2010年 05月 17日
何がツブシが利くってオリンピックほどツブシが利くもんはないだろう。 ツブシを利かせているという後ろめたさも無い。 オリンピックは世界でも指折りの正義だから、正当な権利なのである。 オリンピックもまた、現在のテレビタレントとは基準がズレているのに。 いくらオリンピック出たいからって7回も8回も無理矢理出るのはオリンピック的には美談でも、 テレビ(というかバラエティ的世界観)的には「空気が読めないやつ」でしかない。 10年後、ヤワラちゃんは選挙に出ていると思う。 長い引用になったが、2002年6月に亡くなったナンシー関が 1995年発行の 『何もそこまで』 という本のなかで書いていることである。 まさに谷亮子は民主党から参議院議員選挙に出馬するのだ。 何でもないことのようだが、当時の名前の 「田村亮子」 と書かずに 「ヤワラちゃん」 と 書かれていることも、あたかも2003年にプロ野球選手の谷佳知と結婚して 谷亮子となることをも予言していたかのようだ。 そして、1995年当時に 「7回も8回も無理矢理出るのは」 と言っている部分に驚愕する。 ナンシーの消しゴム版画は、個人的な感想だが 「似ている!」 とか 「おもしろい!」 とか 思うものは十のうちに一つぐらいだったのだが、彼女が書いた文章の二つに一つは 「!」 と いう驚きがあった。多くは 「こんなところにまでナンシーは見ているのか」 という驚きだった。 「空気が読める」 「空気が読めないやつ」 という表現自体、たぶんナンシー関が 流行らせたのではないかと思っているのだが、ナンシーは 「空気が読める人」 だった。 だから 「ダウンタウンの浜田はなぜあの若さ(当時)でドツキ用のメガホンが似合うのか」 など、空気感としてみんなが何となく思っていることに着目できえたし文章にできた。 だから、売り出し中のテレビタレントやお笑い芸人などは テレビ画面から消えていくか生き残っていくか、すぐにわかっていたようなふしがある。 さらに、彼女はテレビを 「社会の窓」 (他の表現が見あたらない) として見ていたふしもある。 ナンシーが活躍していた頃の私はスポーツ番組とニュース以外は テレビをほとんど見なかったのだが、それでも彼女の書くテレビ評論は抜群におもしろかった。 ナンシーが生きていたら・・・ 私は彼女に宗教学者になっていて欲しかった。 実際に新興宗教などのイベントに参加しての彼女のルポは 実に優れたものであったように今でも思う。 なんせ、「偽物」 のインチキ臭さをかぎ分ける嗅覚は天下一だったから。 ナンシーのような人がいてくれて、むしろ 「ホンモノとは何か?」 ということを考えさせてくれていた。 マーヒー加藤
by kaneniwa
| 2010-05-17 00:27
| 草評
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