草仏教ブログ

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2012年 05月 11日

ヒヤケナス先生のブルース

ヒヤケナス先生の素晴らしきブルース川柳
(日付は毎日新聞掲載日)

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まだ断筆宣言期間中なのだが、事情が変わった。
これを記してからでないと京都に出発できない気持ちになった。
明後日の午後1時30分からのライブでやる曲を、作っている。
最初、メインの演目とする予定であった「アメリカ南部牛追い唄」は
まだ完成していない。
たぶん、これを記して気持ちが少しすっきりすると、
朝までには「アメリカ南部牛追い唄」はすんなりと出来上がる気がする。

この3日間、シャラポア(妻・日本人)の協力もあって
子どもたちが寝た後は久しぶりにギター三昧の生活をしていた。

よく試験勉強で、苦手な数学の試験の前日は比較的好きな国語の勉強がしたくて
たまらなくなる、というようなことがあった。
私の人生のなかで珍しく「勉強がしたい!」と心から思った瞬間だ。

同じようなことが起こった。
「アメリカ南部牛追い唄」の作詞作曲が全然すすまない時、
ギターを持ったまま、うたた寝をした。
そんな時、夢だか自分の意識の境目のあたりのところに
死んだおじいちゃんが現れた。
この死んだおじいちゃんは、なぜかいつも黒人だ。

「グラスの底に顔があってもいいじゃないか、と太郎が言うなら、
 次郎はオシャレなお経というものがあってもいいじゃないか?と言うだろう」


というアドバイスをくれた。
人の教えやアドバイスを受け入れるのがとても苦手な私だ。
そんな私の大事な時にこの黒人のおじいちゃんは現れてくれる。
父親の言うことなどほとんど聞き入れない私も、
なぜかおじいちゃんの言葉ならそのまま受け入れられるのだ。

ハッと目を覚まし、
寝ぼけた頭でソフトでメロウでアンニュイな
「シャマタ・ビバシャナ・不虚作住持功徳成就」 
という曲を驚くべき短時間で作り上げてしまった。
法蔵菩薩(ボッサ)が書かせてくれたBossaNova調ナンバーだ。
南インドの天親菩薩(ボッサ)の言葉のなかで
「トロピカルな感じ」の言葉をとりあつめた。

言霊(ことだま)というよりは音象(おんしょう)というのだろうか、
とにかく経典のなかで自分にとって
「発音しただけで気持ちよくなり、和める言葉は何か?」
という発想だけでできている曲だ。
天親菩薩の『浄土論』の研究家である恩師に聞かれたら破門だろうとは思うが…

さて、その「シャマタ・ビバシャナ・不虚作住持功徳成就」ができたすぐ後の話だ。
その日は久しぶりの完全徹夜に近い状態で寺の仕事をこなし、
昼食後にうたた寝をしていると、また夢と意識の境目におじいちゃんが現れた。
やはり黒人だ。ギターまで抱えながら、珍しく強い感じでアドバイスをくれた。
(実際のおじいちゃんはギターは触ったこともなかったと思うが)

「お前は本山(東本願寺)にも参拝しない今回の京都行きで、
 いったい何をするんだ?いったい誰に聞かせたい歌をつくるのか?
 誰に何を捧げるんだ?それをよく考えるんだな、まひと」


というものだ。
パッと目を覚まし、頭に思い浮かんだのはヒヤケナス先生のことだ。

私が川柳作家で「先生」と呼びたい人は3人だけだ。
一人は宮本佳則先生。この方の作品群は量といい質といい幅の広さといい圧倒される。
本業がお医者さんであることもあって誰からにも「先生」と呼ばれている。
もう一人は水野タケシ先生。
水野タケシ先生の作品群もその量といい質といい、すごい。
12年ほど前に
「薔薇は薔薇トマトはトマト僕は僕」
という作品を寺院の法語掲示板に掲載させてもらって以来の「先生」だ。
埼玉の河童猿さんのホームページに新春のご挨拶に寄せられた
「いつか花咲くから夢は草かんむり」
という作品は、この「草仏教」というブログタイトルの由来のひとつで、
この言葉もメールでご本人の許可を得て寺院の法語掲示板に掲載した。
そして、おとといからヒヤケナスさんのことをヒヤケナス先生と、
そう呼ばせてもらうことにした。

ヒヤケナス先生とは「ヒヤケナスさん」という形で、
上記の河童猿さんのホームページの掲示板で何度もやりとりをしていた。
ただ、日本有数の毒舌の天才(ヒヤケナス先生)が、
ホームページの掲示板という場で、やはり言葉の天才である川柳仲間に
ケンカを売るような言葉を投げかけていたのをヒヤヒヤしながら読んでいた。
ただ、なぜだろう?私にはいつも極めて好意的だったのだ。
寡作だった私の毎日新聞掲載作をほめてくれていたのだ。

目覚めた私は、おじいちゃんの啓示により、急いでパソコンの前に立ち、
毎日新聞社のまいまいクラブのサイトを開き、
その「万能川柳」のところを開き、
ヒヤケナス先生のご生前につくられた川柳で毎日新聞に掲載された川柳を
全部読んでみた。
びっくりした。
もちろん、その大半は毎日新聞の万能川柳に掲載時の記憶があるものだったが、
まとめて読んでみて圧倒されてしまった。
その諧謔(かいぎゃく)精神、言葉の強さ、哀愁、嘆き、ユーモアー…
「これはブルース川柳じゃないか!」
と、圧倒されてしまった。
ヒヤケナス先生が、もしもシンガーだったとすれば、
間違いなく「ブルースマンのなかのブルースマン」だったであろうと、
そう思った。

ただ、五・七・五を基本とした川柳の定形は、
私の才能では、どうしてもブルースの定形に音がのらない。
定形は大事だ。
定形をマニュアルとして見るのはあんまり意味がない。
定形があるからこそ、そこからはみ出ようとする魂の噴出と、
それをなだめて定形に収めようとする魂との激突がおもしろいのだ。
ただ、ヒヤケナス先生ご本人は4年以上前にお亡くなりになられているので
承諾のとりようがない。
ヒヤケナス先生の迫力ある言葉のなかから、
五・九というわん曲させ、デフォルメした形に勝手に書き換えた。

そして、その詩のメモができたらすぐに手元にあった
子ども用のミッキーマウスのギターを手にとった。
本来は合わないはずのキーのブルースハープを吹き(実際は吸い音が中心)、
本来は合わないはずの世間に自分を合わせようとする
ヒヤケナス先生をちょっとでも表現しようとした。

これで一応、私は自分としては驚くべき短時間のうちに2曲を作ったことになる。
ただ、作詞ヒヤケナス(補作マーヒー加藤)ということでいいとは思うが、
やはり気になって仕方ないのが、五・七・五の完成した川柳作品を壊していることだ。

私は急いで収録した映像を今回のライブ会場の店主であり、
ヒヤケナス先生とのご関係が大変に深いKEVIN兄さん(おとといから兄さんだ)に
送信してみた。
もしも、ヒヤケナス先生のことをよく知るKEVIN兄さんが
この歌にちょっとでも不快な気持ちをもったならば、潔くボツにして、
YouTubeはもちろんのこと、自分のパソコンからもすぐに削除しようと
そう思っていた。
KEVIN兄さんからの返信を緊張しながら待っていると

ヒヤケナスブルース、心の底から感激いたしました。
あちらの世界でアニキが笑ってるよな気がしてなりません。
(中略)
ヒヤケナスそばにいるよでニヤケます。


という、嬉しい言葉が帰ってきて
パソコンの前で胸が熱くなった。

そして、これは私のずるいエクスキューズでもあるのだが、
この詩のもとになっている本来の川柳を是非知って欲しい。
これはおじいちゃんからの啓示ではないのだが、
その、もともと完成した文芸作品であるヒヤケナス先生の川柳のなかで
今回の歌詩の題材となっているものをここに掲載させていただいて、
そこで初めてこの曲を歌わせてもらえる気がしたのだ。

マーヒー加藤
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by kaneniwa | 2012-05-11 01:51 | 草音


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