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2015年 06月 05日

草仏教掲示板(82) 鏡を見れば

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どんなに辛いことがあっても
鏡を見ればちゃんと生きている 美輪明宏

法事が終わった後で学生さんが私に
「お経ってラップミュージックみたいですよねぇ」
と声をかけてくれた。
彼の両親をはじめ同席した親戚たちには
「…お前、何て失礼でバカなことを言っているの…」
と言いたげな表情が垣間見えたが、私は
「…実は、ワシもずっーとそう思っていたんだYO!」
と答えた。
一同はみんな笑った。
周囲は軽く流れはじめた不穏な空気を察して、私が機転を利かせて
笑うようなことを言ったのではないかという偉大な勘違いをしてくれたみたいだが、
本気で昔からそう思っていたのである。

たとえば『仏説阿弥陀経』というお経を私はだいたい12分前後で読む。
これが早い方なのか遅い方なのかわからないが、毎朝東本願寺の阿弥陀堂で
猛スピードでポップス1曲分ぐらいの時間内に、しかも漢音で読まれるものに比べれば
3倍ぐらい遅いはずだ。
それでも、12分での『仏説阿弥陀経』というのは、
書かれている内容をすべて伝えられるなどということは意識できない速度となる。
ラップミュージックの要領で、私が『仏説阿弥陀経』をミュージシャンとして「吟じる」
とか「演じる」というような表現をとってみれば、
やはり深くて強いメッセージ性がある歌詞の情報量の質と言い量といい、
このような楽曲を短時間で伝えるには「節」とか「抑揚」は大事ながら
メロディ的なものは自ずから平坦になり間のようなものは詰まってくる。
まず単純に考えてもお経とラップは似てくるのである。

ラップ・ミュージシャン(読経者)としても客(参拝者)に吟じた言葉を
全部もって帰って欲しいというようなことはもはや要望しない。
ほんのひと言でいいから考えずに感じた言葉をもって帰って欲しいとは思う。
ほんのひと言さえ無理であれば雰囲気だけでもいいから毛穴から入ったものを
感じたものをもち帰ってくれよベイビィと思う。

さてさて、ようやく本題に少しだけ入ると
中国で訳された経典を読んでいる宿命のようなものだが
ラップと同じく
「韻を踏んでいる」
という共通点も見えている。
これは鳩摩羅什という原典の翻訳者がダジャレ好きだったわけではなく、
(特に古流中国語で発音すれば)同じ言葉の音を重ねることによって
「言霊効果」(ことだまこうか)とでも言うべきものを醸しだして
基いてあるメッセージ性をさらに強調しようという意図が
無意識的にもはたらいていたのではなかろうか。

さて、もうちょっと本題に入り込んでいこう。
中国の善導(ぜんどう)大師という方が『仏説観無量寿経』を解釈されるなかで
「経は教なり、また鏡なり」
と「KYO」の音を重ねながら大事なお話をされているんだYO!YO!

経=教=鏡

というシンプルな数式であるが、経は教えでありなおかつ鏡であるという。
自分自身の姿を写しだしてくれるものであるという。

ナルシスト的に鏡の前で優越感のようなものに浸る人もいれば
劣等感のようなものにさいなまれる人もいる。
その時々によってその両面が湧き出てくる人もいる。
ただ鏡の功徳によって自分の姿を見た時に
優越感や劣等感はこちらがわの勝手な煩悩に過ぎず、
まずは確認すべきは
「生きている」
ということなのではないかと、
美輪明宏の話はまったく出てこなかったけれど、
そう感じたんだYO

マーヒー加藤(ブログ本文)
日本人シャラポア(書)


追記 ラップミュージックに関して知っているようなつもりで書いたけれど、
   実はあんまり馴染みがない。
   ただラップが流行る前夜ぐらいの時期のジャマイカの
   「DJスタイル」というのは大好きである。
   具体的にはTIGERやSUPERCATなど。
    (どちらもネコ科の名だなぁ)
   曲によっては「こりゃお経の読み方じゃないか?ジャマイカ?」
   というものがけっこうある。
   歌詞はほぼ分からない。
   訛り的なものもあるかもしれないが、なんせ猛スピードだもん。

 『ホワイティー・フォード・シングス・ザ・ブルース』(Whitey Ford Sings The Blues)
 という白人ラッパーのアルバムをAmazonで買ってみた。
 バンド(ユニット)名としては「Everlast」である。
 白人ラッパーがブルースを歌うというので買ってみたが、
 正直いって「What It's Like」という曲以外はあんまり好みではなかった。
 歌詞はほとんど分からない。
 その分、「What It's Like」には
 ワンフレーズでもいいから何か感じとるという態度で聴ける。
 
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# by kaneniwa | 2015-06-05 06:56 | 草仏教
2015年 06月 02日

コッヘル279番 糸魚川ブラック焼きそば

b0061413_2344821.jpg ご当地B級グルメというと焼きそばが多い。何をもってしてB級と呼ばれるか?あるいは名のるのか?その定義はなかなか難しいが私なりに語ってみれば「紅しょうがを添える食べ物」と言ってしまっていいのではないだろうか?たこ焼き、牛丼、冷やし中華、とんこつラーメン、お好み焼きというあたりが思い浮かぶ。「紅しょうがを添える食べ物」という私のB級グルメの定義は、将来にわたっても辞書に載ることはないだろうが、たとえばチャーハンやちらし寿司といった作り方によっては大衆路線も超高級路線も大いにある料理においては、紅しょうがが添えられるか否かはA級かB級かの境目になりうるのではないだろうか?もちろんB級であるから劣っているとかランクが下であるというような論旨ではない。針状にカットした紅しょうがが指針とか羅針盤になりうるのではないかという話である。 新潟県の糸魚川市発の「ご当地グルメ」である糸魚川ブラック焼きそばのブラックの正体はイカスミである。スパゲッティなどのパスタ部門でイカスミというとB級ではなく、和食だってイカの塩辛の黒造りというと高級路線の方に入ってくる。 知り合いからそのセットをいただいたので作ってみる。付属の紅しょうがを添えるまではイカスミの黒、玉子焼きの黄色、青のりの緑(信号機と同じく青は緑なんだなぁ)の三色から連想したのはジャマイカ国旗の配色であった。そこに真紅の紅しょうがをコッヘル脇に添えてみたところエチオピア国旗のラスタカラーも加わって「おっ、レゲエじゃん、レゲエ!」となった。 私がイカスミのスパゲッティを年に10回食べるとして、こちらのイカスミ焼きそばは正直言って年に1回食べるか食べないかというペースだろう。それではこのご当地グルメはダメなのか?といえばそれは違う。たとえば夏フェスの屋台でイカスミパスタの屋台と糸魚川ブラック焼きそばの屋台が並んでいたとしたら迷わずに糸魚川ブラック焼きそばの方に行くだろう。そんな条件下では白ワインが合う方よりもビールが合う方をチョイスするに違いない。糸魚川で野外フェスがあればいいなぁ。それも、懐かしのレゲエサンスプラッシュが開催されるといいなぁ。その場の食事でジャマイカ国旗とエチオピア国旗の配色が合体したこの焼きそばは最高だろうなぁ。というわけで、この黒、黄、緑、赤の色彩鮮やかな焼きそばを食べながら脳裏に浮かんだのは糸魚川の深い深い青色をした海であった。

マーヒー加藤

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# by kaneniwa | 2015-06-02 23:48 | 草外道
2015年 05月 31日

和田一郎著 『僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと』

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和田一郎さんのことは
京都市の一乗寺で三階部分はライブハウスでもある焼肉店を経営されている
「焼肉いちなん」の店主の孫恵文さんから初めて教わった。
ただ、孫さんも和田さんとは直接には会ったことは一度もなかったという。
しかし
「こんなに深い文章が毎日のように更新されるブログはまずない、毎日感服している」
という孫さんの言葉に、私は「和田一郎」という名前だけをメモしていった。
後日、すっかりと私も
 ICHIROUYAのブログ
という毎日更新されてくるその文章にひかれていったのである。
それにしても2012年の3月から
毎日クオリティの高い文章を更新されている和田さんもすごいけれど、
それを2013年中という割合と早い時期に私に教えてくれた孫さんもすごい。
さすが先鋭的でディープな人が集まる「出会い系焼肉店」の店主だ。

今年の2月10日に和田一郎さんが世に出されたこの
『僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと』
(バジリコ株式会社 1300円プラス税)
という本を私はAmazonで購入したので、
Amazonの書評の方にコメントを寄せた方がその流布に寄与できる気もするのだが、
私としてはブログでふれたくなった。

和田一郎さんは超一流大学(京都大学)を卒業後に
大手百貨店に勤務され、42歳の時に退職された後は
海外向けのアンティーク着物の販売を始められる。

和田さんが書かれるからには「ただのビジネス書ではない」とは思っていたが、
サクセスストーリーが自慢気に語られたり、
高みに立っての教訓が延々と述べられる本とはまるで違って
「ここまで自分というものを見つめられる人がいるのか」
という驚きのようなものを感じることになった。
実際に情報をとって役立てようという種のビジネス書や啓発書とは違い、
何度も再読したい思想書に近いものだと感じた。

実は私も40歳になる間際まで組織というものに属しながら、
組織から給料をもらって、お陰で借金に追われる心配はなかったけれど
様々な締め切りと仕事に追われる日々をずっと送ってきた。
けれど、私には当時から今に至るまでここまで深く自分をみつめることはできない。

「組織」という言葉自体が、
おそらく「organization」からの翻訳的に編み出された言葉であると思う。
明治時代の古書でこの「組織」に「からくり」とルビがふられているのを見たことがある。
(悔しいなぁ、典拠がなかなかネット検索では出てこないなぁ…)
たとえば人体なども含めて「組織」というものの不思議さも言い当てた
絶妙の読みであると感じた。
心臓や肝臓がどんなに大事であるとしても、
それだけがいかに張り切っても
全体としての「からくり」を阻害してしまうということがあるのだと、
この本を読んでますます感じることになった。
「自分は心臓部にいて休まず働いている」
という思いあがりはあっても、自分を見つめつつ体全体を俯瞰する眼をもてなかった。

これは今日、週刊誌を読んでいたら書いてあったことだが
野村克也氏が初めてホームラン王をとった翌年に
猛練習は欠かさなかったのに大スランプに陥ったという。
その時に南海ホークスのある先輩から
「野村よ、ぶん殴った方は忘れても、殴られた方は忘れないぞ。
 勝負は相手から自分を見ることも大事なんだ」
というアドバイスを受けたことで
(週刊文春2015年6月4日号106ページ)
データというものに目を向けることがはじまったという。

『僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと』には、
組織のなかで仕事に没頭しつつ成功を収めていた時期に
周囲はどのように自分を見ていたのか、ということが
とても深いところからまさに後悔という内省から語られている。
和田さんは殴られた方のことを決して忘れていないのだ。

僕の後悔9 信念なんてゴミ箱に捨てればよかった
僕の後悔10 クリエイティブであるよりも堅実であればよかった
僕の後悔11 周りからの評価を得るために長時間働かなければよかった

などの後半の章段のタイトルは一種の「逆説」になっている。
心の真実というものは
「汝の敵を愛せ」(新約聖書)
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(歎異抄)
という逆説的な形をとらなくては私たちには気がつきにくいのかもしれない。
そんな逆説を出せるほどに和田さんは自分を見つめたのだと感じた。

書評としても推薦文としても非常に中途半端なブログ文となってしまったが、
ブログをお手軽にまとめた本ではなく内容も重複するところはほとんどなく、
(しかしその名文の書き手は紛れも無く和田一郎さんであることに間違いない)
引用文も少ない本書のなかで、珍しく引用されたこの言葉に
今の世の中の大事な変わり目が照らされているということを強く感じた。
それをご紹介させていただいて終わりたい。
なお、原文が英語であるということもあるがマーヒー加藤流超訳にて、
近日中に法語掲示バージョンにてここに記すことをどうかご了承いただきたい。

何の業績もないように見えるあなたの親が
あなたを愛することで
幸せになっている姿をよく見てほしい


作家ジョージ・サンダース
2013年シラキュース大学卒業式でのスピーチより


マーヒー加藤
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# by kaneniwa | 2015-05-31 06:47 | 草評
2015年 05月 27日

コッヘル278番 米粉蒸し餃子

b0061413_23361550.jpg 横浜中華街の聘珍樓の点心部門などの、餃子の皮が半透明になっていて高級具材のフカヒレやらエビやらが透けて見える感じの高級餃子というものがあるけれども以前から「その皮は米粉か、米粉と小麦粉のブレンドではなかろうか?」と、常々推測してきた。地元は米どころであって、もちろん米を材料とする米粉も副産物であるということを越えて名物となりつつあり、その地元産の米粉で具材はいつもの焼き餃子と変わらないものの「高級感ある皮が半透明の餃子」というものを試作してみた。「使われているのは米粉に違いないだろう」という私の思い込みが正しいかどうか、ちゃんとしたせいろ蒸しではなくてダッチオーブンの底に鍋敷きを敷いたものでの蒸し作業の合間にネットで調べてみると、どうも米粉は主流ではなくて浮き粉(貫雪粉や浮粉とも言うみたい)に片栗粉をブレンドしているものが多いという感じがして、急に蒸している最中のものを不安視することになってしまった。そして恐る恐るダッチオーブンのリッド(ふた)を開けてみた。限りなく透明に近いホワイトを願っていたけれども実際には透明とはなかなか言えない状態だったので気分の方がややブルーになってしまった。形も少し崩れている。しかし、味の方では狙った方向とはちょっと違うもののいい感じだった。考えてみれば「餃子とライス」というのは合わないわけがないので美味しい。お茶碗とか丼に盛ったライスがなくとも、皮が米粉なのでそのまんま餃子ライスを食べている感じ。ただ、私の感覚では普通の焼き餃子の時の酢醤油とラー油という組み合わせより酢醤油にカラシの方が合う感じだった。いっそシュウマイを米粉を作って「それだけで崎陽軒のシュウマイ弁当風」にすればよかったか? 私の京都での学生生活の期間は「餃子の王将」がものすごい勢いで京都市内を中心にチェーン展開している時期だったのでしょっちゅう餃子の無料券をもらった。それでよく餃子ライスをしていたことを思い出した。最初は高級感あふれる餃子をイメージしていたら、かなり違うイメージが出てきたなぁ。それにしても王将本社前で大東隆行社長が射殺された事件の犯人はまだ特定されていないなぁ。

マーヒー加藤

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# by kaneniwa | 2015-05-27 23:59 | 草外道
2015年 05月 25日

草煩悩(22) snowpeak(スノーピーク)のワンアクションちゃぶ台

b0061413_1152475.jpg 発売後7年以上を経てsnowpeak(スノーピーク)のワンアクションちゃぶ台はすっかりと定番商品となっているが、実は2008年 05月 21日のブログ記事に書いてあるように世界初の一般購入者は私である。 うちにあるsnowpeakの製品のなかでもこのワンアクションで折りたためるちゃぶ台は家族の人気者であり、9歳の末娘なども折り紙を作るなどの作業時に私のところにこのちゃぶ台を借りに来る。インドアでもアウトドアでも、もはやなくてはならないアイテムとなっている。しかし、7年以上の時を経て折りたたみ式(足が収納できるだけでなく真ん中から2つにたためる)でもあることもあって不具合が生じてきた。まずは折りたためなくなり、構わずにそのまま使用していたら足がぐらつくようになってきた。普通のちゃぶ台であれば全体を破棄して新しいものに買い換えるという判断をしていただろう。しかし「これは修理に関して永久保証されているsnowpeak製品であった」ということが意識された。本社が近くはないけれども同じ新潟県内にあるということで、広大なキャンプ場も併設されているsnowpeak本社へと持っていった。広い敷地の本社のなかで「修理依頼はどこに行けばいいのだろうか?」と迷っていたら「ヘッドクォーター内のショップで受け付けています」と社員の方が案内してくれた。そのショップで若い男女の社員が対応してくれた。ちゃぶ台を見せてみると「足の部分のパイプが湾曲していて、これは簡単な修理では直らないのでお預かりして送付することになります、後で見積もりをしますが、修理代として出せる金額の上限を教えてください」と言われた。私は「このちゃぶ台は発売日の午前中に旧本社のショールームで買ったもので、本でいえばベストセラーの初版本のようなもので家族みんなの愛用品です、直るならば修理金額に上限はありません」と、案外とキッパリ言った。それを聞いた店員は「ちょっとお待ちください」と壊れたちゃぶ台を持って、どうやら修理工房へと走っていった。10分ほどで戻ってきて「修理代は送料込みで3264円になります」と言った。その金額をその場で払ってショップでペグやらロープやらの小物を買って帰った。後日、電話があって「折りたたみ機能は完璧に直りました。あと、テーブルの表面に小さなキズがたくさんあるのですが、無償でやらしてもらうので研磨してもよろしいですか?」ということの確認であった。「もちろん、やっていただければありがたいです」と答えたが、その問い合わせ自体が非常に嬉しかった。こちら側の製品への愛着を察知してくれ、もしかしたら小さなキズにもメモリアルがあるのかもしれないという可能性を意識してくれているのだなぁと感じたのだ。数日後、たいへん丁寧で厳重な包装でsnowpeakのマークが入った大きな段ボール箱が届けられた。それを開けた時に家族中から歓声のようなものがあがった。研磨された表面は比喩ではなくて新品時よりも美しい竹の木目が浮かび上がっており、もちろん折りたたみ機能を含む故障箇所の修理はパーフェクトであった。これは正直に言って購入時の感激よりも大きかった。 実はつい最近になってsnowpeakが株式会社として上場したことを少し心配していた。「自分のところで作ったプロダクツを修理が可能ならば面倒をみるのは当然のことなので、snowpeak製品には保証書は付けない」など独特の社是が株主の意見によってはブレることも今後はあるのでは?とチラッとだが思ってしまったからだ。でもそれは杞憂。snowpeakの製品を長く愛用している人は安心してそれを誇りに思っていいと思う。 テレビで作家の村上龍のインタビューにsnowpeakの山井社長は「我々はアウトドア馬鹿の変態集団であります」と堂々と言っていたが、こんなに素晴らしい変態はなかなかいない。

マーヒー加藤

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# by kaneniwa | 2015-05-25 06:08 | 物草
2015年 05月 23日

スポーツ吹き矢(競技)を一晩で知ったかぶり

昨日、ある住職さんと日程の打ち合わせをしていて
「ごめんなさい、その日はある競技の県大会に出場しなくちゃいけなくて…」
と言われ、それは何気ない会話であったのだが
「それはどんなスポーツのの大会なのですか?」
と尋ねると
「吹き矢なんです」
「えっ?FUKIYAっていうと?」
「そうです、筒状のものから発射して的に当てる吹き矢のスポーツ競技です」
というやりとりがあって、矢継ぎ早に20ぐらいの質問をたてつづけにしてしまった。
以下、箇条書きにするのは、その質問の結果で知ることができた知識の羅列である。

(1) 吹き矢( blowgun)に相当するものは世界各地に古代からあるが、
    スポーツ競技として確立した上で全世界への普及を目指しているのは
    日本である。すでに短期間のうちに海外の支部も多数できている。

(2) 1988年頃に新潟県長岡市の開業医・樋口裕乗氏が創始者となって
    スポーツとしての吹き矢のルールやレギュレーション(規格)などの
    整備が行われている。

(3) 筒の規格は全長120cmである。100cm(ジュニア用)もある。
    内径13mmで材質は釣り竿と同じくカーボン、グラスファイバー等が用いられる。

(4) 老若男女を問わずに楽しめ、その交流やストレス解消や
    シューティングゲームとしての娯楽性も競技の目的であるが、
    同時に高い精神性を求道するメンタル面の鍛錬も大切にしており、
    従って武道のような段位制、昇級制度を用いている。
    
(5) 的は半径3cm、6cm、9cm、12cmの同心円で内側から7点、5点、3点、1点となる。
    的までの距離は前述の段位制に基いて6m、8m、10mの3段階に分かれる。

(6) 1ラウンドにつき5本の矢を吹き、4ラウンド(140点満点)、
    あるいは6ラウンド(210点満点)を1ゲームとする。

(6) タレントでは上地雄輔が愛好者であり、すでに2009年に2級に昇格している。

(7) 吹き矢が発射された時の初速はトップ選手で約150㌔。
    これは、上地雄輔が横浜高校野球部で捕手だった時代に受けていた
    エースの松阪大輔の投球の初速とほぼ同じである。

(8) AKB48の天然娘・小森美果が愛好者であり、今後の総選挙では
    吹き矢愛好者の支援を受けて伸びてくるとかこないとか。

(9) 2007年には日本スポーツ吹矢協会が
    文部科学省より社団法人として認可されている。

(10) オープン競技ながらすでに和歌山開催や東京開催での
     国体(国民体育大会)で競技の実施がされている。

(11) 日本スポーツ吹矢協会は、国体の正式種目入りを目指していると同時に
     将来的にはパラリンピック、オリンピックの正式種目入りを志している。

(12) その社団法人でもある日本スポーツ吹矢協会の本部は
     東京都中央区銀座3-10-9 共同ビル9F という場所にある。

(13) そんな銀座3丁目では、筒をケースに入れていても裸で持っていても
     警察官から職務質問されてしまうというのが
     「スポーツ吹矢競技者あるある」であるという。

(14) 大会や海外支部での講習など飛行機に乗らねばならない時には
     なかなか手荷物で機内に筒を持ち込むのは難しいらしい。
     手荷物でなくても検査時、特に海外の税関で筒の用途を説明するのに
     苦心しているという。

(15) ちなみにケースはDAIWAやSHIMANOの釣り竿用のものを流用する人が
     主流であるが、複数を野球のバットケースに収納する人もいるという。
     さらに全長120cmの筒は3つに分解可能なため、フルートのケースに入れる
     という人もいるとかいないとか。

(16) 銀座3丁目の本部は事務所の他に試合や講習のための競技場も兼ね備えている。

(17) 試合や練習の後で、銀座のキャバクラにちょっと寄ると
     競技用の筒の入ったケースを見て「それは何ですか?」
     というキャバ嬢の最初のツカミ(関心)の高さは
     最大級であるとかないとか。

(18) 最初からキャバ嬢の(話題としての)関心が高く、
     競技者はスポーツ吹矢で培った柔軟かつ健全で崇高な人格により
     モテモテであるとかないとか。

(19) たとえばドラムやサックスを演奏する「ちょいワルおやじ」というものは
     モテる要素であるが「吹き矢を嗜むちょいワルおやじ」という
     その「ちょいワル」の具合のインパクトは絶大であるとかないとか。

(20) 「ちょいワル」とは言ってもそこは段位制度も取り入れている武道精神と
     健全な娯楽精神によって成立するスポーツであるから
     たとえば戦争を頂点とするケンカや動物虐待に培った技術を使うことは
     とんでもないことで、競技者は楽しく素晴らしい人格者が多い。

などと、私が繰り出した20の質問に実に丁寧に住職さんは答えてくださった。
つい30時間前に私はスポーツ吹き矢という世界のことを知ったばかりである。
しかし、今の時代であるからさっそくにYouTube等で
「パーフェクトゲーム達成の瞬間」の動画などでその緊張感などを味わい、
何だか一度も道具に触ったこともないし実際の競技を見たわけでもないのに
ハマってしまっている感じがある。

銀座のキャバ嬢ではないけれども「えっ?吹き矢?」ということで私が
これほど喰いついて質問を連発してしまったのである。
話題性の大きさではこれほどのものはないような気がする。

この盛り上がり方は私の人生経験のなかの「何かに似ている」と感じた。
思い出してみればこの草仏教ブログの愛読者でいてくれる「えみぞうちゃん」から
「マトリョーミン演奏」という世界を教えてもらった時の感覚に似ている。
「ロシア人形にテルミンを内蔵した楽器?何だそれは?」
「竹内正実さんって誰だ?」
「すでに協会が設立されているのか?」
など、その意外性に驚きまくったものであった。
その後に「どんどん調べることができる」という今の時代の特性を活かして
知れば知るほどにその意外なほどの演奏人口の幅広さや深さに驚きまくった。
そして、1回だけ、それもアフターライブながらもマトリョーミンと共演させてもらって
その周囲の空気感さえも変えてしまう世界を知ってしまった。
私はマトリョーミン自体はまだ演奏したことがないけれども
知って体感しただけで豊かになれた気がした。

もしも、私の娘たちや息子が将来に就職のため提出する履歴書に
「趣味は吹き矢競技とマトリョーミン演奏」
などと書き込めば、私と同年代ぐらいであろう人事課長に与えるインパクトは最大級だろう。
しかし、これは
「発想や動機がちょいワルおやじ」
と反省しなければならない。

マーヒー加藤
     
    
    
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# by kaneniwa | 2015-05-23 23:10 | 草評
2015年 05月 21日

コッヘル277番 グリーンアスパラガス「たもっちゃん」鴨肉のロースト添え

b0061413_2116341.jpg 北海道のお世話になっている方から「たもっちゃん」というブランドもののアスパラガスが届けられた。太さが細めのアスパラガスの10倍ぐらいある太くて緑色が鮮やかな逸品だ。ちょうど、学生時代に「たもっちゃん」という愛称だった友人が遊びに来ていたので、こういう偶然は大切にしたいと思って鴨肉のローストを添えて出す。夕食時まで軽くギターでセッションをしていたが、食事も即興的に見事なアスパラが加わってのセッションとなったのであった。普通ならば、鴨肉のローストにアスパラを添えるというべきだが「たもっちゃん」は見事に鴨肉の方を従えていた。適度な野菜らしい歯ごたえがあるものの実に瑞々しく、軽く茹で上げた時に投入した薄い塩味が内面の甘さを引き出していた。アスパラでパラダイス。明日ぱらアスパラなしでは暮らせなくなるほどで、あぁーすぱらしい!

マーヒー加藤

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# by kaneniwa | 2015-05-21 21:40 | 草外道
2015年 05月 18日

追悼記事(32) B.B.キング(B. B. King)

B.B.キングの訃報を聞いた時から、
それまでにも親しみあるミュージシャンが亡くなった時には感じたフィーリングだけれども、
つい先週あたりにも耳にしていたB.B.キングのギターの音が
「あの世から響いてくる感じ」
となった。

B.B.キングという人の名前自体がニックネームを元にしているけれど
愛用のギターにまでニックネームが付いているのは珍しい。
それは物品の名前としてはギブソンのES-355TDSVを改造したものであるが、
やはり「ルシール」という名前でなくては何だかピンとこない。

B.B.キングがアーカンソー州トゥイストのクラブに出演した時に
二人の男が喧嘩を始め、ストーブが倒れてクラブは大火事になった。
いったん店の外に避難したB.B.キングであったが、愛器のギターを忘れていたことを思い出し、
再び火災が起こっているクラブに飛び込んでギターを持ち帰った。

翌日、その男たちの喧嘩が「ルシール」という名の女性をめぐっての争いであることを
知ったB.B.キングは、魔除け的な意味もあったのか
愛用のギターを「ルシール」と呼ぶようになったという。

その「ルシール」で、特に得意のチョーキングを多様しているときの音色は、
B.B.キングのボーカル時の声質にそっくりに聞こえてしまう。
逆にいうと「ルシール」がB.B.キングの声を代弁するかのように歌って唸っている。

YouTubeなどで映像を見ているとよくわかるが、B.B.キングが声を出している時は
彼はギターを弾かずに、まったく一音も出していない。
まるで、サッチモ(ルイ・アームストロング)がその声質そっくりなトランペットを演奏し、
歌い出したらそのトランペットそっくりな歌声であることを連想する。


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# by kaneniwa | 2015-05-18 23:55 | 草評
2015年 05月 14日

コッヘル276番 筍のポタージュ・豆乳バージョン

b0061413_2324827.jpg 今年の筍の季節もどうやら一週間前に終わった。今年はコッヘル272番からこの276番までが筍料理であった。そのコッヘル272番の筍のポタージュからバターで炒めたタマネギを抜き、コンソメに代わって白だし、牛乳に代わって豆乳、生クリームに代わって豆乳ホイップクリームを使用した。この豆乳バージョンを作ってみようと思ったのはコッヘル272番が上手くいき、また作らねばと思った時にスーパーで生クリームのコーナーに「めいらく」(スジャータというブランド名で有名)の豆乳の生クリームを見つけたのがきっかけだった。正式な製品名はちょっと長くて「乳製品を使っていない豆乳入りホイップ」という。見た目はコッヘル272番のポタージュとそっくりである。写真を整理しながら、撮影した私でもよく見ないと違いがわからないぐらいだ。 しかし、見かけは同じようなものであるのにも関わらずに味は見事なまでに違う。シリーズの趣旨としてコッヘルにポタージュを注いではいるが、本来ならば272番は洋食器のスープ皿で提供すべきものだろう。真っ白なウエッジウッドの皿に筍の白とイエローの中間ぐらいの色がうっすらと浮かぶのがベストだ。それに対してこのコッヘル276番は洋食器のスープ皿は似合わずに木目調のものにしても塗り物にしても、和食器のお椀でなければいけない感じだ。そして272番はフレンチのコースのなかで、この276番は懐石料理のなかで映えつつ調和していくだろう。 毎回毎回のことながら、味のことを文章にするのは難しいなぁと思うのだが、272番はコンソメやバターや生クリームというフレンチを主体とした西洋的な伝統に基くテクニックを駆使しつつ「調理した」という感じ。276番は、もともと相性がいい筍と大豆(と思うなぁ)という素材を白だしの味と風味によって「調和した」という感じなのだ。 さらにもう一歩踏み込んで表現するならば272番は「筍を成仏させた」という感じ。この276番は「筍が往生した」という感じ。その違い、わかるかなぁ?わかんねぇだろうな?(このフレーズ自体、45歳以下にはわかんねぇだろうなぁ)

マーヒー加藤

コッヘルバックナンバー
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# by kaneniwa | 2015-05-14 23:56 | 草外道
2015年 05月 12日

嵐とともに帰宅

b0061413_2384860.jpg 京都に出張してきた。世間ではまだゴールデンウィークを有給休暇などを使って延長している人も少なくないせいか、行きの飛行機の予約が取れずに大阪の伊丹空港からの帰りの飛行機のみを予約し、新幹線で出かけるということになった。そうしているうちに台風6号がやってきた。夜に関西方面にやってくるということで「飛行機、飛ぶかな?」と疑心暗鬼の気持ちで京都から地下鉄と阪急電車とモノレールでの移動。大阪(伊丹)からは新潟行きの最終便となるので「やっぱ飛べませんわ」という趣旨のアナウンスが入ったらどこに泊まるか?なんてことを考えていた。伊丹空港からは、沖縄行きや高知(坂本龍馬空港)などの四国行きの便は軒並み欠航している。羽田行きにしても「中部国際空港に着陸する可能性」を示唆するアナウンスが流れ続けている。そんななかで新潟行きは結果的に遅れることはなく、揺れることがあるために機内での飲み物のサービスが省略されただけで予定時刻ちょうどに新潟空港に到着した。少しは揺れたけれども、飲み物サービスは別に省略してくれなくても良かったのになぁと思うぐらいの感じ。格安航空会社ではなかったし。むしろ1分ごとに雨風が強くなってくる感覚があるなかでの南茨木から伊丹空港までのモノレールが怖かった。けっこうな高所を走っているし。実際には大したことはないのかもしれないけれども、どうも強風で車両が揺れているかのような感じ。そんな雨風のなか、車窓から誰かがこっちを見つめているかのような視線を感じたら、それは私が7歳の頃に恐ろしく巨大なものとして見上げていたずぶ濡れの太陽の塔であった。

マーヒー加藤
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# by kaneniwa | 2015-05-12 23:27 | 雑草
2015年 05月 10日

コッヘル275番 筍と糸こんにゃくの炒めもの

b0061413_23205798.jpg 今年も筍の季節は終わったなぁという感じがする。写真でストックしてある数品をブログ記事にしてあとは来シーズンを待つ。ただ京都の丹波地方の住職さんから教えてもらった「塩とおからを半々に混ぜたものを使って茹でてカットした筍を最長2年間保存させる方法」というものを昨年の今頃に恐る恐るひと樽だけやってみた。7ヶ月後の冬に取り出してみて「塩抜き」をしてみたところ、バッチリ鮮度を保っていて驚いた。そのひと樽は親鸞聖人ご命日の集いである「報恩講」(ほうおんこう)のお斎(おとき・会食)に全部使ってしまったのだが、今年はその保存料を倍増しておいた。4月や5月でなくても、冷凍保存ではない形ですべての季節に筍料理が食べられるかもしれない。もっとも京都長岡天神にある錦水亭(きんすいてい)という明治14年創業の筍料理専門料亭はかなりの昔から年中営業をしているはずだ。おそらく巨大冷凍庫ではなくて、この「塩とおからを混ぜたもの」で保存をしていることだと思う。錦水亭ではランチでも会席を頼めば一万円以上はするお店であるが、今年はその真似事ぐらいはできるかもしれない。 そんな保存が可能ならば常にリクエストされるようなお惣菜が、この筍と糸こんにゃくの炒めものであろう。作って置いておけば、いつの間にかなくなっている。筍のキンピラよりも少し味付けを薄めにしておいて糸こんにゃくをヌードル感覚でいただく。食物繊維も大量摂取である。ああ、これが年中作れたらいいなぁ。

マーヒー加藤

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# by kaneniwa | 2015-05-10 23:40 | 草外道
2015年 05月 08日

草仏教掲示板(81) 僕らは一度生き、たった一度だけ死ぬ

b0061413_22292995.jpg 今、法語掲示板にかかげられている言葉だが、言葉の選びも書もシャラポア(妻・日本人)に任せたものである。滋賀県出身のロックバンドのUVERworld(ウーバーワールド)の8枚目のアルバムである『Ø CHOIR』(ゼロ クワイア)の広告のコピーであるということらしい。(どうりでUVERworldの歌詞のなかからこの言葉を探しても出てこないはずだなぁ) 「僕らは一度生き、たった一度だけ死ぬ」というこの言葉は、従来はサポートメンバーであった「誠果」という名のサックス奏者がバンドの正式なメンバーとなって6人組となり、その形での「新生」ということがその背景にあるようだ。 そういうわけで「僕は」ではなくて「僕らは」と言える世界があるところに、私は言葉としての妙味があると思う。

マーヒー加藤(ブログ文)
日本人シャラポア(書)
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# by kaneniwa | 2015-05-08 22:48 | 草仏教
2015年 05月 05日

コッヘル274番 筍のちらし寿司

b0061413_23302496.jpg 実は今日の夕刻に北海道からクール便で「たもっちゃん」という銘柄の太くてマッチョで瑞々しいアスパラが届けられ、ちょうど「たもっちゃん」というニックネームの友人が家に寄ってくれていたのでさっそくに調理をさせていただいた。そのアスパラがとても素晴らしくて、さっそくにブログ記事として投稿しようと思ったが、自分で作ったルールで「4月下旬から5月中旬までは筍の特集」と決めている。自分で作ったルールだから解除するのもいいのだが、こういう区切りを作っておかないとバックナンバーを整理する時に年間を通しての目印のようなものがなくなってしまうのだ。筍特集の時期が終わったら、すぐにアスパラの記事を投稿しようと思う。 というわけで筍のポタージュ筍のメンマ風炒めに続く今年の筍料理特集の第三弾は筍のちらし寿司である。筍を使ったご飯物といえば筍ご飯がまず思い浮かぶけれども、我が家での人気度でいえばそれを凌ぐ人気メニューである。具材としては筍、人参、卵と山椒の葉っぱだけである。いつもの自分であればここにさらに椎茸とかかんぴょうなどを煮たものを加えたり、あるいは海鮮ものを上にのっけててみたり、少なくとも刻み海苔ぐらいはさらに加えてしまうところなのだが、この状態で味見をしてみて「これでいいなぁ」と感じてしまった。自分で自分の作ったものの完成度を誇らしげに語っちゃったりしたらいけないのかもしれないけれども、何を足しても過剰になっちゃうし、逆にこのメンバーからどれかひとつが欠けても淋しくなっちゃうような気がした。一昨日、家族5人でこの状態の筍のちらし寿司を8合分、大きな寿司桶いっぱいに作ったのだけけれども1回の夕食で米粒がひと粒たりとも残さずに完食してくれた。完食、好感触。

マーヒー加藤

コッヘルバックナンバー
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# by kaneniwa | 2015-05-05 23:59 | 草外道
2015年 05月 03日

草仏教掲示板(80) 花はそれぞれ嫉妬しあっていない

b0061413_062584.jpg 阿弥陀経に「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」とあって、青いものは青い光を放ち、黄色いものは黄色い光を放つ。金子みすゞは「みんなちがって、みんないい」と言うだろう。それぞれがそれぞれの輝きを放つことの大切さをメッセージとして発する言葉は経典をはじめとして、古今東西にたくさんあると思う。ただ「お前はお前のままでいい」という言葉に「それじゃ貧乏人は貧乏人のままなのかよ!」という反感をもつ人もいるだろうし、これは私の先入観もあるだろうがお説教臭い言葉も多い。 そんななかでシャラポア(妻・日本人)のメモのなかでこの「花はそれぞれ嫉妬しあっていない」という言葉に出会った。この言葉は上から目線での押し付けではない形でその真理を表白しているように感じられた。 シャラポアが言うには、阿川佐和子の言葉としてメモをしたけれども正確には比叡山の僧侶が言ったもう少し難解な言葉を聞いての阿川佐和子のレスポンスとしての言葉がこれだったそうだ。でも、それでいい。うちの法語掲示板には阿川佐和子の言葉として紹介させていただこう。お釈迦様だって自分の書斎にこもって葉っぱに樹液で本を書いていたわけではない。アーナンダ(阿難)という「この人が言う言葉は尋常ではない、でもホンモノだ」と看破する優れた聞き手がいたから仏法は成立したのだ。どんなに優れたクォーターバックが居ても、優れたランニングバックなどのレシーバーがいなくてはパスは成立せず、サッカーでのキラーパスも受け手がいなければただの無謀なキラーにすぎない。 アーナンダをはじめとするワイドレシーバーたちが言ノ葉(ことのは)を残し、その葉に一本のたて糸を通したのが「経」である。 いつの間にか阿川佐和子は名インタビューアーというか聞き手としての達人のような世の中の評価を得ていた。『聞く力』という本の論評を私はラジオの書評で聞いていたので、そのタイトルは花のたとえもあったことから混同して『菊力』(きくちから)というタイトルの本だと勘違いしていて「何だそれ?」と思っていたら、書店で現物の『聞く力』を見て、自分で自分を笑ってしまった。まあ『菊池から』というタイトルでなくて良かったとしよう。 さて本題に戻って、嫉妬という心は屈折していて心の吹き溜まりのような部分にはあるものの、それはある種自分を育ててくれるようなものでもあると思う。「どうして自分はああ成れないのか、あのようにできないのか」という心は、私としては全否定できないものがある。しかし、事実として花はそれぞれ嫉妬しあっていない。花はすでに「青色青光、黄色黄光、赤色赤光、白色白光」という存在である。 「嫉妬」という屈折しためんどくさい煩悩である人間特有の心が沸き起こってきた時には、私はせめてその嫉妬があるという自分だけは見つめ、その自分に向けて「Shit!」という言葉を投げかけたいと思う。

マーヒー加藤 (ブログ本文)
日本人シャラポア(書)
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# by kaneniwa | 2015-05-03 00:46 | 草仏教
2015年 04月 30日

コッヘル273番 筍(タケノコ)のメンマ風炒め

b0061413_20484065.jpg 筍のシーズンになると、何とか新鮮なうちにそれを料理しなくてはという先入観のようなものがあるのだが、ラーメンにつきものの「メンマ」というのは家族全員の好物であるなぁとふと思った。本格的なメンマというものとはちょっと違うとしても、まずはゴマ油で炒めるだけでけっこうその感じは出ると感じた。さらに醤油の他にオイスターソース、つまりは和食を基盤としつつも中華料理の方向にふってやると「これは筍のキンピラではなくてメンマのようなもの」と言えるようなものになってくれることに気がついた。これを作っておくとラーメンの時に重宝であることはもちろん、ラーメン屋さんでそうすることもままあるように、これだけをおつまみにしてビールを飲みつつプロ野球をテレビ観戦するという至福の時間を過ごすこともできる。

マーヒー加藤

コッヘルバックナンバー
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# by kaneniwa | 2015-04-30 20:57 | 草外道