえ、しっかり4GBに増えていたのであった。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-04-27 01:55 | 草評
2015年 04月 25日

コッヘル272番 筍(タケノコ)のポタージュ

b0061413_6515010.jpg かつてマキシム・ド・パリ東京(銀座)のフランス人料理長が、筍(タケノコ)を使ったポタージュスープを作って好評を得たという話をどこからか聞いたことがあった。今年も筍の季節がやってきて、このコッヘルシリーズでも筍料理はすでに30作ぐらいを数え(素材別で断トツのナンバー・ワン)、毎年「筍料理はもはやネタ切れか」と思いつつ、年間を通じて筍料理のレシピには意識を向けているのでネタはまだまだ枯渇しない。「筍のポタージュか、よし、次の旬には作ってみるか」と、今年のお正月ぐらいからずっと思ってきた。 掘りたての筍を皮付きのままに大鍋で水から茹でて沸騰してから8分ぐらいで火を止めて、冷めたら皮を剥いて1センチ角ほどに切っていく。そして、普段は洗うのが面倒くさくてあんまり使わないフードプロセッサーをつかってきめ細かくする。中型の筍3本をそうやって、バターで炒めた玉ねぎにコンソメスープを加え、さらに塩と牛乳と生クリームを加えて弱火で煮た。最後にハーブとして境内に生えている山椒の木から葉っぱをいただいて手のひらの上でペシペシと叩いて香りを出してスープに浮かべる。 飲んでみて心底驚いた。いかに掘りたての筍を使ったとはいえ、こんなに鮮烈なスープがあったのか、と思った。ただ、筍であるという先入観なしでは何のスープかわからないと思う。コーンポタージとかビシソワーズ(じゃがいものポタージュ)に近い感じもするが、筍から濃厚な出汁のような成分がにじみ出るので、むしろクラムチャウダーを連想したりする。連想はするけれどもやっぱり違う。ただ、クラムチャウダーの貝を連想させる生命力を強く感じる。なるほど、フレンチのコースのなかで出てきてもその完成度は高い。牛乳に加えて生クリームも入っているので和風の要素はほどんどなくフレンチである。 私が「このポタージュスープは傑作だなぁ」というと、長男から「ポタージュはフランス語でスープの意味だから、ポタージュスープという言い方はおかしいよ」と注意される。なるほど「いにしえの昔」とか「危険があぶない」などという重複表現ということか。いいではないか、マキシム・ド・パリというパリ以外にあっては違和感がある店名(早稲田や青山学院など地名由来大学もそうだな)に「東京」だの「銀座」だのついているんだもの。

マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2015-04-25 07:22 | 草外道
2015年 04月 21日

コッヘル271番 塩鶏スープのフォー麺

b0061413_0284459.jpg コッヘル266番で紹介させていただいた塩鶏 であるが、その塩鶏自体が非常に美味しく簡単に調理できるものであるが、嬉しいのはその塩鶏自体が色々な料理に応用できることと、チキンの出汁が効いた塩スープを副産物として利用できることである。たとえるならば原稿料をもらって新聞や週刊誌に連載した小説とかエッセイ集が単行本になってヒットして、その売れ行きが一段落した時に映画化なんかされて、さらに文庫本になってロングセラーとなる感じ。二次使用、三次使用も順調みたいな。そんな三次使用を賛辞しよう。というわけで、塩鶏を作った後に残る汁にお湯を注ぐだけでとても優秀な塩スープとなってこれだけで立派なひと品。さらに確か無印良品で買った米粉麺(フォー)を茹でたものを加えてエスニック系スパイスをふって、さらに写真うつりのために蒸しエビをひとつ添えて食べながら「うん、うん、こういう美味はタイとかベトナムのどこかの町の名物ですでにあるはずだ!」と思った。後味の良さに思わずストレートすぎるオヤジギャグ系のため息が出る。もちろん、「ふぉー」っと。

マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2015-04-21 00:42 | 草外道
2015年 04月 18日

昨年秋からこの春までの薪小屋(ウッドストック)

b0061413_22484961.jpg えーと、確か畳2枚分(京間、中京間、江戸間で畳のサイズはやや異なるが気にしない)がひと坪だと思ったので10坪ぐらいのスペースだろうか、いちおうプレハブの薪小屋がある。ちょっとスカして「ウッドストック」と私は呼んでいる。この薪小屋の薪が減っていく様子を今シーズンは記録してみようかと、ふと思った。いちおうの意図としては東芝EMIの初期ビートルズのベスト盤(赤ジャケット)と後期ビートルズのベスト盤(青ジャケット)が同じアップルレコード社内の階段で同じ角度で撮影されている、あの世界観を狙ったのだが、撮影間隔がちょうどよくなかったし角度もいい加減になってしまった。寒い時期に重い薪をLLビーンのトートバックに詰めてストーブの隣の茶箱に運ぶこと自体が両手がふさがってしまうので、自分で決めたことだけれども「ありゃ、またポケットにコンパクトデジカメを入れてくるのを忘れたよ!」などと腹をたてたりしながら、いちおう記録をしてきたものである。

b0061413_22491120.jpg 薪ストーブを導入して5シーズン目で、何となくだがようやく「ちょっとわかってきた」というようなところがある。まず、日々のなかにおいても薪をその原木の種類と乾燥した年月などによって質を見極めて、組み合わせて焚くこと自体が、けっこう頭を使うパズルのようなものである。このことは伐採した境内の木などを1年以上乾燥させてそれを使い始めた2シーズン目からは漠然と感じていたことではあるけれども薪ストーブ1年生、2年生の時代にはそれをブログで書くと何となく「知ったかぶり」という感じがしていて、5年生になってからようやく言及してもいいかなぁと思うようになった。

b0061413_22492556.jpg 薪ストーブの火おこしをしてその火を確実に起動にのせるまでのパズル的なプロセスについては、趣味であるアウトドアクッキングの技法も役に立っているが、直接的ではないものの2014年の春になぜか録画していたEテレの趣味Do楽「茶の湯 裏千家 茶の湯と出会う」の「炭点前」の放送回に啓蒙された面がある。炭ではなくて薪をくべていくわけであるが考え方として胴炭(どうずみ)、輪炭(わずみ)、割炭(わりずみ)、毬打炭(ぎっちょずみ)、管炭(くだずみ)の役割にあたるに適当な材質と乾燥具合とサイズの薪をパズル的に選び出すことを何だか自然にやっている。もしかしたら私は炉手前の平点前さえできないのになぜか炭点前ができるという変態茶人になっていける素質が出てきたのかもしれない。

b0061413_22493830.jpg 春先になった頃には満載されていたウッドストックの薪もたいぶ底をつき、いちばん奥に積んである竹ともともとは境内にあった杉のみが残っていったのだが、これでいいのである。春になれば朝と夕方にボワっと燃やしてあとはその余韻だけで充分に暖かい。逆に、1月や2月の真冬には樫の木だったり梨の木だったり、とにかく簡単には燃え尽きないような薪を中心に据えてパズルの中核としなくてはならない。ちなみに竹は寺院の竹やぶをほぼ毎年、日当たりのために伐採してきたものだ。タテに割ったもので空気が節にたまる空間をなくして、さらに1年以上乾燥させたら爆(は)ぜることはなく、むしろ優秀な着火剤、または温度調整ができる中間材として使える。これを金をかけてゴミとして出さねばならなかった時代の無念が、いちばん薪ストーブ導入の精神的な「着火剤」となったのである。ただ、これを燃やしたいために繊細なフィルターなどは付いていないクラシックタイプで薪ストーブであると同時に石炭ストーブでもあるバーモント州製の「ヴィジラント」という機種を選んだ。

b0061413_22495413.jpg 竹とか杉が残り、最近は朝にお湯を沸かすためにそれらをサッと焚いて、日中はそんなに薪をくべなくてもいいのでこれでいい。当分、そういうローテーションとなり、あとは梅雨時に洗濯物を乾かす目的で(ついでに熱いけれども湿気も吹き飛ばして爽快にしてくれる)6月中の役割を終えると4ヶ月間ほどのオフシーズンに入る。ただし、そのオフシーズン中に次シーズンの薪の調達、次々シーズンに向けて使える薪の乾燥などの「年間、あるいは数年間を通じてのパズル」をやらなければならない。けっこうたいへんだ。 この薪小屋、ウッドストックスペース自体もオフシーズンの間にはいろんなことの作業小屋となる。そんな日々や年間を通してのパズルをやっているうちに「適所適材」という言葉がしょっちゅう思い浮かぶ。「適所適材」の「材」は、主に人材ではなく木材である。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-04-18 23:47 | 雑草
2015年 04月 16日

夭夭亭(ようようてい)のカウンターにて

b0061413_0311261.jpg 先日、村上市のお寺で会議があったので、その帰り道に久しぶりに 夭夭亭(ようようてい) さんに寄ってきた。リンクを貼ったようにエキサイトブログをされているし、ここでの楠木しんいちさんのライブに飛び入りさせてもらったこともあった。ここでタンザニア産の対になったお面に見つめられてコーヒーを飲む。車だったので酒は飲めなかったけれども、このボトル群(下の方には地元の銘酒、〆張鶴の一升瓶なんかもある)を見ていると何で車で来ちゃったんだろうと反省するぐらいだった。写真のちょうど真ん中あたりには「51」(シンクエンタ・イ・ウン)というブラジルではもっとも人気があるカシャッサ(ピンガ)なんかが置いてある。大手のサントリーが輸入代理店になってくれたおかげで一時期よりは手に入りやすくなったとはいえ、これが置いてあるお店というのはそうそうあるものではない。村上駅の近くのライブスポットでもある「楽屋」さんといい、この夭夭亭さんといい、村上市にはいいお店があるなぁとつくづく思う。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-04-16 00:42 | 草評
2015年 04月 12日

コッヘル270番 セリ根ラーメン

b0061413_23392346.jpg セリという野菜が好きである。清流などきれいな水があるところでないとなかなか育たないと言われるこのセリは、私の子どもの頃には京都市の左京区にもけっこう生息していて採取したこともあった。今はスーパーマーケットであるとか市場などで買ってくるのであるが、たとえば鴨鍋とかすき焼きであるとかふんだんにセリが入っていたらゴキゲンになる。どちらもメインとなる材料以外にセリだけでも構わない、いや、むしろそれを大歓迎するぐらいにセリが好きである。問題は、美味しい根っこの部分もよく洗って丸ごと鍋に投入することは、私の三人の子どもたちにはちょっと抵抗があるということである。なので、根っこの部分は切り離して水に浸しておくということになる。それを翌日あたりにどう料理するか?けっこう課題となる。残り物を活かした料理も立派な料理である。しかも大好物のセリということもあって、敗戦処理のような調理はしたくはない。 コッヘル192番ではセリの根のきんぴら というものを作ってみた。これは炒めているうちに香りも強く漂ってくる逸品であった。 しかし、冬の間に合鴨肉とセリだけの鴨鍋をやった後の醤油ダレにうどんや蕎麦ではなくてラーメンを入れて〆(締め)にしたら非常に美味しくていいもんだなぁと感じた記憶がよみがえって、今回はセリ根を原型のままにふんだんに使った醤油ラーメンにすることにした。この場合の醤油ラーメンは生麺でもなく、確かマルちゃん正麺醤油味であったと思う。もしかしたら日清の何かだったかもしれないが、とにかく普通に買い置きしている袋麺のインスタントである。そのインスタント麺を煮込む3分間の後半にセリの根も投入。香りが非常によくて、チャーシューやハムなどを入れる予定がその香りに誘われて半ば即興的にチクワを投入。あとは普段なら欠かせないネギすら要らない。 とってもいい香りのインスタントラーメンとなった。食べてみて、即興的にチョイスしたチクワは正解であったとつくづく感じた。

マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2015-04-12 23:38 | 草外道
2015年 04月 10日

ついにシャラポア(妻・日本人)もわかった「真空管アンプ」の魅力

御礼も込めたブログ記事であるが、
長年愛用してきた(使用回数は少ないが、十余年の長年である)
ドイツ製のアコーステックギター用のアンプのBINGOが
「調子が良い時しか音が出なくなってしまった」
という状態になってしまったことを半ば愚痴っぽく
先月にこのブログに書き込んだところ、
電気工学を学んでその道のプロであり、しかもエレキギターが趣味だという
遠方に住む友人が読んでいてくれて
帰省中に私の自宅に寄ってくれて
「もしかしたら直せるかも」
と、預かってくれた。
ドイツやイギリスから部品を取り寄せるということで、かなり時間がかかると思いきや、
先日、「精密機械につき取り扱い注意」のラベルが貼られた段ボール箱が届き、
そこに愛用してきたBINGOが入っていた。

タカミネのエレガットとつなぐと、その音色に惚れて
購入した時のサウンドが蘇っていて感激した。
なんせ、つないで弾いているタカミネのギターよりもこのアンプの方が高価だったので、
相当に思い切った一目惚れ、一聴惚れでの購入だったのだ。
かなり特別な部品が使われていたというMIC端子にSHUREのSM58という
スタンダードなマイクロフォンをつなぐと、これまた音が蘇っていた。
SHUREのSM58を買ったのは1年前ぐらいであり、
BINGOからちゃんとした音が出たのはこれが初めてであった。

しかも、彼はついでに、こちらも音が出なくなっていた
Yoshiiのタイムドメイン・ミニというパソコン用スピーカー
(Bluetoothスピーカーが主流だけど私はこれがベストなパソコン用のスピーカーだと思うなぁ)
も、預かってくれて
「こっちの方は楽勝だった」
と完璧に修理をしてくれてBINGOと同梱して送ってくれた。
Yoshiiのスピーカーについてはまた機会を改めて書いていきたいけれども、
とにかく、もしかしたら夏以降になるかもしれないと覚悟していたアンプが、
ゴールデンウィーク中にやる予定の
「採れたてタケノコのディナー・パーティー」
には間に合うことになった。
BINGOを通したエレガットの音色を活かした
「ウーゴ・ノ・タケ・ノコ」
というオリジナルボサノバを鋭意製作中である。

さて、そういうことがあるなかで
私はBINGOを真空管アンプであると思い込んでいた
ということも書いた。
それはそれで見事なことだが、ドイツ製などのデジタル部品を駆使してアナログ的な
温かみのある音色を演出していたのだということが、解体してもらってわかった。

そんなことがあったこの1ヶ月中に、テレビ朝日系列の「タモリ倶楽部」で、
「真空管アンプ特集」があった。
オーディオマニアは真空管のことを管(たま)と呼ぶのであり、
真空管を取り替えつつその音色の違いを楽しむことを「たまころがし」という。
ミュージシャンのなかでもかなりのオーディオマニアとしても知られるコブクロの二人と
「コブクロとたまころがしを楽しむ」
という企画の放送回であった。

用意されたKT88(真空管の部品名です)が3種類で
(1)チェコのJJエレ製
(2)中国のゴールデン・ドラゴン製
(3)ロシアのスヴェトラーナ製
という3つで、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」を試聴。

300B(これも違う型の真空管の部品名)も3種類で
(4)チェコのKRオーディオ製
(5)日本の高槻・ウエスギのWネーム(ウエスギはマニアックな真空管アンプ工房)
(6)米国のウエスタンエレクトリックの88年もの(最後の米国製真空管)
という3つでカーペンターズの「シング」を試聴するという企画。

テレビのスピーカーからの音声で、そんな高級オーディオの部品の違いのような
繊細な違いが分かるのか?と言われそうだが、私は実によく感じられた。
芥川賞作家で熱狂的なオーディオマニアであった五味康祐氏も
補聴器(確かに高級なものであるらしかったけれど)を使っていたにも関わらずに
真空管の部品交換による音色の違いを楽しんでいたのだ。
テレビ朝日の音声スタッフも頑張っているだろうし、
テレビのスピーカーというものは大概は薄型のミニモニタースピーカーとして優秀だ。
NHKのクラシック音楽番組の放映にも見合うクオリティを持たなければならない。
ただし、私見としてはスペースを稼ぐためにスピーカーが底辺部分に付いているものは感心しない。

私としては、その違いを自分のなかの感覚としてもっていただけだったが、
その感覚を見事に言葉にしてくれたのが、隣でいっしょに見ていた
シャラポア(妻・日本人)であった。
オーディオについては素人である。
素人であるがゆえに、受けていたおなじ感覚を自分の言葉にしてくれたのかもしれない。

「モーニン」においては
「すごい、管楽器奏者の指使いが見えるようだし、演奏者の呼吸を感じる!」
「シング」においては
「すごい、カレン・カーペンターの息遣いを感じる!」
という言葉を発した。
「そうそうそうそう!そうなんです!」
と私は同意した。

実に真空管というものは「呼吸する部品」であると、
そう定義できるのではないだろうか?

同時に、ショパンの至言を思い出す。
「声楽家はお腹で呼吸をし、ピアニストは手首で呼吸をする」
ショパンが音楽家のリストではなくて手首のリストについて語った名言だが、
音楽というものの魅力そのものが呼吸、あるいは呼吸感なのではないだろうか?

その呼吸する部品である真空管の魅力を、このタモリ倶楽部をきっかけに
妻も感じてくれた。
新婚時代に勤め人としての最後のボーナスでオーディオ用の真空管アンプを
買おうと思っていたところ
「なんで音の増幅機が大型テレビよりも高いの?要るの?」
という反応であったが、
10年以上経って、ようやくその時の私の気持ちを理解してくれたようだ。
タモリ倶楽部のこの企画が10年前にあって、私も
「ミュージシャンの息遣いが聞こえてくるんだぜ!」
とぐらい言えればよかった。

しかし、三人の子どもがこれから金がかかるような環境になってきて、
10年後には管球式のオーディオアンプがあればいい、という感じかな?

最後に下の写真だが、オーディオ用は断念しつつ
メインのパソコンのOSにWindowsXPを使っていた時代に
台湾のエーオープンというマザーボードメーカーが
サウンドカードの主要部品に真空管を使っていたものを出していた時期があったので、
自作パソコンの中核に組み込んだものである。

これに、今回、友人が修理してくれたタイムドメイン・ミニをつないで音を出していた。
パソコンとしてはとびきり音がいいものを常用していて、
実は妻も気がつかないうちに真空管の良さにはずっと接していたのであった。


b0061413_11191546.jpg


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-04-10 12:48 | 草評
2015年 04月 08日

コッヘル269番 スイスチャード(不断草)のサラダ

b0061413_2346773.jpg 12年ぐらい前のある日のこと、宗派のサマーキャンプなど青少年や児童研修を担当する私より5歳ぐらい若い僧侶から突然に「加藤さん、なぞなぞです。切っても切っても切れない野菜って、なーんだ?」と、今の言葉でいう「無茶ぶり」というのだろうか、突然にそんなキラーパスのようなクエスチョンを投げかけられた。当時の私はそういうなぞなぞにでさえも正解ではなくとも即座に気の利いた反応を示さねば恥であるというようなメンタリティというか、屈折した矜恃をもっていた。「んーと、んーと、んーと…あっ、切り干し大根!なぜなら切り防止大根だから」という答を発していた。この答は、数学的設問に対する解を導き出そうと出した答ではなく、当時の私は自虐的オヤジギャグにハマっており、ウケ狙いが中心であった。ところがキラーパスを私に振り向けてきた僧侶には予期せぬカウンター的キラーシュートとなったようで、しかもそのダジャレ的な要素が彼にとってのドツボにハマったみたいで腹を抱えて笑い出した。私が「じゃあ、そのなぞなぞの答を披露してよ」と言っても「いやいや、私が用意している答よりも加藤さんの回答の方が面白すぎるから、今日からは加藤さんの答を正解とします!」と言われた。とうとう、彼が用意していた答が聞けないままに時が過ぎた。それからも、時々は彼とは会ったのだが、それはなぞなぞのことは話題にしにくい会議や研修会の場であった。何だか急にそんなことを思い出し、数年前にインターネットで「切っても切っても切れない野菜」を検索してみた。すると、このなぞなぞの問題はけっこうスタンダードななぞなぞのようであり、しかも用意されている答が実にたくさんあった。ありすぎるぐらいにあった。その数多くの答となっているもののなかで、私が納得できないベスト3をあげてみたい。1位 「温野菜」 なぜなら野菜を切ることは英語でカット・オフでオフの反対はオンだから温野菜が正解なんだよーん。って、なぞなぞの対象になっている小学生あたりに英語をからめて、しかもダジャレとしても完成度が低ぅ。 2位 「おから」 なぜなら豆腐を作るために大豆を搾った残りで作るおからは、関西では「きらず」(切らず)と呼ばれているからだよーん。って、大豆は大事な植物性タンパク源であるけれども「野菜」というイメージからはグランド内ではあってもファールゾーンという感じだ。それに、これを答として採択できるのは関西地区の壮年層中心の会合であって、決して全国的な青少年向けのなぞなぞとはならない。同様にオクラの別名が「キレズ」だからといって、それを正解とするものも、通称としてマイナーなので承服しかねる。 3位 「不断草」…名前通り切れないから。 この時のネット検索で私は「不断草」という植物の存在を知った。あんまり知名度がない野菜は、やっぱり青少年向きのなぞなぞの答としてはブーイングもので依然として納得できない。しかも、不断草の名の由来はカットできないほど固いということではなくて「一年中栽培することができるから」というもので、むしろ柔らかい植物である。 さて、ようやくブログの本文に入れるが、この不断草が「スイスチャード」という名前で知られるようになってきて(少なくとも不断草よりはスイスチャードの方が知られているのではないか?)クックパッドでのレシピ集も299品となっていて人気急上昇という感触がある。特徴としては、その鮮やかな色である。ほうれんそうと同じアカザ科の野菜なので、似た扱いをしてサッと茹でておひたしなどにするレシピが多い。鮮やかな色はサッと茹でる程度では落ちることはない。しかし、新鮮なものは、どうも加熱せずに食べることも可能であるようなので、最初はちょっと塩をふるだけで食べてみた。これがなかなか良かった。見た目が山ウドとかズイキとかセロリに似たところがあるので独特のクセがあるクセモノのように思っていたら、以外とあっさりしている。このサラダは「レシピ以前の超簡単料理」ではあるけれども、何と言ってもこの色鮮やかという特徴からいろいろなものに組み合わせやすそうだ。パプリカなどの色とりどりのピーマンの配役を脅かす逸材かもしれない。 そういうわけで、和名が不断草といっても切りやすいこの野菜を「切らすなよ」と言う日が来るかもしれない。

マーヒー加藤

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by kaneniwa | 2015-04-08 23:32 | 草外道
2015年 04月 06日

名曲草鑑賞(48) トム・ウェイツの『Closing Time』

b0061413_118746.jpg 今回は音楽論評としてのブログと日記としてのブログ記事が入り混じることになるが、3月31日と4月1日という年度の変わり目に越後長野温泉の嵐渓荘という宿に13年ぶりに泊まってきた。31日という日付は月命日の家庭訪問的なお参りがない日であり「年に何回かしかない計画的に休みとなることがほぼ確定の日」ということとなっていた。ちょっと前なら私のメンタリティは「安くていいところを新規開拓に行きたい」ということであったのだが、どうも確実に休める日というものが貴重なものに感じるようになってからは「それまでよい体験をしたものを再び」というアイディアが多くなっていた。お出かけでいえば「再訪」ということがどうしても多くなった。保守的になったといえばそうなのかもしれないが、別に頑なになったわけでも頑固になったわけでもない。むしろ、硬くなった頭(それはちょっと自覚している)を確実にリラックスさせてくれて新たな発想を沸かせてくれるようなところに再訪したいという方針がそうさせるのだ。 嵐渓荘は決して安い宿ではないけれども「日本秘湯を守る会」の宿であり、そんなリラックスをかなりの確率で与えてくれる場所なのだ。

b0061413_1182454.jpg その嵐渓荘に「石湯」と「深湯」(この2つを併せて嵐渓荘では山湯と呼ばれている)という貸切風呂がある。貸切風呂だが午後10時以降は貸切ではなくて戸の前の鍵をとって内側から鍵をかければ入浴していいというルールである。午後10時にその風呂に入って、上がったところで休憩場所でお茶を飲んでいるとそのペレットストーブが置かれたコーナーにBOSEのラジカセが置いてあった。ラジカセといってもラジカセのカセにあたる部分はとっくにカセットではなくてCDなのだが…まぁスピーカー一体型レシーバー付きCD再生用サウンドシステムと呼ぶのも面倒なのでカセットはなくてもラジカセで通そう。ちょっと音楽でも聞いていこうと思って30枚ほどのCDを見ていると「いい趣味だなぁ…」と感じた。JAZZ、クラシック、ポップスなどジャンルはとても多彩なのだけれどもあえて通底しているキーワードを探せば「アコースティック」である。そこに奇妙な統一感がある。CDの数だけなら私の方がもっともっと多くもっているけれども、何となく「コレクションというものはこうありたい」というような感想をもった。 新潟県の人は、深夜の天気予報などで嵐渓荘の水車などが環境ビデオ的に映ってBGMに歌詞なしのボサノバなどが流れて明日の天気が表示されるところを無意識にも見ている人が多いと思うので、ボサノバはないかなぁ…と見ていたらブリュッヘン18世紀オーケストラという古楽器でのモーツアルトの交響曲のCDがあって「渋いなぁ」と試し聴きをした。BOSEのラジカセで感心したのはボリュームの段階が非常に細かく設定できる。深夜なので、やや小さめの音量を心がけて「レベル32」の前後に合わせて聞いた。楽章の変わり目の無音部分でこのボリュームの段階がどこまであるのか知りたくて「レベル70」まで上げたところで突然の大音量が鳴っては怖いのでまた「レベル32」に戻したけれども、まだまだ上のレベルがありそうだった。ともかく、小音量を細かく調整できるのは優れている。 モーツアルトの交響曲を2曲聴いていると真夜中になってしまうので、もうちょっと短い時間で聴き終わるものはないかとその30枚を見ていて目にとまったのがトム・ウェイツであった。アルバムの『Closing Time』である。実は東日本大震災の前になるけれども、このアルバムの一曲目である「Ol’55」についてはすでに書いている。嵐渓荘という場で、このアルバムを鑑賞できたということは、何だかとても良い経験であった。そう、それは鑑賞というよりはサウンドに身を委ねての瞑想タイムであった。たとえば1曲目の「Ol’55」は、レコーディングを終えたトム・ウェイツが夜明けのハイウェイを1955年式の車で、あたかも星を引き連れるパレードをしているような感触が歌い込まれているけれども、私が瞑想的にこの曲、そしてこのアルバム全体から思い出していたのは関越道の「お盆渋滞」のことであった。あれは不思議なある種のパレードだった。最初はずっとイライラばかりしていたのだが、前の車の後部座席でグズる子どもをあやしているお母さんの姿が目に入った時に「みんな、こんな苦労までして帰りたいんだよなぁ」という感慨が押し寄せてきたものだった。 長いブログ記事になり、音楽論評にも日記にもなっていない気がするけれども、たまにはこういう身を浸して瞑想や空想を楽しむ聞こえ方はいいなぁとつくづく思った。そして、それにはやっぱりこういったアルバム単位で聴くこと、あるいは聞こえてくることが好ましいと感じた。


マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2015-04-06 08:15 | 草評