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草仏教ブログ

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2008年 05月 26日

原子力より原始力

原子力より原始力_b0061413_050797.jpg マーヒー加藤は東本願寺の屋根をソーラ(太陽光)発電の屋根にしようという運動のグループに入っていたことがある。個人的に、ただ署名だけで賛同したのではなく、その関連の研究会や発起集会的なところにもけっこう足を運んだのは、東本願寺をソーラ屋根にしようということだけでなく、構想のなかに「本願寺の森」というものを創設して世代を越えた護持活動をしていこうというものが盛り込まれていたからだ。 グループは、ソーラ屋根計画が採用されないということが決定的になった時点で解散した。マーヒーは「本願寺の森計画というものがあるので解散するのに反対」という意見をしぶとく述べたが、グループはいさぎよく解散した。 同じ京都の清水寺は、何と700年後(西暦で2700年代)の大修復のために京都府の美山町に清水寺のための森を幼木を植えて作りはじめ、信徒さんたちの手によって育てられているというニュースを聞いた。けやきの森が作られて、1000本のなかの選び抜かれた7本ほどの大木が清水寺の700年後の「新しい柱」になるのだという。 森の手入れをする信徒さんたちは、ほとんど無報酬であるのに 「700年後のことを考えて手入れをするのは喜びだ」 という。バルセロナのガウディ設計のサクラタファミリアという大聖堂をガウディの遺言どおりにコツコツと積み上げ造っている人たちの喜びのようなものにも共通するものがあるかもしれない。

青森県の六ヶ所村の核施設の所員の人のうちの何人かが、「われわれは核の再処理の仕事というのを10年先や20年先のこととは考えておりません、100年先、200年先を展望してやっております」という言葉をテレビカメラに向かって堂々と言っていた。清水寺を連想し、対比してみた。似たようなことを言っているようで、何という違いがあるのだろうか。

リサイクルという言葉は美しく、その美しさゆえに政治や経済にもかなり利用される。環境団体のトップや政治家がCO2(二酸化炭素)を削減するために原子力発電を容認したり、むしろ推進したりするような発言をしたりするが納得できない。核廃棄物という最悪のゴミのリサイクルが確立されていない。六ヶ所村の核施設は何千億円を投じたかは知らないが 「とりあえず」 の発想なのだ。 「とりあえずビールね」と言いながら、「とりあえず」のビールを飲み、「次は何を食べて何を飲もうか?」 と考えるのは楽しい「とりあえず」 だが、この 「とりあえず」 は苦しい。われわれの子どもや孫たちが、この廃棄物の利用を考えてくれるまでの「とりあえず」だ。核廃棄物処理施設の維持経費はどんどんと想定範囲を越えた金額が計上され、つい2,3日前にはこの施設の真下に活断層が発見された。これは注目すべき大きな意味をもったニュースだと思う。その後の調査によっては、「とりあえず」 の思想に大きな転換を迫ることになる。

マーヒーは、このブログをはじめパソコンのヘビィ・ユーザーである。電気のおかげでこうやっていろいろな人とつながっている。ナイターで野球もやる。セコではあるがエコな生き方などはしていない。 さらにセコの方でも、節約は大事だが節約をするために生きているのではないといつもどこかで思っている。でも、最近感じる感動は、電気を使わずに体のなかの方に電気が走るような「原始人の感動」だと思うようになってきちゃった。野球で野手に追われて逃げて全力疾走している時に、思わず原始人に返って笑っちゃった。

発電そのものも含め、これほど維持や安全対策にお金がかかって、私のところのパソコンがフリーズするぐらいの頻度で各地で原因不明の事故が起こって人類を背負って慌ててヒヤヒヤで手動でストップさせることが頻発する原子力の方は、もうやめた方がいいのではないかなぁ。

マーヒー加藤

by kaneniwa | 2008-05-26 00:01 | 草評


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