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2014年 05月 24日

沖縄県庁前パレットくもじにて内田勘太郎ストリートライブ

沖縄県庁前パレットくもじにて内田勘太郎ストリートライブ_b0061413_9155075.jpg 沖縄に滞在している間に学生時代には何度もライブに接した憂歌団の内田勘太郎先生(ギター教本ビデオも出していてそれを何度も見たので先生だ)のTOWER RECORD主催でのストリートライブが、ゆいレール県庁前駅のパレットくもじ(複合商業施設)の広場で行われていた。2泊3日の短い沖縄滞在中に何たる巡りあわせか。主催のTOWER RECORDさんからは録音と動画撮影は禁じられたが「写真はOKです」というご案内があった。(ブログ掲載まではOKなのかどうかまでは確認していないのですが、写真がOKということはそこに文章を添えて日記を書くのもOKということと判断します)

沖縄県庁前パレットくもじにて内田勘太郎ストリートライブ_b0061413_9161059.jpg Gのオープンチューニングでのボトルネック奏法でのブルーズでライブは行われる。そのサウンドが夕暮れ時の県庁などのビルの谷間に響き渡り、時々振り返ると道行くたくさんの人たちの多くが足を止める。老若男女だ。そりゃ止まるだろう。内田勘太郎先生の出す音なのだから。 かつて内田勘太郎先生はこう言った。「色んなボトルで試してみたけれどもボトルネック奏法に使うボトルネックはカルピスの瓶の先端を切るのがいちばんやね」と。カルピスがあのガラス瓶でのカルピスの生産をやめてしまい、ボトルネックが作れないペットボトルというボトルばかりになった時に、私は内田勘太郎先生がこの先どうしていくかということがとっても気になっていた。どうやらこの日のボトルネックはカルピスではないように思えた。

沖縄県庁前パレットくもじにて内田勘太郎ストリートライブ_b0061413_9162762.jpg 内田勘太郎先生のこの日のギターはヤイリだった。ファンなのでわかるけれども、このヤイリは内田勘太郎先生が杉山清貴(オメガトライブ)に「ちょっと貸してね」と言ってから四半世紀を経過しているはずのヤイリである。そういえばライブやスタジオ録音に長期間使ってこられた憂歌団のギタリストととしての内田勘太郎先生のシンボル的存在であるChakiのギターも元々はボーカルの木村充揮さんの所有物であったはずだ。もしも内田勘太郎先生が私に「加藤くん、それ、ちょっと貸してね」と言われるとたいへんに困ったことになってしまう。困ったことにはなってしまうものの、何だか内田勘太郎先生のサングラス(お眼鏡)にかなったものを持ちたいというのか、何だか内田勘太郎先生に「ちょっと貸してね」と言われたくてしょうがない気持ちというものも禁じ得ない。私は今後、そんな屈折した物欲をもっていくことになるだろう。

沖縄県庁前パレットくもじにて内田勘太郎ストリートライブ_b0061413_9164465.jpg オープンGチューニングから先生はレギュラーチューニングに戻されて、この日は内田勘太郎先生が弾き語る曲も3曲ほど披露された。「この曲の作詞者とは絶交してからそのままになってもう10年です」などというMCもサラリと入れながらストリートライブは繰り広げられていった。写真を撮りつつも夢中になってその世界に入っていき、そして那覇の街中でのブルーズに酔いしれた。

沖縄県庁前パレットくもじにて内田勘太郎ストリートライブ_b0061413_91738.jpg ブログ掲載許可を口頭でいただいたが、実は私を沖縄に招集した熊本のご住職さんは内田勘太郎先生と旧知の間柄であった。内田勘太郎先生を中央に3ショットである。撮影はTOWER RECORDの社員の方にお願いした。 私が結婚してからも自宅でよく内田勘太郎先生のギター教則ビデオ(VHS)を自宅で流していた。それを傍らで見ていたシャラポア(妻・日本人)が「この人、マヒにゃん(マーヒー加藤)に何だか似ている、姿も語り口もギターも」と言っていたことがある。シャラポア、全然わかっていないな。姿と語り口はモノマネぐらいならできるかもしれないけれどギターはモノマネですらできないのだ。同じフレーズでも内田勘太郎先生がギターを鳴らせば大きな黒人が道をノッシノッシと歩いていくような絵が浮かんでくる。この日もそうだった。ただ、沖縄に拠点を移されてからはや20年。沖縄で聞いているということもあり、ましてやストリートライブということもあり、その黒人が歩いていくイメージは変わらないものの、沖縄を踏みしめながら歩んでいくイメージをそのサウンドから感じてきた。


マーヒー加藤

by kaneniwa | 2014-05-24 10:24 | 草音


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