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草仏教ブログ

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2006年 07月 28日

セミの命は長いのだ

けい蛄 春秋を識らず、
伊虫 あに朱陽の節を知らんや  『教行信証』 


久しぶりに親鸞聖人が大事にしてきた言葉の一つを出して、
マーヒー本人が動揺していたりするが、難しい話をするつもりはない。

どちらかと言えば、NHKラジオの『子ども電話相談室』にインスピレーションを受けた
話がしたいのであるが、この『教行信証』のなかのお話も同時にしておきたい。
(おいおい、ついでかよ!)

この言葉の典拠は、中国の曇鸞(476-542)という人にあるようだ。
もしかしたら、もっと以前からあった言葉かもしれないが、この曇鸞という方は
比喩(たとえ)が得意な中国浄土教の諸師のなかでも、とびきり卓越した比喩を示される
方であるので、まず間違いなく最初に言われたのはこの曇鸞大師ではないかと思う。

「けい蛄」とはセミ(ヒグラシ)のことで、「伊虫」は「この虫」つまりセミを指し、
「朱陽の節」とは夏のことだ。

長い間土の中で過ごし(7年間ほど?)、やっと地上に姿をあらわしたかと思えば、
わずか数日でその命を終ってしまうのがセミである。

夏に生まれ夏に死んでいくから、春という季節も秋という季節も知らない。
これだけでも何だかご教訓的なものにはなりそうだ。
しかし、曇鸞大師の比喩が卓抜しているのは、その上で、夏しか知らずに
他の季節を知らないということは、もしかして夏自体さえも知らないということになるの
ではないか、と言っているのである。

もちろん曇鸞大師はセミのためにこのフレーズを残したのではなく、
人のために書いたのである。
「けい蛄」はセミのことであるので恐縮だが、圭子さんという方がいたとする。
圭子さんが女性の名前だというのは偏見で、こういう名前の男性がいるかもしれない。
そして別に恵子さんでも敬子さんでも慶子さんでも景子さんでもいい。
自分の名前を当てはめたらなおいい。

さて、その圭子さんが胎内にいる時を含めて、
過去の歴史にまったく関心を払わない人だったりして、
さらに自分の死後のことを含めて未来のことにまったく関心を払わない人だったとする。
圭子さんは「今」の意味を知ることができるか?という深い問題だと思うのだ。


さて、昨年の今頃のお話。マーヒーはお参りのために車で移動中に 
NHKのラジオの『子ども電話相談室』という番組を聞きながら運転していた。
子どもがこんな質問をしていた。

子ども 「なぜセミはせっかく生まれてきて、こんなに短い命しかないのですか?」

相談室とは言っても、会社での人間関係や嫁と姑の確執(かくしつ)、
父と息子の軋轢(あつれき)などを子どもが相談するわけがなく、
そのほとんどが自然科学系の素朴な疑問であるが、
その素朴さにものごとの本質を含んでいる質問も多いので、
けっこうマーヒーはこの番組のファンである。さて回答であるが、


先生  「あのね、確かに人間の70年とか80年とかの寿命を考えたら、
     土から出てきて一週間も生きられないセミの寿命は短いと思うよね。
     でもね、人間もセミも命をつないできて生きてきた生命体なんだよ。
     人類というのは今の姿をとってから5万年ぐらいの歴史しかないけれど、
     セミは化石などから分かるけど5億年も前から今とほとんど変わらない姿を
     していて命をリレーしてきたんだ。
     だから、カゲロウとかセミとかを見て、命が短くてかわいそうなんて言うのは、
     人間の思い上がりもいいところなんだ。
     これからはセミを見たら自分たちよりはるか太古から
     生きている命の先輩だと思ったらいいよ」


という非常に含蓄(がんちく)のある回答があった。
ああ、私もセミはカワイソウだと思い上がっていた。
先輩だったのか。

しかし、人間は他の動植物のことについていちばん知っているのに、
人間自身を知らないのかもね。


マーヒー加藤   草仏教ホームページ
 

by kaneniwa | 2006-07-28 05:54 | 草仏教


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